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旅行社の団体ツアーに参加するのは昨年の3月以来と久しぶり、各地方の定番のコースだと前にも行ったしなぁで触手が伸びないこともあったんだけど、今回は出雲大社の遷宮後ということとこの前は工事中でちょっとだけの参拝だけだったしで、もう一ヶ所の世界遺産の石見銀山は間歩の見物をしていなかったこともあって参加することに、最後の厳島神社は二回目ではあったがもう何回もという足立美術館が入っていなかったこともあって、一泊二日ながら三ケ所だけならそれぞれに時間が取れていろいろ見物できるだろうと、それと宿泊の玉造温泉は我々は初めてということで。今回のツアーでは多く撮った写真を中心にして、簡単なコメントを付けての旅日記とするつもり、冒頭写真はこのツアーの行程図である。
今回は久しぶりの飛行機で、それも9時55分発というゆっくりスタートなので家は7時に出て、YCATからのバスで飛行場には8時15分の到着と、こんなに早く着いちゃうもんだったかと、でも飛行機だと電車などよりも余裕を見込まないといけないからね。飛行機は遅れることはあっても早まることは無いから、待ち時間が長すぎるのは毎度のことで、早目に出発ロビーに行って飛行機の離着陸の様子を見ることに。
羽田第一ターミナル
出発ロビーの待合室でTVも見ながら
天気予報では出発時間には雨はあがるということだったのに止む様子は無くて、厚い雲の中に飛び立った飛行機は不安定な気流が予想されるからと、青空が見え始める高さまできてもシートベルト表示は点いたまま、そして何気なく下を見れば雲を突き抜けて富士山の姿が現れていた、これは予想外と、1時間ばかりのフライトでは5分ほど富士山が見られただけでもこの天候なら運が良かったかな。
富士山が眼下に
雲の着物を纏わせているような
この日は出雲地方も悪天候で視界不良とか、着陸不能も予想されるので降りる飛行場を変更する可能性も、最悪は羽田に戻ることも有り得るというような案内放送があって心配したが、着陸のために高度を下げていけば海岸線が見え始め、かなりの雨の中であったが出雲縁結び空港に無事着陸、でも猛烈な雷雨がその前からまだ続いていたから作業員は全員避難中で、雷雲が抜けて安全確認するまでの30分近くを飛行機に閉じ込められることに、こんなことは初めて。
雨がまだ激しい到着ロビーから乗ってきた飛行機を
この飛行場はJAL専用で宍道湖に付き出した滑走路をもっているんだとは、飛行場の案内看板で知りました、観光バスが迎えに来ていてツアー客は総勢36名だそうだ、この日は出雲大社だけの観光で、あとは宿泊する玉造温泉すぐ近くのお土産施設のいずもまがたまの里伝承館に少しだけ立寄って宿にということで、バスは運転手だけで、代わりに道中の案内役は羽田から一緒の旅行社添乗員のベテラン女性が、これがよく喋ってくれるんだ。
出雲大社までは飛行場から30分ほど、この時間内に羽田で配布された弁当を食べることになって忙しいことに、羽田で配ったのは飛行機の中でも食べてもらおうということだったのかも、でもそれも早すぎるしでバスでとしたんだけど、今回のツアーでは団体用の食事処を二日目も利用することが無くて、これは時間の無駄が無くて返ってよかったかな。
前回は門前町となる神門通りという場所は通らなかったからこんな場所があることは知りませんでした、バスは石造りの一の大鳥居から神門通りに入って、二の鳥居手前で左折して駐車場に、前回のツアーではこの通りを使わずに逆から来たものか、本殿は工事用の覆いの中で屋根の葺き替え中であったが神楽殿と仮社殿だけの慌ただしい見物であった記憶が、バスは確か古代出雲歴史博物館直前の通リを通った記憶があって、やっぱりその先に続く神門通りはその時のバスの席の反対側で、それも直行方向にあったから気が付かなかったらしいと、今回この周辺を歩いてみてやっと分かった。
一の石鳥居
前方に二の木製鳥居
