昨日も天気はまあまあだったが、今日はもっと良い天気だぁー
ツアーなか日はオプショナルツアーとなっていて、目的地別のバスに乗り込んだ
「Aコース」「世界遺産・熊野三社参り」・・私達はこちらに参加
「Bコース」「瀞峡ウォータージェットと勝浦漁港セリー見学」
「Cコース」「本州最南端・潮岬とくじらの町・太地、紀の松島遊覧船」
「Dコース」「パンダに会える!白浜アドベンチャーワールド見学」
全部で7台ある中で、我らAコースは1台で30名ぐらいだったので
一番少ないツアーだったかも・・・
『熊野三山』とは熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の3つの神社の総称。
神社なのに、仏教的要素が強く、日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社。
2004年7月に、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録。
最初の那智大社を目指して
ホテルから那智大社までの道則で、私は全然記憶になかったが、このあたり一体、
明治以来の大洪水で、半端ない超ド級の水害被害にあったのですね
ガイドさんの話では3年経つらしいのですが、川はどこもかしこも復旧作業中
山はあちらこちらで大規模の土砂崩れの跡
道も何とか復旧され、通れるようになったとか、山道を走行中遥か下に見える大河
があふれ、道の駅をも飲み込む水位の高さに、にわかには信じられない思いだった
その時のことを忘れないようにと、水位の高さのモニュメントが立てられていたが
私達の乗るバスよりも高かった、ヒェェェ~なんとも怖いことです
『飛龍神社』 大木の杉木立を抜け、那智の滝へ到着
『那智の滝』
日光の華厳の滝と比べて、水量が少ないと説明あり、だが、高さは133mで
那智の方が33m高いとのこと
たしかに、水量は少なかった、華厳は後ろに湖がありますもんね
この階段の先に『那智大社』
熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により
仏堂が廃されたが、那智では観音堂が残された
それが、同じ境内にある『那智山青岸渡寺』として復興したのがこちら
青岸渡寺は西国一番札所
何時か「西国三十三箇所めぐり」をしようと思っているので、納経帳を買い
書き込みをしていただいた
そのお寺の境内から「ナッツィー」を
左から須佐之男命の両親、本人、右の写真は本人、弟だそうです
左の写真の右側に祭られているのが、熊野坐大神(家都美御子大神)は、
須佐之男命(すさのうのみこと)とされるが、その素性は不明
太陽の使いとされる八咫烏(やたがらす)を神使とすることから太陽神であるとも・・
八咫烏(やたがらす)とは日本神話の中に、神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から
大和国への道案内をしたとされるカラスで、一般的に3本足のカラス
古事記や日本書記には3本足であると、記述はされていないらしい・・・
ではなぜかとなると、中国では奇数は陽を表すと考えられていたのと
中国や朝鮮の伝承の鳥「三足烏(さんそくう)」と同一視され、
3本足になったのではな・い・か・・・
ヤタガラスのヤタは、元来は八田(八旗、八幡)のことであり、八田は八幡宮を
創建し、同系列の神社を全国各地に建てていった秦氏の代表的な姓だそうです
いやぁ~前々から気になっていた疑問が晴れたのだぁ~
私が思っていたのが、人間って、例えば白いたぬきを神の使いとしたり
するあたりから、足が三本のカラスがたまたま生まれたあたりから、生まれた神話
なのではないかと適当に思っていた
昔はこの葉の裏に字を書いていたらしい、そこから「葉書」の字の語源とのことだ
つづく
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