小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

八月二十八日

2010-04-24 | 嘉永二年
八月二十八日 

学校文会でお城へ出る。草花寺(城内の庭園?)に直行する約束だ。
小重に寿司と取り口、握り飯も入れて岩一郎と良蔵を連れて昼頃に出かけた。
切手があって酒も一升持って行く。上九でなれ鮨を求める。一匁八分。
そのほかはフナや長いもなどを宿(会場?)で拵えた。
草花寺で遊んで八時過ぎに帰った。
同伴の人数は荷物持ちをいれると十七、八人だった。
塾生の本田、岸、志賀、伊藤、榎本、川合三人、岩橋二人に堀田。

主人は今月の九日に菊千代様が三才のお宮参りをお済ませになったことへのご祝儀を申し上げた。
お酒を下された。
良蔵も登城したがこれへはお酒は出なかったそうだ。

「追記」
菊千代=中将様=徳川慶福(よしとみ)。
第十三代紀州藩主。
安政五年(1858)将軍家定の継嗣となり十三歳で第十四代将軍徳川家茂となる。
公武合体の実践として皇女和宮を正室に迎えたことは有名。
第二次長州征伐途上、大阪城で病に倒れ薨去した。満二十歳だった。
英明さと真摯さで幕臣達に慕われており、勝海舟などは「家茂さまの御薨去をもって徳川幕府は滅んだ」と嘆息したと伝えられる。

コメント
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