最近はやはり、西武の赤電が懐かしく、皆様の Blog やホームページを
見させていただいています。
その中で最近気付いたのが、chitetsu様の
『吊り掛け電車をもとめて』
です。そして西武園線で活躍していたクハ1411形の記事に当時を懐かしく感じ、
古い写真を見てみました。
当時はハーフサイズどころか、ポケットカメラしか持っていませんでしたので
画像の悪さには悪しからず…
1979年と言えば、既に411系改造による401系も誕生し、7月にはN101系2連も
東急車輌にて製造されました。
これにより一気に旧型の2連の廃車が加速しました。
1979年6月6日 東村山駅 クハ1421-クモハ362+クモハ469-クハ1450
1979年4月18日 東村山駅 クモハ362-クハ1421+クモハ454-クハ1489
クハ1411形は新宿線ではクモハ451形と組まれていましたが、池袋線ではクモハ351形
との編成でしたね。
ただ、末期には多摩川線に配属されたため、一時的に新宿線でも351形との編成が
見られました。多くが多摩川線での最後の活躍の後には休車になっていましたが、
何故かこの クモハ362-クハ1421 だけは南入曽所属となり、本線系統でも最後の
活躍をしていました。
画像は残っていませんが、当時の編成の記録として
1979年5月16日 国分寺線(朝ラッシュ時のみ)
クモハ362-クハ1421+クモハ420-クハ1459
1979年5月30日 東村山11:48発(新所沢発各駅停車西武新宿行)
クハ1714-モハ714-モハ713-クハ1713+クモハ362-クハ1421
1979年6月6日 新所沢駅
クハ1424-クモハ363+クモハ364-クハ1423+クハ1422-クモハ361
国分寺線で362編成が使用されていた同じ日に、新所沢駅横の電留線には
6両が休車となっていましたが、この1箇月半程後には、362編成を含めた
8両が所沢駅電留線に移動され、譲渡改造待ちだったようでした。
1979年6月5日 東村山駅 クハ1708、クハ1446
こちらは351形絡みではありませんが、同じ時期の西武園線、国分寺線です。
1978年12月1日 小手指車輌管理所 デハ232+クハ36-デハ236
こちらは半年程遡りますが、上毛電鉄向け甲種回送待ちで留置されていたもの。
前照灯がシールドビーム2灯に、クハ1411形の屋根が塗屋根になっているのにも
驚いたものでした。
見させていただいています。
その中で最近気付いたのが、chitetsu様の
『吊り掛け電車をもとめて』
です。そして西武園線で活躍していたクハ1411形の記事に当時を懐かしく感じ、
古い写真を見てみました。
当時はハーフサイズどころか、ポケットカメラしか持っていませんでしたので
画像の悪さには悪しからず…
1979年と言えば、既に411系改造による401系も誕生し、7月にはN101系2連も
東急車輌にて製造されました。
これにより一気に旧型の2連の廃車が加速しました。
1979年6月6日 東村山駅 クハ1421-クモハ362+クモハ469-クハ1450
1979年4月18日 東村山駅 クモハ362-クハ1421+クモハ454-クハ1489
クハ1411形は新宿線ではクモハ451形と組まれていましたが、池袋線ではクモハ351形
との編成でしたね。
ただ、末期には多摩川線に配属されたため、一時的に新宿線でも351形との編成が
見られました。多くが多摩川線での最後の活躍の後には休車になっていましたが、
何故かこの クモハ362-クハ1421 だけは南入曽所属となり、本線系統でも最後の
活躍をしていました。
画像は残っていませんが、当時の編成の記録として
1979年5月16日 国分寺線(朝ラッシュ時のみ)
クモハ362-クハ1421+クモハ420-クハ1459
1979年5月30日 東村山11:48発(新所沢発各駅停車西武新宿行)
クハ1714-モハ714-モハ713-クハ1713+クモハ362-クハ1421
