1979年4月に開園。 国の史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」や国の重要文化財「旧真野家(しん
のけ)住宅」をはじめ、復原古代住居、復原石室・石棺や自然野草園、野鳥の森などが整備さ
れている、約30ヘクタールの丘が『みよし風土記の丘』だす
デモンストレーション
広島県の北部に位置する三次市の『みよし風土記の丘』を散策
案内板
案内板の下駐車場より左上の古墳群までの往復をウォーク
この周りにはこのような古墳がたぁ~んとありました
『旧真野家』かなり立派です
軒下
家の中
中に入ったとたん少しの間、真っ暗で何も見えません、ひんやぁ~りしてます
古代住居
ここからは古墳ルートとなります
3mも高さがあるので、もう小高い丘です
秋空が気持ちいい~
木がなくて見晴らしの良い場所を看板に案内されている12号、37号をもとめて進みます
1号よりもっと高くて6mもあるそうです 高
戻って着ました
皆さんといってもすこしの人数ですが、手弁当で来られていて、思い思いの場所でお昼を楽し
んでいました
広い、静か、空気良好、空高い、風心地よし、人少ない・・・最高じゃん
・・・と、ばかりも言ってられないかも
「自然野草園」と書かれている看板にひかれ、わき道に入りしばらく山中を進んでいると
この木を発見「くっ熊」新しくはなさそうだけれど、熊とちゃうかも知れんけど、
回れ右 元の広い道へ戻ります 最近熊多いから
熊ばかりではなく、きのこも気をつけないといけません
でかくて、きれいなきのこがたくさん生えていました
ここが古墳ですよと言われるから、あ~そうなんだと思えるけれど、今の墓と違い墓標がある
わけでもなく、大きさがでかいから、気が付かないと思うのですが、見る人が見るとわかるんで
すねぇ~
この丘には番号が打ってあるので数えると7~80はあります(もっとあるかも)、大・中・小と
様々ですが、要はこの丘が墓地専用だったのでしょうね
人口が爆発的にふえてる今、昔は墓もゆったりとしていたようです
11.161歩でした
のけ)住宅」をはじめ、復原古代住居、復原石室・石棺や自然野草園、野鳥の森などが整備さ
れている、約30ヘクタールの丘が『みよし風土記の丘』だす
デモンストレーション
広島県の北部に位置する三次市の『みよし風土記の丘』を散策
案内板
案内板の下駐車場より左上の古墳群までの往復をウォーク
この周りにはこのような古墳がたぁ~んとありました
『旧真野家』かなり立派です
軒下
家の中
中に入ったとたん少しの間、真っ暗で何も見えません、ひんやぁ~りしてます
古代住居
ここからは古墳ルートとなります
3mも高さがあるので、もう小高い丘です
秋空が気持ちいい~
木がなくて見晴らしの良い場所を看板に案内されている12号、37号をもとめて進みます
1号よりもっと高くて6mもあるそうです 高
戻って着ました
皆さんといってもすこしの人数ですが、手弁当で来られていて、思い思いの場所でお昼を楽し
んでいました
広い、静か、空気良好、空高い、風心地よし、人少ない・・・最高じゃん
・・・と、ばかりも言ってられないかも
「自然野草園」と書かれている看板にひかれ、わき道に入りしばらく山中を進んでいると
この木を発見「くっ熊」新しくはなさそうだけれど、熊とちゃうかも知れんけど、
回れ右 元の広い道へ戻ります 最近熊多いから
熊ばかりではなく、きのこも気をつけないといけません
でかくて、きれいなきのこがたくさん生えていました
ここが古墳ですよと言われるから、あ~そうなんだと思えるけれど、今の墓と違い墓標がある
わけでもなく、大きさがでかいから、気が付かないと思うのですが、見る人が見るとわかるんで
すねぇ~
この丘には番号が打ってあるので数えると7~80はあります(もっとあるかも)、大・中・小と
様々ですが、要はこの丘が墓地専用だったのでしょうね
人口が爆発的にふえてる今、昔は墓もゆったりとしていたようです
11.161歩でした
訪れた先でそのような家があると足を向けるのですが、
驚くのはその中の暗さ。
外光が入りにくい構造の上に煤けて中は真っ黒だからよけい暗い。
昔の人は電気のない暗い夜をどのように過ごしていたのかと、思いを馳せます。(^^;
今と違い明かりが極めて不足していたと思いますので、明かりといえば、囲炉裏
その囲炉裏の側に皆が集まり食事をし、物を読み、手仕事をし、寝るまでのわずかな時間を過ごした、かもしれないと想像をすると、ほのぼのとします
そして朝は日の光とともに起き、日が沈むと共に眠る、すこぶるエコの生活です