クリ☆エリーの散歩道

☆2013・5 北海道に移住
     エリーはいなくなったけど 
     クリ!たくさんお散歩しようね。

八甲田山

2005-09-13 13:40:23 | お出かけ いろいろ

青森から十和田八幡平国立公園を通って
十和田湖に抜ける

途中に 八甲田山雪中行軍遭難者像と遭難場所があった
                  
碑文を全引用
明治三十五年一月二十三日午前六時五十五分、陸軍歩兵大尉-神成文吉率いる二百十名の一隊は、
この地を通過して、田代元湯温良へ向かい翌日八戸平野へ上陸するロシア軍を、
三本木平野で迎え撃つという想定のもとに幸畑陸軍墓地を後にした。
その途上において猛吹雪に遭い、三昼夜にわたり孤立し、辛うじて救助され方者が、
わずか十七名、百九十三名が凍死した大遭難事件である。
この惨状を連隊に報告するべく、指揮官神成大尉の命をうけた後藤房之助伍長が
出発以来五日目の二十七日正午、豪雪の中、仮死状態のまま佇立しているところを捜索隊に発見された。
村上其一軍医の手当により十一分後に蘇生し、そのかすかな発言により遭難事件のあらましが明らかになった
この手柄が認められ、銅像建立となった。
モデルは、遭難事件の象徴的な存在となった-後藤房之助伍長、製作者は大願氏広である。
銅像は明治三十七年十月二十三日竣工したが、日露戦争中のことであり、
軍当局の配慮から明治三十九年七月二十三日、軍・官・民・それに遺族ら多数の人々の参列のうちに
除幕式が執り行われた。銅像建立の目的は
「遭難の事実を明らかにし、且つ後の行軍する者の目印とする」とあります。
                              東八甲田観光開発協議会
            
 銅像は 八甲田山を背に建っていました

            
               雪中行軍遭難の地

 下士卒に比べて将校の生還率が高いのは上官を守った兵士の行動があったからである。
雪中から発見された上官を守るように死亡している兵士の姿に捜索隊の兵士たちも思わず涙したという。
 上官をとり囲むようにして立ち凍死していたとありました
最後の最後まで 自分達の命を張ってまで守り抜いた上官の命
若い子が多かったそうです
       幸畑陸軍墓地 雪中行軍遭難資料館
銅像は遭難地より 高い所に建っていましたが 遭難の地は 
駐車場の直ぐ近くの低い場所にありました

            
              十和田湖
途中の酸ガ湯や記念館お墓にも寄りたかったのですが 時間がなくて十和田湖に直行
 
            
夜は 十和田荘に泊めて頂きました
玄関で「ポメちゃんだね ワンちゃんがいると旅行大変だよね ごゆっくり」
と 声をかけていただきました
2F 和室8帖 部屋の前は階段とエレベーターになっていました
クリ エリーも心得てか ワンキャン 一言も吠えませんでした
食事に行く時はケージに入れて行きましたが お布団敷きに来られた方には
多分・・すごく吠えたと思います・・
                           写真提供 主人
 明日は奥入瀬です