我々夫婦ともにクリスチャンではないんだけれど、日本人の何でもあり教だから世間様同様にクリスマス飾りを飾ることになります。でも小物中心で電飾の動く大型人形などは一切ありませんが、数だけは女房が毎年少しずつ買いだめたものだから多いのです。
室内で一番目立つのは食堂テーブルの後方の上下の棚の間で、我家では一番大きい部類に入る高さ60cmのクリスマスツリーと50cm*30cmのパッチワーク風飾りタペスタリー、それに小さなプラスティックやガラスの人形達が並ぶ。
まずは冒頭写真のクリスマスツリー、こんなに小さなツリーでもまぁ雰囲気は出ているでしょう、モール飾りや豆電球など別々に買ってささやかに飾り付け、電球は夜間のみ点灯させている。子供が小さかった頃には本物の鉢植え木を買ってきて飾ったこともあったけれど、あとの置き場には困っちゃったな。
タペストリーは女房の近所の友達が作ったのを貰ったとか、クリスマスの市販シンボルキッドを使ってパッチワークとしていると思うのだが明らかに壁掛用である。こういう壁に掛けるものは場所をとらないのがいいから、3月や5月の飾りにも利用している。
常に置いている我家の愛犬写真スタンドの前には、プラスティックの白熊サンタ人形をガラスの雪国風景ミニチュアなどと一緒に並べてみた。左端は箒を持っているからそれに乗って飛ぶ魔女だと思うんだけれど、緑地の服と赤マフラーを付けているからか、この仲間に何故か女房が入れている。
いずれも安物ばかりで節句飾りと比べたらお手軽感は否めないが、信者じゃないからこんなものでお茶を濁そうというわけだ。
<余分なことながら>
今朝の新聞に民主党小沢幹事長のキリスト教は排他的発言についての記事が出ていて、政治家の発言として慎重さをと書いてあった。
元々八百万の神様を信じた日本人は、曼荼羅に表されるような多用な仏様の信仰には抵抗がなかったから広く受入れられたのではないだろうか。それに対してキリスト教は、明治の自由化から布教の努力は大変なものがあったと思われるのに、お隣の韓国などと比べると信者の数は今でも非常に少ないという事実も考えてみてもいいのでは。これら一神教と多神教の背景についての諸説はこれまでも多くあって、最初に読んだのは森林の思考砂漠の思考という本だったかな、また耳の機能差から右脳左脳での日本人の特殊性を述べた本や脳塩野七海のローマ人の物語以後の本なども面白く読ませてもらったが、いずれにしても声を荒げて主張するのは止めにしておきましょう。
なにせ日本人の大多数は生まれて最初のお宮参りから始まり、結婚式の主流は今や神父さまの前で、死ねばお寺さんということに疑問を感じない。日常でも新年の神社仏閣参りから節句もクリスマスもと忙しいしね。
ということでクリスマスももはや日本に定着したお祭と楽しんじゃいましょう。でも真面目な人からは多様化という未来社会のキーワードを手軽に扱うなといわれそうだけれどね。