肥前名護屋城・・・豊臣秀吉が大陸侵攻の国内拠点として、今の佐賀県唐津市鎮西町
名護屋の玄界灘に面した半島に、わずか5か月で築いた城
ここには元々、名護屋氏の居城、垣添城があったところらしい
歴史にその名を遺す名護屋城築城の経緯、全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ
人口20万人を超える城下町が出現した(パンフより)
すごい
オレンジのが秀吉の居城
緑の場所が大名達の居城の場所
今も残る上の鯱鉾池
石垣と歴史を残して・・・ 道順案内をたどって・・・
本丸跡へ・・・広い
大陸に向けて漕ぎ発つ船々を、この地にあった天守閣から見送ったのだろうなぁ~
『名護屋城址碑』
玄界灘を一望
「二の丸」「遊撃丸」「弾正丸」などの跡
字の方向に大名の陣屋があったという陶器の案内図
この高台から、自分の号令で集まった大名達の陣屋を眺める秀吉の満足そうな顔が浮かぶなぁ~
「なんとかの 夢の跡・・・」って言うのは、こんなんでしょうかねぇ~?
その後1615年の「一国一城令」のため破却となる。
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