トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

どうぞ、今年もよろしくお願い申し上げます。

2017-01-05 18:48:16 | 日記
今日のパムッカレ

生きていますよ。
まだコメント返しが終わっていないのに、更新するのが、
後ろめたいですが、お許しを。

日中は食堂で忙しくしているので、平気だけれど、
夜、一人になると、無性に寂しさが募ってくる。

日本から帰国後、22日、裁判所へ。
案の定、日本の外務省から相続に関しての
回答が無いからとのことで、次回3月に持ち越された。
私は日本大使館とばかり思っていたけれど、
外務省とのこと。ふーん・・・・

で、25日は夫の法事。
2,500人分の食事を用意した。
写真を撮り忘れたけれど、メニューはチキン、トルコライス、スープ、サラダ、そしてデザート。
本当は夫が好きだったキョフテ(牛肉団子みたいもの)にしたかったけれど、
どうしても人数と予算の関係でチキンになった。
次回の法事はキョフテにしてあげたいな。

夫は、よく私に、ラム子が死んだら、法事にはキョフテを焼いてやるからな、と口にしていたっけ。
また、日本は火葬だから、ラム子のことを裏庭で焼かなきゃね、と話していた。




我が家の車庫と裏庭を利用して、いわゆる出張サービス。







法事の前後日は天気が悪かったけれど、
日曜日だけは快晴だった。
夫は日ごろの行いが良かったんだね。



義兄たちは男性客を迎え、義姉達や私は女性客に一人一人挨拶した。
イスタンブールや首都アンカラからも、夫の友人や徴兵時代の戦友が集ってくれた。

11時開始で、15時ごろ終了したかな。
寒いのに、たくさんの皆さんにお越しいただき、感謝です。
日本じゃ2,500人をどうやって捌くのか不思議でしょうが、
みな挨拶と食事を済ませると帰っていくので、いつまでも
席に留まっている人はいないのである。



2003年トルコ移住前に亡くなった祖母の葬式には
母の着物を着た。そして、ラム子も結婚したら
喪服が必要になるだろうからと、母にワンピースの喪服を
新調してもらった。まさか、初めて袖を通す日が
夫の法事だったとは。

因みに夫の葬式は普段着だった。


30日は雪が降った。去年は暖冬だったけれど、今年は寒い。


食堂の庭が滑りやすくなっているので、
12mのマットを購入♪



31日大晦日はトルコではなぜかクリスマス(キリストを認めてはいるけれど、
生誕を祝うということはせず、余興だけ真似て、トルコも楽しもうというわけ)

年末年始にバイトしてくれる夫のオフィスの大学生と
二人ぼっち&1頭のクリスマス。




一昨日は夫の墓詣り




2016年、トルコにとって、私にとって最悪の年だった。
結婚10周年で、私の幸せは終わってしまった。

食堂の事業主として名義の書き換えをした。
(夫が死亡したら、すぐに名義の変更をしなきゃいけなかったみたい
で、罰金がたんまり来た。人が死んで、すぐにそんなことを考える余裕なんて
ないでしょ!トルコの行政業務はメチャクチャ遅いのに、罰金だけは素早い)


夫の名前が次から次へと消えて行くのが、辛い。

これからもトルコで暮らすことにした。
今後、トルコがどうなるのかはわからない。
でも、ケントがいる限り、戦火に見舞われても、ここにいる覚悟だ。
両親とケントを天秤にはかけられないけれど、
ケントも私の大事な家族だから。

末筆ながら、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
そして、皆様にとって、笑顔溢れるよいお年となりますように・・・。



コメント (8)
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