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素敵な景色に遇えるかも・・・

ブログを始めた訳~日曜の記録・・・

2009-05-26 | 四季折々のひとりごと
【畑の隣にいつの間にか咲いていた花】

やっと、カメラ&画像データが帰ってきました~。

ブログを始めた理由のひとつが、「うちの畑と庭の園芸記録」をつけることでした。

作物の名前を入れ、この[ブログ内で検索]をクリックするだけで
去年は、いつ植えたのか、いつ収穫したのかが瞬時に写真入で
わかります。

連作をしないためには、植えた場所の記録は、大変役に立っています。




                                     


【ジャガイモの花が咲きました。】 
 そんな訳で、日曜に書けなかった
畑の記録を残しておかなくてはなりません。

5月24日の日曜日に、さつま芋の苗を
150本(50本で780円)植えました。
JAの直売所では、サツマイモの苗は連日売り切れ!!

土曜日の朝一で、なんとかGETいたしました!!

午前中に準備をしておいて貰って…
午後から畑に直行~~!

一本一本丁寧に植えていきました。

・・・さつま芋について・・・
サツマイモ(薩摩芋、または甘藷:かんしょ
学名: Ipomoea batatas L.)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。
あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。
別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)
琉球藷(りゅうきゅういも)。
仲間に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。

1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中
今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ
サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。

八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。

そして起用されたのが、青木昆陽であった。
当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが
その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が
町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は
同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や
中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し
吉宗に献上した。

1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ
「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)
上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し
1735年栽培を確認。

これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。
その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。
幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた
「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。
このように、サツマイモは飢饉時に多くの人を飢えから救ってきた。

             wikipediaより引用


                                    


【さつま芋の植え付けの終わった高台にある畑にて】
                                    

 
 上の写真が、植え付けを終えた畑です。

さつま芋がない!

実は、畝の上に並べた干草の中に隠れています。
根付くまで、水の欠かせないさつま芋の日除け代わりにしています。

この高台にある畑での仕事は、とても気持ちのいいものです。
眼下に小さく自分の住む町が見え
時折、電車が模型の中を走るようにみえます。

ただ、近くに川がないので水を
ポリ容器に入れて運ばなくてはなりません。
(これが一番辛い仕事です~)

勿論、植えつけたばかりの苗にも
たっぷりと水を与えなくて花なくてはなりません。
 


  
   【道端のセキチク】
  

                                    

苗の植え付けも、後数本で終わりというところまできたら・・・
遠くから、ゴロゴロと雷鳴が聞こえて来ました。

暫くすると・・・
ざあっという音と共に雨が降ってきました。


【近づく夕立】
                                     
今日の畑から
 『イチゴだらけのイチゴゼリー』!』 
                 
  
 今年豊作のイチゴを沢山使っての
 デザートです。

 少し甘みを控えたイチゴ入りゼリーに
 甘いイチゴソースをかけていただきました。

 う~ん・・・
 やはり少しだけ生クリームがあったら
 もう少し彩りもよかったかな~。

 さっぱりとした、初夏の冷菓です。

 


今日もお付き合いくださってありがとう~!