【崎津教会】
崎津集落は天草市の崎津一帯の総称、羊角湾に面した
【潜伏キリシタン】の里として知られ、2018年6月30日に、
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産登録が決定。
小さな集落にある、小さな可愛い教会だった
その小さな集落の側に神社が・・・
神様もさぞかし肩身の狭い思いをされていることだろうなぁ~
【大江教会】
この教会は、キリスト教が解禁されたあと、天草で最も早く活動を
開始した教会、長崎の原爆で倒壊した浦上天主堂の建造に
かかわった「教会建築の父」と呼ばれた【鉄川与助】と言う人が手掛けた
この大江天主堂は、明治25年、大江教会に赴任してきた
フランス人宣教師ガルニエ神父が私財を投じて建てたもので、
昭和8年に完成
民家が点在する山の中腹に白亜の建物がひときわ目を引く
【原城址】跡
海が眼下に広がる絶景のロケーションに建っていたであろう原城
今は緑の草原が果てしなく広がる地に変貌している
【島原の乱】は、あの【天草四郎】でも有名な、江戸時代初期に
起こった日本の歴史上最大規模の一揆
天草は元はキリシタン大名【小西行長】の領地で、関ヶ原の戦い後に
入部した【寺沢広高・堅高】の時代に、島原同様の圧政と
キリシタン弾圧が行われた
【島原の乱】は1637/12/11~1638/4/12
乱のきっかけは圧政・重税であったが、乱勃発後にはキリスト教が
一揆のよりどころとなった
又、鎮圧後にはポルトガル人が日本から追放され、【鎖国】が始まった
一揆の面々は、過酷な取立てに耐えかねた島原の領民、武士身分から
百姓身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣
肥後天草でも小西行長・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人
を中心にして組織されていた
島原の乱の首謀者たちは会談を行い、キリシタンの間でカリスマ的な
人気を得ていた当時16歳の少年天草四郎(本名:益田四郎時貞、
天草は旧来天草の領主だった豪族の名)を総大将とした
一種の人身御供
有馬村のキリシタンが中心となって代官所に強談、【代官】を殺害
ここに島原の乱が勃発した
歴史で習ったであろう内容だろうけど、ほぼほぼ記憶にない
神様も見てないで、何とかしてあげればよかったのに・・
平和だったらなんて美しい場所なんだ
【小浜温泉】 の一角にこんなのが・・・
反対側はなんと・・・
源泉から引かれた場所には、海を眺めながらの足湯有り
【外海(そとめ)の出津集落】
【外海】とは東シナ海に面する【西彼杵半島西岸】をそう呼ばれていた
表向きは仏教寺院に所属しつつ、組織的に信仰が続けられていた
出津地区において主任司祭を務めていたド・ロ神父の設計により
建設され、2度の増築を経て1909年にほぼ現在の姿が完成した
こちらも抜群の景色です
それにしても【信仰】の力ってすごい
私は【自由人】ですけにぃ~強制も縛られるのも、馴染めませんねぇ~
所で【潜伏キリシタン】という言葉を私は初めて耳にした
【カクレキリシタン】との相違は・・・
【潜伏キリシタン】☆強制改宗により仏教を信仰していると見せかけ
キリスト教(カトリック)を偽装棄教した信者
【カクレキリシタン】☆明治6年に禁教令が解かれ潜伏する必要が
なくなっても、江戸時代の秘教形態を守り、
カトリック教会に戻らない信者
なのだそーだ、へぇぇぇ~色々あるのねぇ~勉強になった
それにしても、〇そ暑いぞ 暑すぎる、くたばりそうだ
もう一日あるっていうのに(*_*)
風邪の予後、大変でしたね。私も風邪をひくと鼻から耳へ もれなく悪化。しっかりと薬で治しますが、キャサリンさん、薬があわなくて自力で治さなくてはならなかったなんて、憂鬱でしたね。
油断大敵、しっかり治してください
\(*⌒0⌒)bがんばっ♪
脳みそが腐って出てるかのような鼻水
しかし、耳に行くと鼻水もかめなくなります
鼓膜にズキーンと激痛が走りますから
耳はふさぐし、気圧が変わると耳が変に
なるのと同じ感じになるしで、うっとおしいやら
痛いやらで、すこぶる不機嫌になります
私は・・・なんぎなことです