トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

入院備忘録 その2

2019-02-25 14:35:28 | 日記
今日のパムッカレ

手術日は木曜日と決まっていて、その前日に入院する予定だったけれど、
検査の結果、感染症が発覚したので、急遽、4日前倒し、
日曜日から入院となった。

当初個室を希望していたものの、満室のために、願いは叶わず、
でも、二人部屋で、8か日間中、3日間だけ隣に患者がいただけ。
おかげで、付き添いの義姉が隣のベッドでゆっくり寝ることが
出来た。

パムッカレ大学病院というか、主治医のインフォームドコンセントはしっかりしていた。
渡された承諾書には、手術に伴う後遺症がきっちりと
英語で書かれてあり、主治医兼執刀医の教授が病室まで来て、
成功率であったり、後遺症が起きる可能性もきちんと私が理解出来るまで
説明してくれた。

このドクターは評判がいいらしく、私立の主治医も太鼓判を押していたし、
待合室の患者からも、お薦めされた。
また、イズミル(トルコで3番目に大きな都市)からや
遠方からも患者がいた。

トルコで5回目の手術(うち3回は大学病院)でしたが、
これほどしっかりしたインフォームドコンセントは初めてだった。

というか、他が酷すぎた。

医療ミスの私立病院では、全く説明なし。
ただ、サインを求められただけ。

今回の手術は、日本でも難易度が高く、成功率の低いものとされ、
敬遠する医師が多いとのこと。
この稀な後遺症で苦しむ患者のブログを読み漁り、
成功率の高い医師に辿り着いたものの、もしも、日本で手術をするには、
半年以上、日本に留まらないといけない、それは命より大事なケントのとことを
考えると、排除しなければならない選択肢だった。

イスタンブールの有名病院も選択肢として考えたが、私には物理的に
無理だった。

自分で調べたり、イスタンブールの友人から情報収集したり、
悩みに悩んだ末、
私立病院が紹介してくれたパムッカレ大学の教授は、この手術の経験もあり、
ネットでその論文も発見したので、その教授に懸けることにした。

今回、8日間の入院だったわけだけど、稀な手術とあって、関係する科や
医学生、インターンが毎日のようにやってきた。
教授から私の話を聞いてくるようにと指導があったとか。

入院グッズは日本から抜かりなく調達し、、そして、暇つぶし対策も心得ており、
WIFIも使えたし、意外に楽しかった8日間でしたわ。

ご飯も手術当日以外、通常食で、朝食は残念だったけれど、
ランチと晩は美味しく、毎回楽しみだった。

それに、何を食べても良かったので、
同室の人と一緒にティータイムも盛んだった。

手術当日、朝7時半にお迎えが来たものの、私の準備が出来ておらず、
8時半に手術室に運ばれた。

大学病院とあって、手術室がたくさんあり、
私の他に次から次へと、患者が運ばれて来た。
さながら、工場の搬入搬出を見ているようだった。

前日、病室に来た女子学生が、弱気になっている私を励まし、
手を握ってくれた。
当日はギャラリーが多かったんだろうな。

本当に目覚めることが出来るのかと、
5回目の手術であっても、怖気づいた。

実は前夜、夫が夢に出て来たのだ。
夫が私の夢に登場するのは、殆どない。
頑張れってことなのかな?
そうだね、ケントを看取る役目があるんだから、生きなきゃ。
頑張れって言われても、頑張って欲しいのは、執刀医の皆さんだけどね。

9時に全身麻酔薬を投与され、あっという間に意識が朦朧とした。

そして、目が覚めたときには、11時半くらいで、
予想通り、寒い部屋に放置されていた。
術後、覚醒し、急変されたときのために、病室にはすぐには
戻さないのだろうか?

病室へ戻る順番待ちで寝かされている患者のうめき声が
あちこちから聞こえた。私もせん妄だったのか?
何か喚いていた記憶がある。

私立病院では、病室で、気持ちよく目覚めたのと正反対に、
大学病院での3回の術後はいずれも寒気との闘いだった。

今回、同室の方が私より先に手術をし、
術後、数本ペットボトルにお湯を入れ、それを
湯たんぽ代わりにしていたのを見て、
私も同じようにさせてもらった

もしも、個室だったら、そんなアイディアをもらえなかったので
ラッキー。

すぐに手術着から着替えたかったけれど、
出血があるから、まだ安静にしているようにとのことで
そのままにされた。


大学病院での手術費用は、超レアな症例プラス
執刀医、麻酔医ともに教授だったせいか、
その二人への報酬が高く、
私立並みに請求された。

前年度の大学病院での手術入院費用が200リラ(4,000円)だったので、
それを少し上回る程度だと思っていた。

それにしても、合併症が判明した5月から、手術日まで
苦痛で、いわゆるQOL生活の質が
著しく害された7か月間だった。
後遺症が更に違う後遺症を呼んだ。
出費も嵩んだ。

手術を終えて、2か月経ち、今のところ、異常なし。
執刀医からは、3か月以内に再発も無きにしも非ずだけれど、
問題ないでしょうとのこと。

それでも、再発を恐れて、1年は戦々恐々の日々を送らないと
いけない。

これが残りの人生、最後の手術となって欲しいものだわ。

ケントは私が入院しているとき、ケントも細菌に感染し、病院で治療を受けた。
ケントの耳に異変が起きれば、私の耳もおかしくなる。私たちは一心同体ね。
ケントが病気になるのは、自分がなるより、辛い。
お願いだから、ゴミ箱を漁らないで!







コメント (4)
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