読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

連続地震に思うこと

2008-07-24 22:42:32 | 日々雑感
先月の「岩手・宮城内陸地震」の復旧がまだまだという状態のときに、土曜日には震度4の地震が発生、そして本日0時26分にはまた大きな地震が発生した。

今日の地震は、横への大きなゆれが長く続き、我が家では何も被害はなかったが、なにしろ震度5弱、招集の規定にもとづき何はともあれ出動をしたのであった。

これまた幸いなことに深刻な被害はなく、22日に行った宮城県沖地震を想定した災害訓練をなぞるような形で対応を行い、まあまあの結果であった。

それにしても、こう連続して地震が発生すると「慣れ」のようなものがでてきて、落ちついて対応というより、地震が発生すると沈着になるというような面もでてきたりして、なんだか不思議である。

これらの地震「岩手・宮城内陸地震」「福島県沖地震」「三陸北部沿岸地震」それぞれと、発生すると予測されている「宮城県沖地震」とも理論上何のつながりもないということではあるが、本当にそうなのか、素人ながら考えてしまう。

つまり地震学とか地質学とか地球学のような学問的には「つながりがない」とは言うものの、気分的或いは運命的はたまた霊能的、そして地球医学的には何らかのつながりがあるのではないだろうか、なんて思うのである。
空想的に考えれば、地球は或いは人類はその生き方について大きな選択を地球から求められているような気さえするのである。
こういうときには怪しげな『教え』とか『ブーム』に気をつけなければならない。

昭和53年(1978年)の宮城県沖地震では、ものすごい「地鳴り」と立っていられないほどの「揺れ」を経験した。
あれ以来、常に地震については頭の片隅で考えている。

地震への備えは必要である。
備えといっても、物質的な備え、たとえばいろいろなものの倒壊防止とか、いわゆる防災グッズなるものの貯えとかもあるが、なんといっても「気持ち」が大事だと思う。

予測不可能な(というか予測をしているだけで気がめいってしまうのであるが)事態が発生しても、それを乗り越える或いは耐える「気持ち」が必要だと思うのである。それは「覚悟」であり一種の「あきらめ」でもあると思うのだ。

その気持ちを片隅に持っていれば、明日は明るいのではないだろうか。

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