ちょいボケじじいの旅・酒・エーとそれとね

毎晩酒を愛で古き日本と温泉を愛す、少し物忘れも出始めた爺が、旅日記やコレクション自慢などと、時々の興味のままを綴る。

百済寺から信楽、関宿経由常滑へ

2008-12-14 17:39:25 | 旅日記

  

 翌朝はやや明るくなってから朝風呂に浸かり、一休みしてから7時半からの朝食バイキングには皆さんもお早いですねぇ。朝も品数豊富で僕は琵琶湖産と信じるシジミや稚鮎やジャコ類の佃煮を手始めに和食中心になるべく多くの種類を欲張っちゃいました。こういう朝食バイキングに定番らしいソーセージだけはそこの自家製でもない限り絶対に取らないのが僕の流儀、それと主食はお粥から食べて二杯目は御飯というのもいつもの仕来り、只の大喰いじゃないぞ拘りが有るんじゃと、こんなこと声高く自慢にするこっちゃないか。

 宿が琵琶湖東岸にあるから朝日が当る湖の風景が美しいとしばし湖畔散策してから、信楽に向う道筋からあまり外れない範囲でのお薦めの紅葉スポットを教えてもらい出発。比叡山川を除く琵琶湖周辺は湖北、湖東、湖南と分かれていてこのあたりは湖東三山と呼ばれるお寺の観光パンフレットから紅葉が一番なのは百済寺と、それにもう少し東の永源寺は地名にもなっているように一番の大寺だというのでこの二つを訪ねることにしたのです。

 まずは百済寺には1時間もかからないで到着、小高い山を登ったところにあって観光バスも2台続けてやってくるのにはそんなに有名なんじゃろかとややビックリ。無料駐車場もかなり収容できるからかなり立派なのでしょうと拝観料500円也を払って本堂までの250mの表示のある階段を登れば、やや急な階段沿いの楓がちょうど見頃で杉木立の中の木漏れ日で輝く様はやはり名所ですねぇ。由来看板で知ったが、本堂以下すべて信長によって焼き払われたそうで、その前の伽藍はかなり大規模だった名刹だそうです。再建の本堂はその昔の繁栄からみれば質素なものなんでしょう、目の前に樹齢400年以上の大木も注連縄が張ってあって御神木扱いになっていましたが信長焼き討ち後に植えられたものなんですね。料金所までの帰りは階段は足にくるからと皆さん同様に坂道で降りてくる。料金所脇から入る現在の庫裏の裏の庭園は池を中心に回遊式でここの楓の紅葉も真っ赤に染まって綺麗ですねぇ。それからこの庭園の上にはハテ何だろうと思った天下遠望の庭園というのがあって、眼下の回遊式庭園を眺めるのではなくて盆地の向こう遥かに安土城のあった山からさらに遠くには三上山や比叡山、そして途中に琵琶湖湖面の一部も眺められるという見事さ、これぞ天下の絶景に加えて、にっくき信長天下統一の安土山も眼下に見下すことからこういう名を付けたのですね。思わぬ時間をとられたけれどここは来てよかったね、天気もよかったし。

                       

                      

 さらにと十数kmほどにある永源寺に回ってみればこちらは民間だけでなく公営も有料の駐車場が満杯状態、観光バス観光客の数は百済寺よりはるかに多い様子でガイドさんの掲げる旗のあとをゾロゾロ歩く団体さんが何組も見かけられる。ここでも時間がかかるようだとあとの行程が大変と川沿いの奥の長そうな参道を車から覗いただけでサヨウナラ、またの機会にしましょうや。

 信楽まではややささやかな峠越えで1時間弱、もう何回も来ているから庁舎脇の無料駐車場に車を止める。まずは伝統産業会館でちょうど開催されていた県と市指定の無形文化財作品展を見る、無料というのがいいですねぇ。ちなみに現在の県指定は高橋春斎と上田直方のお二人で、市指定は5人となっていました。見物後は今晩の妨げにならない程度の腹具合にとカフェレストラン陶園という店に入り僕は海鮮焼うどんなるものを食べ、女房はサンドウイッチで済ます。やはり旅では宿が和食なので昼は洋食が多くなるのだけれど、関西まできたら東京ではあまりみられないものも食べてみましょうやということで、焼うどんを食べるのは何十年ぶりかな。そのあとはマップに書かれた窯元をずっと歩いて訪ねる時間が今回はないからと、以前からちょっといいなというものを置いていた数軒の信楽焼の店を回る。結局は土味という店で信楽風の素地を残し蕎麦手風絵付をした小川顕三のコーヒーカップを女房がお買上げ。この店は4代楽斎なきあと弟で現在の信楽焼第一人者である高橋春斎の作品を多く置いていて、その中で焼〆のコーヒーカップがあまりにも安いのでついつい僕も買ってしまった。なんでもご本人が高い値段をつけないそうで、特に雑記類は安くて他の作家がもっと高くしてくれないと自分達が食えないと嘆いているとか、もう81歳になる春斎さんは欲がないんですねぇ、名人はかくあるべきですか。店の主人がこのカップに合わせた皿は銘々皿風で焼がいいからそちらに回せば高いものだと、それとコーヒーカップは自然釉では中が綺麗な色に出来ないから初めから内側に灰を入れて焼くのが春斎流なんだそうです。帰ってからコーヒーを飲むのが楽しみですねぇ、この二つが買えればもういいやと。

