12月27日 (水曜日) 晴れ 冷たい風が吹いている。
お正月に備えて”お米ツキ=精米”をしておく。
風も冷たくって、今日は外は出ないでブログ日記書きだ。
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新潟日報 25日の 日報抄 に
今年は映画監督、小津安二郎の生誕120年、没後60年に当たる。
筆者は特に映画好きではないが、その作品が海外でも高い評価を受け
「世界のOZU」と呼ばれることは知っていた。
ローアングルにこだわり、
佐田啓二氏も若い!「中井貴一氏の父上だ」私の父親が恐れ多くもちょっと似ていた。
このローアングルが 多くの映画監督に影響を与えたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼1本見てみることにした。
サンマの旬は過ぎたけれど、遺作「秋刀魚の味」のDVDを手に取った。
笠智衆さん演じる初老のサラリーマンが妻を亡くした後、
一家を切り盛りする娘の結婚を心配するストーリーである。
★私も数回は見ている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「男はつらいよ」では法衣姿の笠さんは、
三つぞろいのスーツが意外に似合った。
娘役の岩下志麻さんは「極道の妻たち」では
豪華な着物をまとっていたが、
エプロン姿がとても新鮮だった。
ただし、この作品のどこが良いのか、説き明かすのは難しい・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼気になったのは、約2時間の作品の中で
サンマを買うシーンも、
サンマを焼くシーンも、
サンマを食べるシーンも
見当たらなかったことだ。
念のためにDVDを2回見返したが、
やはりなかった
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼サンマが登場しない理由をインターネットで調べてみようと
ノートパソコンを開きかけてやめた。
作品が公開された60年前は、
ネットもパソコンもスマートフォンもなかったはずである。
当時の観客たちと同じように、自分の頭で考えてみようと思った
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「何でもないことは流行に従う。
重大なことは道徳に従う。
芸術のことは自分に従う」。
小津はこんな言葉を残した。
筆者にとっての「謎」を解く手がかりになるだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★私も個人的に小津作品を沢山見てきた。
それは母親が”原節子”が大好きで、
小さい頃の私によく話をしてくれた。
自動的に監督は小津監督となる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コラムを書いた方は若い世代であるようだ・・
当時の世相を知らないと理解に悩むであろう。
私はネットで意見を調べてみる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ネット上にいい答もある。
〇この作品は、婚期が遅れている娘を持つ父親・周平の心情を、
周囲で起きる様々な事柄を通して描いていると感じます。
〇自分と同じく妻に先立たれた親友が、娘のような女性を
後妻に迎えると知ってショックを受けた上に、
その嫁が体を気遣って薬の心配をする姿を通して、
自分が体を心配される老境に入っているのだと自覚する。
〇同窓会にかつての古典の教師を呼ぶことになり、
自宅を訪ねるとギスギスした中年の女が現れ、
それが恩師の娘だと知り漠然とした不安を覚える。
〇娘の結婚を真剣に考え始め、長男の親友を候補として探りを入れるが、
すでに結婚が決まっていたと知り、自分のアクションが遅かったことを後悔する。
〇のり子の婚礼当日、散会後に海軍時代の部下に連れられて行った
トリスバーに礼服のまま立ち寄り、マダムに「お弔いの帰りかしら」と言われ、
「まぁ、そんなもんだよ」と自虐的にショットグラスを煽る。
この辺の情景が、父・周平にとっての【苦味】だと思います。
〇奇しくもトリスバーのマダムが、亡き妻の面影を宿してしたのを見た周平の心情。
これは周平にとっての【しょっぱさ】だと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小津作品の常で父親やその一家は、世間より恵まれた環境ではありますが、
初老の男の身の回りで起きる日常を淡々と描くことで、
娘を持つ父親の心情を秋刀魚の味に例えて映し出していると思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とあった。
話は少し脱線するが
★舌が苦みを覚えるのは一番最後だという。それはサンマのはらわたで覚える。
味覚の閾値の順番は?
