ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

ノスタルジック木曾路は股旅三度笠気分で その2(最終)

2011-05-16 16:30:22 | 旅日記

 宿場以外の観光地ではというと、木曾の古くからの中心である木曾福島は江戸時代直轄領として代官所が置かれた町、その跡地は観光施設になっている。今でも木曾の宿場だった中で一番に大きい町だから、商店街も形成されていて木曾産品は何でも揃えられるはずだ。

 僕はここでは必ず七笑酒造で辛口旨口の本醸造を買う。ここの酒は雑誌酒の編集長だった佐々木久子がキレがあると評したように、吟醸酒でも新潟などと違って強さがあって良いのだが、普通の純米酒でも十分旨いし、4月なら生酒原酒などもお薦め。蕎麦では長野県でも有名なくるまやがあり、名物はすんきそば(すんきとは野沢菜漬を発酵させ酸っぱくさせたもの)ということで以前に食べてみたが、これは蕎麦を味わうという意味では僕はもう食べたくはない。健康にはいいらしいがとにかく酸っぱいし臭いがねぇ。蕎麦には海苔も邪魔だという僕はもりに限るでしょうと言いたい。あとは和菓子の芳香堂で5月下旬から7月下旬まで作るほうば巻が新聞で紹介されていたが、栗餡の菓子もあって美味しいらしい。数年前に、第3セクターが運営の古民家を活用したレストラン松島亭ができて、評判がいいということも何かで見たことがある。

 栗菓子では木曾路をずっと下った中津川の栗菓子(栗茶巾絞りは秋から年内のみの商品)はお薦めで、妻籠には川上屋が出店していた。我々は多治見に行く場合には、途中で市街にあるすや(バイパスにも店ができた)にはよく寄道したものだ。

 豆腐では最高級国産大豆だというたちながはで作る田中屋の一丁430円のパックは、くらしの工芸館でも売っていた。さらにここで作られ女房が美味しいと言っている胡桃クッキーも、メーカーは違っていたがこれも工芸館に置いてあった。でも松本の翁堂本店に時々置いてあるメーカーの方が旨かった気がするけどね。

 もう一つ、奈良井から木曾福島の国道19号の街道筋で、日義村木曾駒高原入口交差点近くにある道の駅は是非立寄ってみたいところ。特に秋の午前中早めに寄ることができれば、天然キノコを存外に安く手に入る可能性があり、よく一本シメジなどを買ったものだ。その一本しめじだが、同じ年に行ったあんなにも山奥の秋山郷より安かったんだから、ここは穴場ではないかな。ほかにも檜の俎板などを格安で買ったことがあったし、地元農産物や加工品も比較的に安めだから、近在農家の手作り餅団子など旅路のおやつにでもどうですかと。この辺りはシマリヤの名古屋経済圏だから、お値段が鍛えられているんだろうかねぇ。

 奈良井から日義村への道筋には奈良井からすぐにトンネルがあって、その中間には太平洋側と日本海側との分水嶺地点という表示があり、川の流れる方向が逆になる。冬場はここを境に北の奈良井側は雪に注意が必要だということを、12月に泊まった時に保養所の人に聞いた。ほかにはかの木曾義仲関連の施設があるようだが、いつも素通りでまだ立寄っていない。木曾路の奈良井から北方面では、柘植で作ったお六櫛の藪原ぐらいが観光ガイドに乗っている程度でしょうかね。
 逆に木曾の南方面の名所としては、浦島太郎が夢から覚めたという奇岩景勝の寝覚めの床は、これも我々は通り過ぎただけ。またこれも我々はまだ行っていないが、上松の国有林(木曾赤沢自然休養林)は伊勢神宮の20年毎の遷宮の柱材を出すところで森林浴のメッカ?、日本三大美林の木曾檜の生産地として有名だ。森林トロッコに乗って機会があれば是非訪ねたい場所、灰沢鉱泉も一度は入ってみたいものだ。温泉といえば南木曽町に数年前に温泉旅館が出来て、この一帯は良い温泉の無いのが欠点だったが最近はどうでしょうかね。

 上松から南木曽の途中大桑村の古刹定勝寺には、桜の時期に立寄り、名物塩漬けした桜花を浮かせたお茶?を飲んだりもしてみたが、血圧が高くなった今は止めにしとかないとね。大桑村には道の駅木楽舎もあって、ここのレストランのステーキは安くて旨いとどこかの案内に書いてあった。数年前の12月末に名古屋方面からこの道を北上した際、ウィンタースポーツ帰りの名古屋方面への戻り車の渋滞に驚いたことがあったが、そういう時の休憩場所にもいいんじゃないでしょうかね。
  あとは木曾から伊那に抜ける一般道コースもあって、これもかなり昔のことになるが2回ほど通ったことがある。この妻籠から飯田に抜ける山道には木地師の集落があって、その時買った摺漆の欅椀(冒頭写真がそれで、相当に年期が入っている)などもう20年近く味噌汁椀に使っている。店の名前は小椋といったか、この苗字は全国の山々を渡り歩く木地師に多い名前で、舘岩村にある木こりの店も確か小椋だった。大元締めは大昔、近江永源寺町の小椋谷にいて轆轤を発明したという惟喬親王から認可を得たという作り話をでっち上げたとか。定家が小倉百人一首を選出するのに籠ったという小倉山の山荘、あの小倉の名も関連があるんじゃなかったかな。というわけで今でも覚えているんですよ。

 さらにナショナルトラストで保存維持されていて、今は無人の大平宿方面に行く大平街道と分かれる本道を降りれば飯田の手前、山懐に昼神温泉があって、2回ばかり夏場の1ヶ月前に予約してみれば満室とか、結構人気の温泉のようですな。ここからは伊那谷に入るのだが、谷といっても木曾に比べはるかに開けた盆地といった土地柄である。伊那は信州でも馬肉のメッカと聞くが、伊那谷だけは飯田でちょっとだけ観光しただけの我々の真空地帯となっているところだ。権兵衛峠の道が開通したから伊那と木曾の間は便利になったはずで、また計画を立てて来てみようかな。

 伊那からは4月半ば過ぎなら東側への山道を登って高遠の桜見物が定番となるだろうが、その時期は諏訪へ抜ける道は早めに帰らないと渋滞でうんざりすることになるでしょうな。というのは諏訪から高遠に向かうのも、朝早くに来ないと細い道に観光バスが混じって数珠繋ぎという可哀想な光景を見ているからねぇ。西側の山、駒ヶ根の千畳敷カールだって夏場は上高地や尾瀬と同じくマイカーは手前の駐車場に停め、バスでロープウェイに向かう方式ではあるものの、いずれも限られた時期の名所は早めを心掛けないと大変なことになるので、まず一番にそれらを消化してあとの予定を立てるように計画するのがコツというもの。ロープウェイは始発時間が決まっているが、高遠城なんぞは8時前に来てみれば入口の入場料徴収係りはまだ居ないので無料で入れるという、お得なことになるかもしれませんぞ。まさに早起きは三文の得というものだ。
  なにか木曾の話はもっと周辺まで足を伸ばせって言ってるばかりになってしまったようであるが、そう、木曾路は閉ざされた谷間に続く細い一本の通り道、ここを旅する人はその先はいずれか別天地に必ず向かうことになるんですよ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初夏の風に誘われて近間の温... | トップ | 初夏の四季の森公園は花が少... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

旅日記」カテゴリの最新記事