モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

廃車体の倉庫

2012-05-11 05:38:00 | 伊豆箱根鉄道
大場工場には何代か廃車体を利用し、倉庫として使用されていました。
初めて伊豆箱根鉄道を尋ねた1976年には、旧形国電17m車体を再生させ使用の後、廃車となった車体が倉庫になっていました。

その後、3000形の順調な増備により余剰となったサハ2007(元西武サハ1521)が、倉庫になりました。

1991年10月6日 大場工場


このサハ2007、暫くすると再塗装されていましたが、なぜかクリーム色1色になりました。何だか東上線の電車みたいですね(笑)

1994年6月28日 大場工場


西武の701系が1100系として譲渡された際に、4連→3連化されましたが、その際に余剰となったモハ777が倉庫になりました。(伊豆箱根鉄道では車籍はありません。)

1991年10月6日 大場工場


モハ777の電装品は、西武クハ1777→伊豆箱根モハ1011に使用され、その際にこのモハ777の台車は廃車余剰となっていたTRに履き替えました。
黄色い西武の電車にTR台車って言う、不思議な組み合わせですね。
しばらくしてこのTR台車を大井川鉄道に譲渡することになり、このモハ777は西武鉄道より予備の分も含めて譲り受けていたFS-342Tに再度履き替えていました。

1996年10月13日 大場工場


1000系第4編成が廃車になると、中間車モハ1008が倉庫になりました。こちらはしばらくの間、モハ1007、クハ2004も解体されずに留置されていました。

1999年10月23日 大場工場


2001年3月5日 大場工場


そして1000系が全て廃車解体されてしまった今も、このモハ1008は赤電を伝える貴重な存在です。
ただ、走らせられない車両は、日照により塗装にひび割れが生じ、そこに雨水が浸入し更に塗装を痛めてしまうそうです。
貴重な存在な為、何とか維持していただきたいです。

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4 コメント

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Unknown (団塊鉄ちゃん)
2012-05-11 18:34:27
モハ1005-モハ1006-クハ2003様 お世話になります。  
 今回の廃車体の倉庫車両、どれも大変懐かしいです。サハ2007だった
西武1521は二代目501系のトップナンバー521Fですね。521Fは新車で初
めて見た時の興奮は今でもはっきり覚えています。クリーム色になっていた
のは知りませんでした。モハ777も赤電時代は池袋線で御馴染みでした。
なんかTR11を履いた冷改車って本当に現存したような錯覚に陥ります。
自分が大場を訪れた昭和44年の倉庫はクハ23の鋼体化後の抜け殻木造
車体でした。現在はモハ1008なのですね。歴代廃車体倉庫というのが
面白いです。貴重な記録を見せて頂きありがとう御座います。
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Unknown (モハ1005-モハ1006-クハ2003)
2012-05-11 20:06:32
団塊鉄ちゃん様、いつもありがとうございます。
西武の黄色い電車でTR11台車、以前見せていただきました試験塗装のクハ1747・1748がありましたね。まあこれはツートンですが…
『モハ777』と言う縁起の良いナンバーのため、そのままナンバーも残されていたのかもしれません。西武の社紋も残っていました。
モハ1008は今、さすがに塗装がかなり酷い状態だそうです。昭和46年製の赤電、西武ではもう赤い電車の新造は無かったため、正真正銘の最後に造られた赤電です。
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Unknown (つのすけ)
2012-05-12 22:48:33
先日のイベントで、大場には参りましたが、奥にあったモハ1008は見学させて欲しいといえず、見られずじまいでした。最初は編成で留置されていたのですね。
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Unknown (モハ1005-モハ1006-クハ2003)
2012-05-12 23:16:30
つのすけ様、
2004編成はしばらく倉庫のモハ1008と共に、3両で留置されていました。2002年6月に訪問した際にも、モハ1007は方向幕、前照灯、ワイパー、パンタグラフが無くなった程度、クハ2004は方向幕とワイパーがなくなった程度でした。
この2004編成と、定位置にいた2003編成はクハ側から見ると、廃車と思えず仲良く並んでいる感じでした。
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