
黄檗宗の禅寺、羅漢寺の境内には「栄螺堂」という、らせん状に昇る三階建ての三匝(さんそう、と読むが江戸訛りでこれを、さざえと読んだ)堂があった。建物の内部はらせん構造で、上りと下りがそれぞれ一方通行になっており、参拝客がグルグル廻りながらすべての羅漢像を見られる様になっていた。この辺りは江戸の郊外で、景色も素晴しく北斎も「冨嶽三十六景」で取上げている。安政の暴風雨や大地震で荒廃し、五百羅漢寺は明治になって目黒へ移転して栄螺堂は現存していない。
黄檗宗の禅寺、羅漢寺の境内には「栄螺堂」という、らせん状に昇る三階建ての三匝(さんそう、と読むが江戸訛りでこれを、さざえと読んだ)堂があった。建物の内部はらせん構造で、上りと下りがそれぞれ一方通行になっており、参拝客がグルグル廻りながらすべての羅漢像を見られる様になっていた。この辺りは江戸の郊外で、景色も素晴しく北斎も「冨嶽三十六景」で取上げている。安政の暴風雨や大地震で荒廃し、五百羅漢寺は明治になって目黒へ移転して栄螺堂は現存していない。
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