備前焼のカップは焼〆と火襷の2種を持っているのだが、なにかシックリしないものを感じる、それに比べると土味が引き立てる酒器や花瓶、皿類などの和風土物では極目つき評価となっていて、そういう先入観ががあまりにも強いところに原因があるのかも。
これら二つは備前焼の里の伊部に旅した時に買ったもので、今にして思えば窯元を何軒か訪ねたのだが、あまりコーヒーカップ類が置いてなかったように記憶する、だからだろうか、一つはデミタス用だし火襷のほうのソーサーは別物との組合せになっていて、どうしても備前のカップをということで敢えて買ってきたというのが本当のところ。
製造直売の小西陶古という銘を持つ女性作家の店で買ったものだが、その息子の陶蔵は今ではかなりの人気作家になっていて、僕もぐい呑を一個だけもっている、これは鎌倉の店で見つけて買ったもの、店主の講釈付きでしたよ。
備前の窯元の話では土が命の焼物なのでその確保が大事とか、代々保管して残してもらった土を大事に使っていると話していたが、これは常滑でも聞いたことがある、今もこの地に残っている一番いい土は田圃の下に眠っていて、有名作家達が権利を持つと言っていた。
備前は人間国宝作家が絶えないで指定されていて、国内でも大家が一番多いから皆さんが競合しては大変ですねぇ、でも競争で切磋琢磨するから質が高まるのかも。
やはり備前だけは全く釉薬を使わず土味に徹していて、和風の個性があまりにも強い焼物だから、やや洋風という器にはそぐわないのだろうと、どこかに洋風料理で備前を使っている店などありますかねぇ、あればその使い方を見てみたい、多治見では美濃焼の和風角皿を使った欧風食房魯庵という店があったけれど、それは地に白釉薬が掛かっていたから料理は映えていた。
2009年7月の一部修正しての再掲です、備前焼のカップはその後もあまり使うことが無くて