1979年6月6日 新所沢駅
クハ1424-クモハ363+クモハ364-クハ1423+クハ1422-クモハ361
国分寺線で362編成が使用されていた同じ日に、新所沢駅横の電留線には
6両が休車となっていましたが、この1箇月半程後には、362編成を含めた
8両が所沢駅電留線に移動され、譲渡改造待ちだったようでした。
1979年6月5日 東村山駅 クハ1708、クハ1446
こちらは351形絡みではありませんが、同じ時期の西武園線、国分寺線です。
1978年12月1日 小手指車輌管理所 デハ232+クハ36-デハ236
こちらは半年程遡りますが、上毛電鉄向け甲種回送待ちで留置されていたもの。
前照灯がシールドビーム2灯に、クハ1411形の屋根が塗屋根になっているのにも
驚いたものでした。
362+1420が晩年南入曽に配置されていたとは
初耳でした。
昔、365Fだったか、4連が新宿線で走っていて、
国分寺線の運用についていたことは覚えています。
1979年頃というと、新宿線には赤電、401系、
101N系、2000系、とバラエテイに富んでいま
したね。
相互に連結できないので、運用には苦労したことで
しょう。
1979年の夏に101Nの2連を久米川付近で初め
てみた時は驚いたものです。
362Fのみが正式に南入曽所属になっていたのはやはり
所要両数の都合だったのでしょうね。期間は短かった
ようでした。
新宿線には351系の4連がありましたね。801系と組まれ
ていたこともあったような。
365Fはクモハ358と共に一番最初に廃車になってしまった
気の毒な編成でしたね。まあ365Fは3両が大井川鉄道に
譲渡されましたが。
新宿線では車種の問題の他にも、当時は6両までしか
各停は入れず、萩山で併合を行っていたことが、夏の
西武園花火大会多客時輸送もネックでしたね。
2+2+2の6連の切り離し位置を駅で迷っていたり…
N101系の2連8本が竣工した時に、新宿線の6連3本を
4+2連に置き換えたのも本当に意外でした。
所工の丁寧な仕事と相まって本当に美しい姿ですね。
赤電になって初めの頃の501・551・451系などは床下足回りは
黒色でした。昭和37年末601系が登場するとモハの新型台車
に合わせて下廻りも明るいグレー塗装となりました。
勿論クハはTR-11のままでしたが、こちらもグレー塗装になった
為返って古さが目立つ結果となってしまいました。ただこれ以降
在来の吊り掛け車達も堰を切ったように皆グレーに塗り替えられ
てゆきます。個人的には吊り掛け車は黒色の方が似合っていた
と思います。
それから551系等の新車が赤電で出場するようになった後にも
旧型社型や311系以前の車両は暫くは茶、黄色の旧塗装での
出場でしたが、これも1年後位には赤電で出場するようになりま
した。
362+1421最終新宿線だったのは知りませんでした。351系は全
車グロベンになりましたが、501系や451系にも波及するのかと
思いましたがそれは無かったですね。グロベンの501系見たかっ
たです。・・長文失礼しました。
所沢工場や大場工場出場の車両は新車と思う程いつも
綺麗に整備されていましたね。
台車・床下機器の塗装、国鉄では黒でしたね。JRに
なって、西のグレーは美しく感じるものです。
551系登場後もまだ、旧塗装は続いていたのですね。151系の
赤電塗装も実際にはあまり記憶は無いのですが…
362-1421の池袋線編成が南入曽に一時所属になった時、
支線での活躍にはあまり違和感はありませんでしたが、
西武新宿まで本線を走ったのには驚いたものでした。
351系がグロベンになったのは、更新に併せてでしたね。
この時にパンタグラフも PS-16 タイプに交換され、やや
近代化されたイメージでした。
クモハ451形の中で、一畑電鉄に譲渡されたものだけは
グロベンに交換されていましたね。
501系がグロベンになっていたら、70系とそっくりな姿
でしたね。