初代は延宝2年(1674)広島から移住、沢田屋と称して塩田の必需品である薪問屋・石炭問屋を業とし、塩田経営、廻船業、醸造業と多角経営を行うかたわら、下市庄屋、割庄屋、竹原塩浜庄屋、竹原町長などをつとめるとともに文化活動を行いました。
【西方寺】もとは田中町に在る禅寺で地蔵堂の隣にありました。現在地には、もと禅寺の妙法寺があり、慶長7年(1602)に火災で焼失し、翌年、妙法寺跡のこの地へ移り、浄土宗に改宗しました。西方寺から市内を一望
【普明閣】西方寺本堂横の高台に位置する普明閣は、宝暦8年(1758)の建築。西方寺の地に妙法寺があった頃の本尊である、木造十一面観音立像(県重要文化財)を祀っています
普明閣にのぼれば、竹原の町を一望することができる
町並み
町やの仲にある竹林
胡堂(恵比須社)
大林宣彦監督の映画 『時をかける少女』でもお馴染みのスポットです。
通りの突き当たりに位置し、街路の見通しを妨げ、その向こうに続く殺風景な田畑を見えなくすることによって、町の雰囲気を高め、まとまりのある空間をつくり出しています。
井戸の中をのぞいてびっくり、鯉が数匹泳いでいました
こんな光もあまり入らないところに、入れておくなんて、なんだか酷なことのような気がしたが、どうなんでしょうか
照蓮寺
もとは定林寺と称し曹洞宗の禅寺で、小早川氏代々の子弟が学んだ寺です
庫裡の裏には、県下でも指折りの名園「小祇園」があります。室町期の築庭といわれる泉水を中心とした落ち着いた庭で、しっとりとした趣があります。
重要文化財 「春風館」頼家住宅
春風館は頼山陽の叔父、頼春風の家です
現在は拝観ができないようです
酒蔵を利用したお食事どころ
いっぱいでだめでした残念
重厚な感じで雰囲気があり、さぞかし蕎麦もおいしいのだろうなぁ~
どうしても蕎麦が食べたかったので、次のお店を探して入りました
江戸そばは始めてかもしれません なかなか、美味でした
これにて竹原ウォークは昼食をいただいて終了です
来るときの恐怖の渋滞は、まだ緩和されていないようなので、一般道を帰ることにしました
おかげさまですいすいと帰宅いたしました
で、車を駐車し歩き始めたら「バァーン!」でしょ「およよっ!」と言ってる場合ではありませんでした、まぁ~実際は言葉が出ませんでしたけれどね
次の日は尾道へ行く予定にしていたのですが、あの渋滞を見ては、とても遠出する気になれずやめました
名前にちなんで「竹」を使った街並みづくりに驚いたり感心したり。
ゆっくり歩くといいでしょうねえ。
私も行きたいなあ~。
ところで一日に3件の交通事故目撃!これは記録かも…ですね。
キャサリンさんが巻き込まれなくて良かった~。
いえ、ソバは普通のソバです
ただかなりこしがありました
何しろ江戸そばと銘うってあったのと、わずかなだし汁をかけて食べたのが初めてだったので、これが江戸そばなのかなぁ~と思ったしだいです アハアハ笑ってごまかします
高台に向かう階段は長くてちょっときつそうですね。
でも景色がすばらしい
竹林の風景は大好きです。
「時をかける少女」・・・なつかしい
江戸そばって普通のお蕎麦とちがうのですか?