トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

ご報告

2020-09-04 14:30:34 | 日記
今日のパムッカレ













2009年から始めた
ラム子のロカンタ(食堂)を閉店しました!
もしかしたら、復活するかもという含みを残しておこう。

タイミング的にはコロナと被ったけれど、
コロナのせいじゃない。

トルコでは、事業をするにあたって、
二つの営業許可証が必要であり、
一つは税務署関連、これは
食堂の名義は夫で、夫亡きあと私が引き継いだのだけれど、

もう一つは、べレディエ(市役所)からの許可証。
当初、義兄と共同経営だったので、名義が義兄の会社のまま。
共同経営解消後、夫は税務署関連を自分の名義に書き換えたものの、
このべレディエ許可証を取るのはかなりハードルが高かったので
そのままにしていたのだ。

そして、夫の両親が立て続けに亡くなり、余計に相続がややこしくなった。
税務署関連を義兄の会社に戻すことは、他の法定相続人のサインが必要となるわけだ。
ところが、義兄達同士で相続バトル勃発で、許可証名義統一が厳しくなった。

ラム子の名義にはならないのか?
デニズリ県ではべレディエ許可証の外国人名義を認めていない。
(それに対して、私の会計士は、市長を訴えろ、そして弁護士は
市長の弁護士を雇えと、とんでもない提案をしてきた
トルコでの裁判は懲り懲りでちゅ。


元村長の手先となり、私たちに数々の嫌がらせをして来た公安警察が
自治体再編に伴い、元村長が退いたこともあり、夫急死後、私にいろいろ便宜を図ってくれ
名義問題を見逃してくれていた。

ところが、今年になって、名義問題が厳しくなったようで、
もしも、他の担当者がガサ入れしてきたら、多額の罰金を
払うことになるかも知れないと、社員から日本にいる私に報告があった。
ノミの心臓の私はビビり、とりあえず、休業することにした。

それを決めた数日後、今度はコロナ禍で政府の号令で強制休業となったのだ。
社員には、3月分の給料と退職金(これは私がトルコに戻った後)を出し、
泣く泣く雇い止めにした。(後々、トルコも社員の給与補償を打ち出したけれど、
日本と同様、観光客が半年後に元に戻るという保証はないのだ)

というわけで、コロナのおかげ?で、
私は意外に閉店に追い込まれたことに対して落ち込んではいない。

もしも、コロナが無かったら、通常にツーリストがいて、
それを指を咥えて見ていたかと思うとぞっとする。
自分の運命をしこたま呪っていたはず。

日本で休業を決めたときに、トルコに戻って
食堂収入が無くなり、ケントにひもじい思いをさせないためには
どうしたらいいか悩んでいたので、このタイミングでケントは
自分から身を引いたのかとも考えてしまう。

あと、何年先になるかはわからないけれど、
食堂の土地建物が晴れて私の名義となり、
私の理念に賛同してくれる人が見つかった暁には
その人にラム子の食堂を託したいと考えている。

売却も考えたが、ケントのお墓を食堂の裏庭に作ると決めたときに
私がトルコと日本を往復出来る限り、売却の選択肢はない。
そもそも、ケントの墓地のために、ここを購入したといってもいい。



というわけで、
2009年から、多くの人にご愛顧いただき、ありがとうございました。
6月末を以ってラム子のロカンタを閉めました。
特に日本人を始めとする各国の駐在員の皆様には
こんな私の素人料理(近年は厨房は従業員に任せ、プロデューサーに徹していた)
のために通っていただき、本当にありがとうございました。
(パムッカレはレストランのレベルが低過ぎだから、
ひたすら真面目に作っていた私が評価されたと思っています)

ブログを通して、来店した下さった方もたくさんいらっしゃいました。
心から感謝申し上げます。

2009年から試行錯誤の10年ちょい、メニューも
お客様の声を参考にし、何度も変え挑戦して来ました。
お客様の喜ぶ顔が見たくて、半分暇つぶしだったけれど、
ライフワークとなりつつあったので、志半ば、無念と言えば
無念かな?

夜遅くまで後片付けに追われた日々でも、
ケントがいつも傍にいたから頑張れた。いつもケントが私の視界にいてくれた。




でも、もういない。そして健康にも自信がない。
だから、これで良かったと自分で納得しています。
(根性無、忍耐力無、諦めも早い性格は時にして
自分にとって、都合のいいように作用するのかな?)


【拾った言葉】
いつか終わる。

夏の花火も散る。
綺麗な桜も、やがて散る。
すべては夢うたかたのごとくなり、だ。

生物だけではなく、それが機械であってもいつか壊れる。
何事にも永遠などないのだ。

だから、「いつか終わるものだった」と納得させるしかない。
この寂しさ、喪失感。
それを納得させることから始めたい。
引用先https://samurai20.jp/2020/08/abe-shinzou/










そうだっ、ブログのプロフィール、何て書き直そう。
食堂閉鎖に愛犬もいないし、書けることないじゃんかよー








最新の画像もっと見る

20 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした。 (いづみ)
2020-09-06 13:14:33
 ラム子さん、10年間の食堂経営、本当に
お疲れ様でした。長きに渡り、多くの旅人や駐在員の方々に美味しい日本食とホッとするひと時を提供されてこられたことは本当にやり甲斐があり、数え切れないほどの思い出に溢れていらっしゃることでしょう。
一生の宝物ですね。

 ケントくん&エフェス君、イサさんとの
素敵なお写真も拝見し、ラム子さんのお幸せな日々を肌で感じさせていただきました。

 食堂を閉店されるという重大な決断の陰には色々なご事情があるようですが、どうか
心穏やかに毎日お過ごしください。相続や許可書名義の問題があると心労もおありでしょうが、しばらくゆっくりなさってどうか
お身体を大切に。

