【萩反射炉】
反射炉とは、鉄の鋳造に必要な金属溶解炉
萩藩の軍事力強化の一環として導入が試みられました
幕末、黒船が来航した時代に、長州藩は、西欧の技術力の脅威に備え、
長州藩の軍事力強化のため、西洋式の鉄製大砲鋳造を目指したため
反射炉の建設が不可欠で、先に反射炉の建設に成功していた佐賀藩へ
1806年に藩士を派遣し、鋳造法の伝授を申し入れたが、
許されたのはスケッチのみ、試行錯誤の末に建設、ただし、この反射炉、
実際には実験的に建設された試験炉で、本式の反射炉の建設は、
技術面、資金面などから断念されたそうだ、残念ね!
当時の藩士たちが試行錯誤しながらも、自らの力で造り上げようとした苦労と
産業化へ踏み出す第一歩を刻んだ遺構として、大変貴重なものとされている
現在残っているのは煙突にあたる部分で、高さ10.5mの
安山岩積み、オランダの原書によると、反射炉の高さは16mなので
約7割程度の規模のもの
反射炉の遺構は、萩のほか韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)に
あるだけで、わが国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡・・・とのこと
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