                       

 次は伊賀丸柱は信楽と同じ土で兄弟といっていい焼物だけれど、土鍋などはこちらの方が知られているほか、やや豪快さでは勝っていると思います。伝統産業会館で窯元マップをもらってまずはもう何回かになる長谷製陶、ここでは何か安い出物があれば買ってもという心積もりだったので展示ギャラリーに入ると全て通常値段で東京でも同じ値段でこれは買えません。外には有名な飯炊土鍋のかまどさんなどのアウトレット品が少しばかりありましたけどね。この窯元中心に周辺では5月連休に窯出しセールをやっていましたから、それに合わせて来ることをお薦めします。でも伊賀焼陶器まつりは7月だと聞いていますが。また近くにはモクモクファームという元気印の観光施設があるのでそちらも是非回ってみて下さい。長谷園にはコーヒー自販機を置くレトロな大正ロマンの応接室があって、カップ付で300円となっていますから安物ですがどちらかがタダだと思えばいいでしょう。登り窯や穴窯を見物してからもう一つ人気の窯元土楽に回ればこちらには販売ギャラリーはなくて注文で焼くのでしょうか、ここの土鍋は高いですよ。最初に立寄った伝統産業会館には伊賀焼の各窯の作品を展示販売していますが、入場料を200円とはいえ取るのは戴けません、料金は2Fの資料展示見学だけにすればもっと焼物を買う客が増えるんじゃないでしょうかね。

                        

 次は名阪国道に乗ってしばし走れば関で降りて関の山という言葉で有名な古い街並見物にと道の駅に立寄る。ここから細い路地を250mほど歩けば関宿の中央部の街並に出る。ここも二回目だけれど、木曾妻籠や信州東部町の海野宿のように江戸時代からの宿場の街並が1kmほど続いているのが素晴らしく、それも普段の生活をしている家々ばかりで観光客目当ての店がなんにもないのがご立派なんだけど、ちょっとは賑やかさを演出してもとは思ってしまいます。関の山の山車の倉庫があって、ここの祭りで曳く山が民家の軒すれすれで且つ人々をかき分けかき分けでこれ以上はないことからと説明書きがありましたが、はて、ちょっとピンとこないから違った解釈じゃありませんかね、何方か正解を教えて下さい。

                        

 関を午後3時半過ぎに出て亀山ICから高速に入り名古屋伊勢路方面で名古屋港湾地帯を抜けて  ICで降りて一般自動車専用道経由、伊勢湾の向こうに沈む夕日と競争しながら常滑に入り、市街を抜けてから海岸沿いにしばし走って坂井温泉湯本館に午後5時過ぎに到着。この宿は夏場の海水浴客が一番のかきいれ時、そのほかは忘年会を兼ねてなどの客が多いのだと思いますが、中部国際空港セントレアができてからはどうなのと聞けばあまり変りは無いそうでこの日も3組の宿泊だけ、田舎のお母ちゃんまるだしの感じの女将さんは見かけなかったがどうしたのかな、これであれだけの食事量を出して大丈夫なのか心配になっちゃいますよ。昔は13000円くらいのコースで泊まって食べきれないこともあったので60歳を越えてはもう10000円で充分、夕食は空室が多いことから隣室に用意され、地の小魚料理中心とはいうもののクルマエビ、ワタリガニ、舟盛刺身、煮魚、天ぷらにいくつかの小鉢類さらには松茸の土瓶蒸まで出て、最後のデザートはマスクメロンときて飯はもういりません。ここの温泉は鉄分を多く含む鉱泉で大浴槽はそれをかなり薄めて透明な湯になっていますが、半露天の源泉浴槽は1坪ほどの大きさで湯温は体温程度にしてあるから長居できますが寒い時期はもうちょっと高めにしてもらいたい。翌朝は7時から入浴可となっている一番にこの源泉に入ろうとしたらまだ体温以下の状態で、以前はそれでも我慢して入ったのに今回はもう歳で意気地がなくなったのか足を入れただけで止めてしまいましたから。浴槽内は濃い赤茶けた湯のために手拭を漬けると染まってしまうほどですが、流れ出て入ってくる湯はかすかに色はあるもののかなり透明なので空気に触れて酸化してさび色になるのですね。


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