小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

八月十六日

2010-04-03 | 嘉永二年
八月十六日 

快晴なれど空気は冷ややか也。
橋本へ行く。くずし(かまぼこ)や椎茸、かんぴょうなどを買って、明日の和歌(和歌祭)行きの弁当を拵える。
六時前頃から岩一郎、仁達、良蔵らが御船拝見に行く。
しかし、ひどく曇り始めたので明日のお祭りはどうなるかわからない。
丸山から鈴木貞輔が水薬を持ってきた。


〈追記〉
和歌祭は毎年、5月第2週日曜日に行われる紀州東照宮の大祭の渡御の呼称。
別名、紀州の国祭、天下祭、権現祭とも呼ばれ、和歌山伝統のお祭りです。
東照宮のある山を和歌山(わかさん)といい、一山を上げてのお祭ということで和歌祭と呼ばれたとか、江戸時代に東照宮を口にするのは恐れ多いということで「和歌の御宮」と言い習わされていたところから和歌祭と呼ばれるようになったなどの説があります。
紀州徳川家初代藩主の頼宣が父家康の霊を慰める為に始めた天下祭、権現祭。
江戸時代には日本3大祭に数えられたほどの大祭りだったそうです。
祭の当日、陸上では紀州の武勇を示すものや紀州人の心意気を表現した行列が神輿に従い、海上では御関船(おせきふね)を浮かべて、陸海あげてその日に備えたそうですが、今は交通機関の発達で御関船がなくなり、陸上での渡御だけになってしまいました。

この日の日記の御船拝見は御関船を見物に行ったこと。




コメント
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