京都冬の旅で,相国寺では、通常は非公開の開山堂と法堂が、公開されています.
相国寺は、足利義満を開基とし、夢窓疎石を勧請開山とする臨済宗の寺で、1392年
(明徳3年)に完成された寺で、御所の北方に位置し、同志社大学の北にあります。
法堂は、創建当時のものは残っておらず、現在の建物は豊臣秀頼によって1605年
(慶長10年)に再建されたものです。その後の何回もの大火にも焼けずに残り、
現存する法堂としては最古の、最大規模を誇る貴重な法堂となっています。
天井に描かれた蟠龍図で、狩野光信の手によって描かれたもので、直径が9mという
大きなもので、この絵は鳴き龍として知られており、ガイドの方が、「実際に手を打って
鳴かせてみなさい」と勧めてくれ、鳴き龍の効果を味わえました。
開山堂とは、その寺を開いた人物を祀るための御堂で、夢窓疎石が開祖で、
その座像が堂内に安置されています。
開基の足利義満、春屋妙葩の座像も見ることが出来ますが、内部は撮影禁止でした。
開山堂は、何度か焼失しており、現在の建物は1807年(文化4年)に
桃園天皇の皇后恭礼門院の黒御所を移設し、仏堂に改造されたものです。
縁側に高欄が残っているのですが、それが御殿だった名残を示し、
金具には菊の紋が入っていました。
庭は、枯山水で、広く禅宗の寺らしく、りんとした清冽な空気に満ちていました。
特別公開の場所の内部は、写真撮影が禁止されているため、開山堂と法堂内部は撮影が
出来ませんが、開山堂の庭の撮影は自由に撮れました。
京の冬の旅の特別公開は、3月18日(火)まで行われていますが、他の非公開文化財
は、今までに見学した以外の所をのぞき、今回の特別公開で、8カ所を見学をして、
私の、今冬の冬の旅は、終わりました。
看板
天井に描かれた蟠龍図で、狩野光信の手によって描かれたもので、直径が9mという
大きなもので、この絵は鳴き龍として知られています。
法堂(はっどう)
法堂(はっどう)正面
法は、創建当時のものは残っておらず、現在の建物は豊臣秀頼によって1605年
(慶長10年)に再建されたものです。何度もの現存する法堂としては最も古く、
最大規模を誇る貴重な法堂となっています。
法堂から見た境内
法堂への入口
開山堂
開山堂の建物と庭
菊の紋
現在の建物は1807年(文化4年)に桃園天皇の皇后恭礼門院の黒御所を移設し、
仏堂に改造されたものです。縁側に高欄が残っているのですが、それが御殿だった名残を示し、金具には菊の紋が入っています。
もと御殿としての優美な開山堂
開山堂前の庭は枯山水
りんとした空気に満ちています。
通常は枯山水となるべき表側の庭に、本来は裏の庭にあるべき樹木や水路を用いた庭を
合わせた造りの珍しい庭です。
明治時代までは庭に小川が流れていましたが、今は枯れています。
東側の庭
庫裏 庫裏の横の方丈は今工事中です。
相国寺は、足利義満を開基とし、夢窓疎石を勧請開山とする臨済宗の寺で、1392年
(明徳3年)に完成された寺で、御所の北方に位置し、同志社大学の北にあります。
法堂は、創建当時のものは残っておらず、現在の建物は豊臣秀頼によって1605年
(慶長10年)に再建されたものです。その後の何回もの大火にも焼けずに残り、
現存する法堂としては最古の、最大規模を誇る貴重な法堂となっています。
天井に描かれた蟠龍図で、狩野光信の手によって描かれたもので、直径が9mという
大きなもので、この絵は鳴き龍として知られており、ガイドの方が、「実際に手を打って
鳴かせてみなさい」と勧めてくれ、鳴き龍の効果を味わえました。
開山堂とは、その寺を開いた人物を祀るための御堂で、夢窓疎石が開祖で、
その座像が堂内に安置されています。
開基の足利義満、春屋妙葩の座像も見ることが出来ますが、内部は撮影禁止でした。
開山堂は、何度か焼失しており、現在の建物は1807年(文化4年)に
桃園天皇の皇后恭礼門院の黒御所を移設し、仏堂に改造されたものです。
縁側に高欄が残っているのですが、それが御殿だった名残を示し、
金具には菊の紋が入っていました。
庭は、枯山水で、広く禅宗の寺らしく、りんとした清冽な空気に満ちていました。
特別公開の場所の内部は、写真撮影が禁止されているため、開山堂と法堂内部は撮影が
出来ませんが、開山堂の庭の撮影は自由に撮れました。
京の冬の旅の特別公開は、3月18日(火)まで行われていますが、他の非公開文化財
は、今までに見学した以外の所をのぞき、今回の特別公開で、8カ所を見学をして、
私の、今冬の冬の旅は、終わりました。
看板
天井に描かれた蟠龍図で、狩野光信の手によって描かれたもので、直径が9mという
大きなもので、この絵は鳴き龍として知られています。
法堂(はっどう)
法堂(はっどう)正面
法は、創建当時のものは残っておらず、現在の建物は豊臣秀頼によって1605年
(慶長10年)に再建されたものです。何度もの現存する法堂としては最も古く、
最大規模を誇る貴重な法堂となっています。
法堂から見た境内
法堂への入口
開山堂
開山堂の建物と庭
菊の紋
現在の建物は1807年(文化4年)に桃園天皇の皇后恭礼門院の黒御所を移設し、
仏堂に改造されたものです。縁側に高欄が残っているのですが、それが御殿だった名残を示し、金具には菊の紋が入っています。
もと御殿としての優美な開山堂
開山堂前の庭は枯山水
りんとした空気に満ちています。
通常は枯山水となるべき表側の庭に、本来は裏の庭にあるべき樹木や水路を用いた庭を
合わせた造りの珍しい庭です。
明治時代までは庭に小川が流れていましたが、今は枯れています。
東側の庭
庫裏 庫裏の横の方丈は今工事中です。