味を感じるのに最低必要な刺激量のことを味覚閾値といいますが、
この閾値は大きいものから並べると、
甘味、塩味、酸味、苦味となります。
つまり、苦味が一番感じやすい味というわけです。
★ =================================
★鎌倉の円覚寺に小津監督のお墓がある。
<img style="font-size:18px;">”無”一文字であった
お正月に備えて”お米ツキ=精米”をしておく。
風も冷たくって、今日は外は出ないでブログ日記書きだ。
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新潟日報 25日の 日報抄 に
今年は映画監督、小津安二郎の生誕120年、没後60年に当たる。
筆者は特に映画好きではないが、その作品が海外でも高い評価を受け
「世界のOZU」と呼ばれることは知っていた。
ローアングルにこだわり、
佐田啓二氏も若い!「中井貴一氏の父上だ」私の父親が恐れ多くもちょっと似ていた。
このローアングルが 多くの映画監督に影響を与えたという。
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▼1本見てみることにした。
サンマの旬は過ぎたけれど、遺作「秋刀魚の味」のDVDを手に取った。
笠智衆さん演じる初老のサラリーマンが妻を亡くした後、
一家を切り盛りする娘の結婚を心配するストーリーである。
★私も数回は見ている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「男はつらいよ」では法衣姿の笠さんは、
三つぞろいのスーツが意外に似合った。
娘役の岩下志麻さんは「極道の妻たち」では
豪華な着物をまとっていたが、
エプロン姿がとても新鮮だった。
ただし、この作品のどこが良いのか、説き明かすのは難しい・・・・
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▼気になったのは、約2時間の作品の中で
サンマを買うシーンも、
サンマを焼くシーンも、
サンマを食べるシーンも
見当たらなかったことだ。
念のためにDVDを2回見返したが、
やはりなかった
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼サンマが登場しない理由をインターネットで調べてみようと
ノートパソコンを開きかけてやめた。
作品が公開された60年前は、
ネットもパソコンもスマートフォンもなかったはずである。
当時の観客たちと同じように、自分の頭で考えてみようと思った
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼「何でもないことは流行に従う。
重大なことは道徳に従う。
芸術のことは自分に従う」。
小津はこんな言葉を残した。
筆者にとっての「謎」を解く手がかりになるだろうか。
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★私も個人的に小津作品を沢山見てきた。
それは母親が”原節子”が大好きで、
小さい頃の私によく話をしてくれた。
自動的に監督は小津監督となる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コラムを書いた方は若い世代であるようだ・・
当時の世相を知らないと理解に悩むであろう。
私はネットで意見を調べてみる。
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ネット上にいい答もある。
〇この作品は、婚期が遅れている娘を持つ父親・周平の心情を、
周囲で起きる様々な事柄を通して描いていると感じます。
〇自分と同じく妻に先立たれた親友が、娘のような女性を
後妻に迎えると知ってショックを受けた上に、
その嫁が体を気遣って薬の心配をする姿を通して、
自分が体を心配される老境に入っているのだと自覚する。
〇同窓会にかつての古典の教師を呼ぶことになり、
自宅を訪ねるとギスギスした中年の女が現れ、
それが恩師の娘だと知り漠然とした不安を覚える。
〇娘の結婚を真剣に考え始め、長男の親友を候補として探りを入れるが、
すでに結婚が決まっていたと知り、自分のアクションが遅かったことを後悔する。
〇のり子の婚礼当日、散会後に海軍時代の部下に連れられて行った
トリスバーに礼服のまま立ち寄り、マダムに「お弔いの帰りかしら」と言われ、
「まぁ、そんなもんだよ」と自虐的にショットグラスを煽る。
この辺の情景が、父・周平にとっての【苦味】だと思います。
〇奇しくもトリスバーのマダムが、亡き妻の面影を宿してしたのを見た周平の心情。
これは周平にとっての【しょっぱさ】だと思います。
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小津作品の常で父親やその一家は、世間より恵まれた環境ではありますが、
初老の男の身の回りで起きる日常を淡々と描くことで、
娘を持つ父親の心情を秋刀魚の味に例えて映し出していると思います。
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とあった。
話は少し脱線するが
★舌が苦みを覚えるのは一番最後だという。それはサンマのはらわたで覚える。
味覚の閾値の順番は?
味を感じるのに最低必要な刺激量のことを味覚閾値といいますが、
この閾値は大きいものから並べると、
甘味、塩味、酸味、苦味となります。
つまり、苦味が一番感じやすい味というわけです。
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★鎌倉の円覚寺に小津監督のお墓がある。
<img style="font-size:18px;">”無”一文字であった