今日のパムッカレ☀️☀️☀️
4ヶ月ぶりのパムッカレです。
トルコ航空日本便再開のニュースに一喜一憂し、
延期のメールが来る度に打ちのめされの繰り返しでした。
そして、7月のフライトが確定し、
当初の成田便が欠航となり、
羽田便に変更したのも束の間、
今度は母の容態が悪化し、1週間寝たきりとなり、
その後、危篤状態となり、私はフライトを当日キャンセルしました。
その翌朝、私は母を看取る事が出来ました。
母は4年半闘病生活中、入退院を繰り返し、
自宅にて81歳の人生の幕を閉じ、 今は痛みから解放されました。
母が癌の宣告を受けたのは、夫と死別したころです。
私にこれ以上、悲嘆を味あわせないようにと頑張ってくれたのだと
思います。 母は寂しさを抑えながら、ケントの元に早く帰りなさいと言ってくれました。
姉も4ヶ月間看病したのだから充分、 今回のフライトを逃すと
まだトルコへ戻れないかも知れないからキャンセルするなと、
背中を押してくれました。
しかし、 母の死に目に会えないのは、一生悔いが残りそうで、
キャンセルに踏み切りました。
母は私の意を汲み取ったかのように、私の前で息を引き取りました。
2月5日に義母を見送り、3月5日日本に向けて出発しました。
日本滞在中、 従兄弟の伴侶、 叔父、 そして母との別れを経験しました。
当初、チケットの日程等で後悔のドン底でしたが、
結果的にこれで良かったと、珍しく私の判断が正解だったと、
ホクホクでした。
が、しかし!
トルコに戻り、私の命よりも大切なケントの病が進行していました。
去年よりも重篤な腎不全です。
私が来る前は普通に歩いていたようです。
私を待っていてくれていたのかも知れません。
あとどれくらい一緒にいられるか分かりませんが、
一瞬でも長くケントの傍にいてあげたいです。
ケント、ごめんね。
待っていてくれてありがとう。
4ヶ月ぶりのパムッカレです。
トルコ航空日本便再開のニュースに一喜一憂し、
延期のメールが来る度に打ちのめされの繰り返しでした。
そして、7月のフライトが確定し、
当初の成田便が欠航となり、
羽田便に変更したのも束の間、
今度は母の容態が悪化し、1週間寝たきりとなり、
その後、危篤状態となり、私はフライトを当日キャンセルしました。
その翌朝、私は母を看取る事が出来ました。
母は4年半闘病生活中、入退院を繰り返し、
自宅にて81歳の人生の幕を閉じ、 今は痛みから解放されました。
母が癌の宣告を受けたのは、夫と死別したころです。
私にこれ以上、悲嘆を味あわせないようにと頑張ってくれたのだと
思います。 母は寂しさを抑えながら、ケントの元に早く帰りなさいと言ってくれました。
姉も4ヶ月間看病したのだから充分、 今回のフライトを逃すと
まだトルコへ戻れないかも知れないからキャンセルするなと、
背中を押してくれました。
しかし、 母の死に目に会えないのは、一生悔いが残りそうで、
キャンセルに踏み切りました。
母は私の意を汲み取ったかのように、私の前で息を引き取りました。
2月5日に義母を見送り、3月5日日本に向けて出発しました。
日本滞在中、 従兄弟の伴侶、 叔父、 そして母との別れを経験しました。
当初、チケットの日程等で後悔のドン底でしたが、
結果的にこれで良かったと、珍しく私の判断が正解だったと、
ホクホクでした。
が、しかし!
トルコに戻り、私の命よりも大切なケントの病が進行していました。
去年よりも重篤な腎不全です。
私が来る前は普通に歩いていたようです。
私を待っていてくれていたのかも知れません。
あとどれくらい一緒にいられるか分かりませんが、
一瞬でも長くケントの傍にいてあげたいです。
ケント、ごめんね。
待っていてくれてありがとう。