タワゴト日記

 未来は無限にあると思っていたが、有限を
感じさせる世の中、光をツールに少しでも楽しい毎日でありたい!

毎日が夏休み

2011年08月21日 | Weblog


 夏だから仕方がない暑い!だからと言って余りにも恥ずかしい

ポーズ!しかし「毎日が夏休み」の生活が続いた我が家(写真上)。

昨日は久しぶりに涼しい、そしてタイミング良く久しぶりに3時間

仕事に出かける。仕事仲間がみんな久ぶりと挨拶してくれる。

どんなに歳をとっても、どんなに些細なことであっても社会と係わり

会って生きることは、幸せであり、いきがいでもある。

サラリーマン時代から10年が過ぎ、NPO法人に勤める?

当初、悩んだ「ボランティア」としての居場所?

自分のありのままを、サラリーマン時代表現できなかった「個性」を

出せばいいと気がついてから、僕の本当の人生が始まったとも思う。

もっと早く、サラリーマン時代に気がついていたらどうか?なんて

過去のはかないタワゴト日記。

輝くような思い出でもなく♪♪ましてや明日のわが身でもない♪♪




命をかけて守るもの

2011年08月19日 | Weblog


 格好いい男がまた一人逝った。大鹿村騒動記の一場面である(写真上)

長野県下伊那郡大鹿村に三百年以上伝わり、俳優原田芳雄さんの遺作映画

「大鹿村騒動記」の題材となった「大鹿歌舞伎」の秋の定期公演が10月

16日、30日に行われる。追悼の舞が追加される。

以下映画の流れ・・・

四方山に囲まれたこの村にシカ料理店の主人、風祭善は長年村歌舞伎の主役

を張ってきた。しかし私生活では女房に逃げられ、一人暮らしをしている。

公演を5日後に控えたある日、駆け落ちした妻、貴子と幼馴染の治が、

ひょっこり村に帰って来た。貴子は認知症を患っているらしく、善の顔を

忘れてしまっていた・・・・・。

今は亡き原田芳雄(風祭善)、車椅子に乗っての舞台挨拶?の姿を微塵も

感じさせない見事な演技、映画ラストに流れるこの人も惜しまれて逝った

忌野清志郎の歌(風に吹かれて?)に、誰も立ち去る人がいなかった。








大連合

2011年08月18日 | Weblog


 大連合は政治家の夢に過ぎない。何でも通ったらこれはまた中国と

同じ。朝起きたら屋根の上に鉄橋が走り、地下には地下鉄が走っている。

そんな近未来は、人間生活の無視だ。

日本は言論の自由だ。朝は早起き、自然の中を散歩、

体を動かし、よく食べネイチャー・コール・ミーと叫べば、どこにでも、

誰でもが利用できる綺麗な個室空間、そして心地よい便通が・・・?

爽やかに向かえることができる毎日の普通の生活が保障される。

平和で不安のない生活以上に何を求めて、人間社会は動いているのだろうか?

それは誰も判っているのです。三欲を向上心とかに加工して、ある時は

生きる糧・力にして過ごすのです。自分に与えられるせめてもの贈り物は、

ネット社会に蔓延するポイントではなく、自分は一所懸命生きたのだと言う

満足感だけではないだろうか?




ねこと生きる

2011年08月16日 | Weblog


 写真上は、ヤマネコを育てる乳母ねこである。ねこでも母は強し。

我が家で暮らすシロ、クロちゃんオスねこ3歳は、今月フィラリア

の薬とワクチン注射を受けた。昼間、節電のため28℃であるが、

冷房の効いた部屋でぐっすり、夜は家の中が暑いのか?外の涼しい

風に当たりたいのか?それとも一応去勢された身でありながら?

変な鳴き声、変な格好をして、網戸を自分で開けたりして外出だ。

夏は天候に係わらず、外出する彼らに女房は、一体全体何処に行く

のだろうと不思議がる。僕はメスねこを探しにいくんだろう?と

シロ・クロちゃんに問うとクロちゃんが「にゃん」と返事をする。

それともノラの血が騒ぐんかなあ?「にゃん・にゃん」と答える。

写真下は、ねことともにゴロゴロする部屋。

それにしても今年は、あつい残暑。もっとごろごろしよ!


ツリー・オブ・ライフ

2011年08月13日 | Weblog


 本年度カンヌ国際映画祭パルムドール「最高賞」受賞作品。

男の子を育てるのは難しい。とくに僕みたいに父親がなんたるか?

を知らないまま、名ばかり父親となったわが身の子育ては失敗だった

と思われる。仕事にかまげて、子育ては女房まかせだった。

目先の夢を追かけ、「親がなくても子は育つ」なんてかってに言い訳

をし、もしおきても自分さえ、一生懸命やれば何とかなるさ!

東日本大震災のように、原発事故は絶対安全、わが身には絶対起こら

ないと信じていた。しかし今、自分だけではどうにもならない。

いや人生、思いどうりにならないこと、人間生きることは重い荷物を

背負い、終着点もわからず長い坂道を登るが如しなのだろう!

今世界が、日本的になりつつある気がしてならない。

父親なら誰でもが、息子に期待し厳しい。息子は母親の優しさに救わ

れる。しかし息子が思春期を迎える頃には、母親を見る目が一転する。

父親に向けられる目も一転して、闘争心となる。わかっていても、

じゃあ再度、育てろと言われても、勇気・自信も湧いてこないお年頃。