返信する
お疲れ様でした。 (づぬ)
2020-09-06 21:38:10
2011年9月にお伺いしたことがあります。

エフェスやケントとはすこし触れ合ったのですが
ロカンタで食事はしませんでした。
向かいの事務所からラム子さんに遠目に会釈していただいたのが忘れられません。

オヤジも元気でしょうもない冗談を言い合った思い出があります。

パムッカレへの旅行を計画している段階でこのブログを知りました。
それから毎日覗くのが日課となってしまっていました。

色々な事が起きましたね。何事も記憶の中のパムッカレが思い出され思い出の再確認をさせて頂いておりました。

いつかまたお伺いします。
今度はきちんとご挨拶できたらなと思っています。

お疲れ様でした。
返信する
いづみさん♪ (ラム子)
2020-09-07 03:11:14
ありがとうございます!

いつか終わることを覚悟して
いましたが、まさか、コロナ便乗とは
想定外でした。

お陰で、予想以上に
あと腐れない自分がいます。

はい、突っ走って来た自分を
労いたいと思います。


ホント、海外生活というか
トルコ生活はいろいろありますわ。
でも、すべてよい思い出に
変わっていくと信じています。
返信する
づぬさん♪ (ラム子)
2020-09-07 03:17:32
ありがとうございます!

お会いしたことがあるのですね。
また、こんな稚拙なブログを
日課にしていただいて
大変光栄です。

私もいつまでここにいるか
わかりませんが
是非機会がありましたら
どうぞ、よろしくお願いします。
返信する
Unknown (hisosari)
2020-09-07 14:55:26
ラム子さん
お疲れ様でした。
パムッカレの日本のお母さんとして活躍されていただけにとても残念です。
Tシャツ、今ちょっと夫が忙しい時期なので遅くなるかもしれませんが、必ず送りますのでどうぞ気長に待っていて下さいね!
返信する
Unknown (柴犬ayako)
2020-09-07 15:38:44
ラム子さん、お疲れ様でした。

以前トルコ旅行に行った時、自由時間があればラム子食堂に行こうと決めていましたが、ツアーなので無理でした...
パムッカレにいるのにラム子さんとケントくんのいる場所へ行けないもどかしさを思い出しました。
石灰棚からケントくんが泳いでいた湖を見下ろして姿を探したな〜

あの時ラム子食堂へ行けていたら、ラム子さんにもケントくんにも会えていたのかと思うと悔しいかぎりです。

ラム子さんの拾った言葉「いつか終わる」確かにそうですね。
私も母の介護も、柴犬♂こはるとの生活も仕事も...
どんなに楽しい事や幸せな事もずっと続くわけではないし、誰もがいつか全てに終わりを迎えますもんね。

ラム子さんが納得して決めた出した答えは全て正解です。

ケントくんを亡くした喪失感や思い出の詰まったお店を閉店した寂しさは、
なかなか癒える事はないと思いますが、時間が必ず解決してくれます。
今はゆっくり心と身体を休めてください。
返信する
Unknown ()
2020-09-07 18:54:53
ラム子さん、長い間お疲れ様でした

食堂をクローズされると知り
何故か良かったと、安堵感を覚えました

これが例えばあれこれいろいろ悩まれた末の決断であったなら
既に心身共に疲れ切っておられるのに...

何も考える事なく、もうゆっくり心を休められては
良いのではないかと、そういう想いがありました

食堂でご馳走になり、帰りのバスのなかでお弁当をいただきながら
ロカンタを訪れる旅行者一人一人に真心を詰めたお弁当を提供されている
ラム子さんの姿は同じ日本人として感謝と誇りの気持ちで一杯でした



これから先歩まれる道が良い方向に向かうことだけを願っております

きっとそうなると信じております

相談事が有り、ラム子さんのいらっしゃるパムッカレを訪れ
大変優しくして頂いた事を忘れることはありません

本当に有難うございました

大変お疲れ様でした

どうぞご自愛くださいませm(__)m

(返信ご無用です)
返信する
Unknown (Unknown)
2020-09-11 09:37:50
トルコに駐在中、パムッカレに旅行した折にお邪魔しました。
久しぶりの和食、とてもおいしく、体に染み渡ったのをよく覚えています。
パムッカレを思い出すときには、必ずラム子さんのロカンタも一緒です。
おいしいお料理、そして思い出をありがとうございました。
返信する
hisosariさん♪ (ラム子)
2020-09-11 19:04:42
ありがとうございます!

日本から色んなものを
運んで来ていたので
残念な部分もありますが、
やはりケントのことがまだ
辛くて、食堂でもいつも
視界にいたので、余計に苦しかったかな?仕事をしていると
辛いことも、一時的に忘れることが
出来たので、そのほうが良かったのか
色々と考えます。

自分で決めたこと。
悔いのないように頑張ります!

Tシャツ楽しみです
返信する
柴犬ayakoさん♪ (ラム子)
2020-09-11 19:16:44
ありがとうございます!

コロナ便乗で、名義問題も
役所はそれどころじゃなかったかも?
と今にして思い、
もしかしたら、閉店しなくても
良かったかなとも。

従業員解雇しちゃったし、
経費も総合的に考えたら
一日数組で何とか経営出来たかなと
思ったり。

今はゆっくり休み過ぎで
脳みそが垂れそうな
生産性のない生活をしていて
後ろめたさもあります

ケントの死を
いつまでも引きずっているので
食堂は二の次です。

お母さまの介護、
大変でしょうが、
永遠ではないので
心残りのないように、
コハルちゃんとの生活も
楽しんでくださいね!
返信する

コメントを投稿