私がお邪魔している“石内の四季”というブログをされているかたの「私の作品も出し
てます」と言う、お言葉に『第21回広島市民平和の集い』の絵本「わたしのヒロシ
マ」原画展 と 世界遺産・写真展 原爆ドームと宮島へお邪魔しました
何も知らない私は、“石内の四季さん”のいつも掲載される素晴らしい写真を拝見す
るつもりでお邪魔しました
受付で案内のチラシを頂き、大きな布に描かれた原爆の作品の説明を聞いたり、シ
ョーケースに入れられた英語の絵本を見たりしながら、目的の写真展示を見つけ、
かなりたくさん出展されているのに驚きながら、『あっこれブログで見た写真だ』など
と、暢気に見ていて、ふと、忙しく準備などをされている、スタッフぽい黄色の上着を
着た人に気付き『あれ?!もしかして・・』と思い「○○さんですか? キャサリンで
す」と挨拶。
私はブログでお顔を拝見していたのですが、私の印象はどうだったのかなぁ~
まさか、会えるとは思っていなかったので、私自身もビックリし、感激しました
それから、色々と説明を丁寧にしていただき、初めて「森本順子さん」という絵本作
家であり画家の方のことを知りました
ショーケースに入っていた英語の絵本の謎も解けたのです
1932年に広島に生まれ、1945年に被爆、その後美術大学に進まれ、1982年オ
ーストラリアのシドニーに移住。
現在は日本民話、日本文学をベースにしたものなどを描かれて出版。
中でも、今回原画を展示されている「My Hiroshima」は自らの被爆体験をもとにし
た作品。
その画風は、やさしくて、とても懐かしく、きめ細かくて、可愛いく、なんともほのぼ
のとしたもので、私的にはとても好みの絵でした
今回頂いた絵本は、森本先生が原爆にあわれる以前からの生活の様子、原爆投下
の時、その後目に焼きついた地獄などが、描かれています
私の母は高女3年生で、原爆投下時は“学徒動員”で工場で働いていました。
そして、原爆投下により建物はペシャンコになり、砂山のおかげで、建物の下敷き
にならず助かり、反対側で働いていた同級生は亡くなったそうです
母は、思い出したくないのか、ほとんど原爆の話はしませんでしたので、あまり記憶
に残っていません。
“森本順子先生の絵本”
絵本の表紙
“わたしの思い出の街、ひろしま。海に面して緑の山に囲まれ、七つの美しい川の流れる街。”
“ひとりで遊ぶのが好きだったわたしは、一日中家にいて絵をかいたりした。”
“大好きな図画を教えるのは、厚い黒ぶちのメガネをかけた先生。四年生になった冬、大きな戦争が始まった。”
“食べ物や着る物が店からどんどん消えていった。夏休みもなくなり、みんな戦争の訓練ばかりさせられた。”
“ものすごい光と、ばく発の音にわたしは打たれた。目が焼け、全てが真っ暗になった。わたしは姉のひざにしがみついた。くらやみの底へとおちながら思った。「死ぬ、死ぬ、わたしは死ぬ・・・」と”
“わたしは見た。死んでしまっているお母さんを、おこそうとして泣いてさけんでいる子供を。”
原爆投下後の広島の街、何もかも焼き尽くされ、砕かれ、なぎ倒された街
16万人もの人々を飲み込んだ原爆
あんなもの、人の頭の上に落とすものではありませんよ(by8月6日のドラマ)
オーストラリアの子供達と
受付の方が“石内の四季さん”を呼びに来られたので、わたしも失礼をしようとして、
石内の四季さんに挨拶をし、出口を出ようとして、石内の四季さんと話されているの
はもしや、と思い受付の方に、「森本順子さんですか?」と聞くと「そうですよ」と言わ
れ、それを聞きつけ、石内の四季さんが、わたしを紹介してくださったのですが、なん
とわたしのブログ名をご存知のようで、オーストラリアから、石内の四季さんのブログ
に、コメントを寄せていらっしゃるとか、こんな行き当たりばったりのブログを見られて
いたなんて、うれしいやら、恥ずかしいやらでとにかく感激してしまいました
石内の四季さんに、思いがけずお会いできたし、その上著名な森本順子さんにもお
会いでき、ハッピーで一生忘れることができない日になりました。
追伸:第22回・広島市民平和の集い『親子で考える平和な世界』が開催されます
7月30日(金曜日)13時~15時
広島国際会議場 フェニックスホール
入場料 1000円(小学生無料)
興味のある方はどうぞ
原爆の怖さを世界に発信する素晴らしい活動に感動しました。
情熱とは無縁で生きて来ました私なので、こういった活動をされている方々を見たり、接したりするととても感動をします
昨日テレビで放映されていましたが、森本順子さんは現在健康体ではないとのこと、遠くオーストラリアからいらっしての今回の活動に、頭がさがる思いです
石内の四季さんも、「マイヒロシマ」に英訳で、参加されていて、すごいなぁ~と尊敬のまなざしです