昭和30年に地域の網元の枕元に白狐が現れ、「これまで漁をしてこられたのは誰のおかげか」と
過去からの関わりを詳細に述べた後(理屈っポイおきつね様だ)、「吾をこの地に鎮祭せよ」と
いうお告げがあったそうだ
「はっはぁー」って言ったかどうかは知らねども、津和野町太鼓谷稲成神社から分霊された神社なんですって
へぇぇぇ~この手の話は、昔話でよく聞くけど、なにしろもう昭和30年ですからねぇ~
ちなみに、私は3歳でしたが
津和野の太鼓谷稲成神社は2度ぐらいお参りしたが、確かに朱の鳥居が続く幻想的な神社
でしたね又、「いなり・・は稲荷」と書きますが、「稲成」って書くんですね、気づかなかった
朱の鳥居123基の全貌
朱でまとめてみました ・真っ赤なカニさん ・カープとは関係ないけど私の赤パンツ お後がよろしいようで・・
この日の日本海はまるで瀬戸内海と見間違うばかりの凪、とはいえこの釣り人さんすごいところで釣してます
よって、潮吹きは見られず、右の写真からすると、左の写真のこのあたりかと・・・
「ナニコレ珍百景」に出たとか、そ~言えばどこかで見た見た
賽銭箱まで5mあるとか、ちなみに宮司さんがおっしゃたらしい、特に理由なし、
「なんとなくおもしろそうだから」だそうだ、すきですねぇ~この手の遊び心
入れば願いが叶うらしい、私もやりました、入れることに夢中になって、願い事するの忘れてた
拾っては投げ、拾っては投げ10回以上挑戦して2回賽銭箱に入った、主人は1回でした
ちなみに1円は軽すぎて難しい、5円以上にしましょう
連立する朱の鳥居は、私にはどこかへの通り道のような何かを感じさせるのでした
読めました。賽銭の文字が。(^^;
これは、入れるより取るときの方が大変では?
5mのハシゴって怖いですよ。(^^;
だけど、賽銭泥棒よけには最高の案です。
理由は多分それ。(^_-)
私達老夫婦と中年の夫婦(たぶん)の二組が、お互いを切磋琢磨しながら、競って投げました
足元には自分たちのも含めて、たくさん小銭が散らばってましたが、賽銭箱に入れようにもねぇ~