駐車場には平成の大遷宮の予定看板があって、本殿は昨年に終了したがその他の社殿などはまだこの後も順次修造され、平成27年まで続くとあった。聞くところによると出雲大社の御利益が一番ある年をおかげ年といって、それは本殿の遷宮のあった年の翌年だそうで、ちょうどいい時に来たことに参拝できましたねぇ。
出雲大社の案内説明は駐車場のすぐ前にあるお土産屋の店員さん、こういうのは団体ツアーではよくあることで、団体行動で一周し終わったところでお買物をという訳だ、我々はまぁ説明だけは聞くとしてそのあとは勝手に動くことにしています。まず最初の説明は駐車場から境内に入る手前で、さざれ石と神迎えの儀式のレリーフがある塀について、この石は岐阜県で発見されたもので出雲産ではありません、確か香川の金毘羅さんにもあったような。
君が代に歌われるさざれ石
境内はまずは75畳の大日章旗を掲げるポールの先にある神楽殿から、幸いにも雨も時々小雨ぐらいとなってきたものの、絹で出来ているという日章旗はお天気が良くないと揚げられていません。神楽殿ではまずは日本一の4.5トンもあるという注連縄を見上げたら、この前に5円玉を投げ突き刺すことに成功した小口には亀甲金網が貼られていて、もう差し込めませんという、既に入っていたコインが金網に引っかかっているのはやや興ざめでしたな。
大日章旗ポールの先に神楽殿が、ポールの高さは47mと昔の本殿の高さより1m控えているんだそうだ
この神光満殿の額の裏の壁にステンドグラスとは何故に?
金網でもうコインを投げ込めない、昔のものが落ちてきていて、注連縄については傷んできたら取り換えるということだがもち米の藁だそうだ
神楽殿前の床石には川の流れを表現した模様が、奥に見える柱には湧水が流れ出ている
細かい砂利敷きには乱れ留めの工夫があって歩きやすい
神楽殿から本殿には外側を回って参道正面側から正式に入ることに、この前はこちらから入いらなかったのがいけなかったか、その入口に四の鳥居となる銅鳥居があって、これが年代が分かる境内で一番古い建造物だそうだ、その他のものは何回かに渡って造り替えられているとか。またこの鳥居手前には松の参道があって、その先を見ると二の鳥居側直前が高くなっていて、通常の神社は登った場所にあるのにここだけは下っていくようになっていて、これは根の国に行くということですかね。この周辺にはほかには大国主命の像などがあって、松では一番古いのは樹齢400年などと、この辺りもこんなものがあったのねと今回初めて見ることに、やはりこれだけ大きい神社はそれなりに時間をとって見物しないとダメだよね。
この神社庁舎はコンクリート造で菊竹清訓の設計、これは僕が学生の時に何かで見た、出雲大社はハイカラさんだ思ったものだ
松の参道
奥に見えるのは因幡の白兎伝説を表現した御慈愛の御神像
海神から波間の玉を受けるムスビの御神像
手水舎で清めてからいよいよ銅鳥居をくぐることになる。
正式には四の銅鳥居から入るということだ、正面は拝殿(屋根葺き替え中の御仮殿)
祖父黄門輝元卿の文字が
まずは拝殿からそして御本殿にもと、ここの拝礼の仕方は一般の二礼二拍手一礼じゃなくて二礼四拍手一礼で、格式が高いほど拍手が多いとか、添乗員さんは伊勢神宮の昇殿参拝では八拍手、あと宇佐神宮が四拍だったと思うとの話が、本当ですかね。
拝殿の注連縄も大きいが
拝殿と奥に本殿
御本殿正面
敷石に発掘された3本組柱の原寸大位置が本殿前に
発掘時の様子が、往時には48mの高さがあったというのは本当だったらしいと、発掘した実物は古代出雲歴史博物館で公開とある
大社造りの御本殿を西側から、ご神体はこちらを向かれているという
絵馬はやはり縁結びの絵がほとんど
神在月に集まられた神様たちの宿舎が東西に長く続く、こちらは東十九社
一周してくれば駐車場からも見えた宮司の屋敷が、ここの宮司は千家が最初から代々続いて現在で84代という、天皇家に次ぐ由緒ある家柄、つい最近に85代となるはずの長男国麿氏と故高円宮次女典子さまの婚約ニュースがあったばかり、縁結びの大元締めの神様に相応しいことで盛り上がっておられるときに参拝できましたね。
千家正門