小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

八月二十四日

2010-04-19 | 嘉永二年
八月二十四日 

少々雲がある。寒い。
昨日誘われた田中と松江へ芋掘りに行く。
浜辺では投網もある約束だったけれど、今日は風が強く全くの不漁のようだ。
舟などもみんな引き上げていた。
ようやく小さな太刀魚を一匹得ただけで芋一式を持って夕方頃に引き上げた。
内田宅で酒や食事をよばれて八時過ぎに帰宅した。

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八月二十三日

2010-04-18 | 嘉永二年
八月二十三日 

おおいに快晴。一点の雲もなし。
仏手柑酒を拵える。小梅は糊つけ。
母君と岩一郎は昨夜より腹痛であげたり下したり。
二時過ぎに九右衛門どのが腰を痛めているのに杖をついてくる。久しぶりだ。
酒を出し、さらに芋のおかゆを出し、夕方になって柿を五つと餅を十ばかり持たせて権七に送って行かせる。
田中から「明日、家内が芋掘りにいくので一緒にどうですか」と言われたが、生返事をした。
まあ、用意だけはしたものの今日はくたびれて髪の手入れをしようとしても欠伸ばかり出る。
十二時になる前に寝てしまった。

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八月二十二日 

2010-04-17 | 嘉永二年
八月二十二日 

五時頃から起き出して準備をする。
今日は主人と野呂、十倉が釈尊興業の日。
天気は段々とよくなった。主人は学校へ行く。
野呂と十倉と共に釈尊興業也。
午後二時前に三人は帰宅。
槍使いなどする。
酒や食事を出す。夕方過ぎに清吉は帰って行った。
弁当を三つ拵えた。

(釈尊興業とは仏教講話の後にアトラクションでもあったのか?)

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八月二十一日 

2010-04-15 | 嘉永二年
八月二十一日 

雨が降る。とても寒くて袷を着てもまだ寒いほどだ。
主人はくずし(かまぼこ)を買いに行く。上九で魚二匹買う。
明日の釈尊の弁当を拵える。
七時過ぎに清吉が来て今晩泊まるそうだ。夜に酒を一盃出す。
楠宮で酒を五合取る。
松下へ紫蘇の実を持たせてやる。城ノ口で米を一斗五升取る。
いくらかわからない。良蔵が一臼搗いた。
梅本からにゅうめんが届いた。

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八月二十日 

2010-04-13 | 嘉永二年
八月二十日 

天気良し。
八時過ぎに清吉が帰る。良蔵も同じ時間に学校へ行く。
昼から安兵衛が来る。熊と同じく柿の木を割り、竹を二本買ってくる。五分なり。
高橋の葬礼があって権七をやった。直七が来る。風呂をたく。


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