著者はイタリア語の通訳である。
内容は通訳業を通じて見聞したイタリアの話。
で、多くが「シモネタ」なのである。
イタリアと関わると「シモネタ」にならざるを得ない、と著者は思っているのであるが、親友のロシア語通訳:米原万里から言わせれば、著者の人柄がシモネタを呼び寄せているらしい。
というわけで、著者に「シモネッタ」の愛称を贈呈した。
というのは米原万里のあだ名の一つが「シモネッタ」だったらしい。
そもそもイタリアと日本では基本的な考え方が違うので、イタリアの男たちとつきあうと全ての事柄がシモネタになるらしい。
イタリアではセクハラをしないことがセクハラらしいのである。
そんなことだから、いたるところで吹き出してしまうので、本書を読む場所には十分気をつけたい。
ところで、本書の内容について誰かと話をしてみたいのであるが、どうも今の基準では本書の内容について女性に話しただけでセクハラになりそうなので、心の中に押さえ込むしかないのではないか、なんて思ったりするのである。
本書については女性でなければ描けない、つまり男性が書いたのではただ「下品」になってしまう、田丸さんが「シモネッタ」として書いたから、基本的には非常に生真面目で標準的であるから、愉しんで読めるのであると思う。
それにしても、各章の初めにある「小話」を誰かにしてみたい、のである。
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内容は通訳業を通じて見聞したイタリアの話。
で、多くが「シモネタ」なのである。
イタリアと関わると「シモネタ」にならざるを得ない、と著者は思っているのであるが、親友のロシア語通訳:米原万里から言わせれば、著者の人柄がシモネタを呼び寄せているらしい。
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というのは米原万里のあだ名の一つが「シモネッタ」だったらしい。
そもそもイタリアと日本では基本的な考え方が違うので、イタリアの男たちとつきあうと全ての事柄がシモネタになるらしい。
イタリアではセクハラをしないことがセクハラらしいのである。
そんなことだから、いたるところで吹き出してしまうので、本書を読む場所には十分気をつけたい。
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本書については女性でなければ描けない、つまり男性が書いたのではただ「下品」になってしまう、田丸さんが「シモネッタ」として書いたから、基本的には非常に生真面目で標準的であるから、愉しんで読めるのであると思う。
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