俳誌『花衣』の創刊号に、久女は主宰者として創刊の辞を書いています。その全文を見てみましょう。
草萌えの丘に佇んで私は思う。
過去の私の歩みは、性格と環境の激しい矛盾から、妻としても
母としても俳人としても 失敗の歩み、茨の道であった。
芸術芸術と家庭も顧みず、女としてゼロだ。妖婦だ。異端者だ。
こう絶えず、周囲から、冷めたい面罵を浴びせられ、圧迫され、
唾されて、幾度か死を思った事もある。
愛する友にもそむき去られた。而も猶生命の火は尽きない。
大地はたえず芽ぐむ。
躓き倒れ、傷つきつゝも、絶望の底から立ち上がり、自然と俳句とを
唯一の慰めとして、再び闘い進む孤独の私であった。ダイヤも地位も
背景も私にはなかった。
かくして二十何年の風雨に、私の貧弱な才能は腐食され、漸く凋落を
憶ゆる年頃とはなった。だが地上の幸福、女の一生を、芸術にかけた
私は、何とか目下の沈滞を耕し直したい希望を抱いて、茲に女中もなしの
家事片手間に、ほんの小さいものを試みるに過ぎない。
もとより何の形式にもよらず、発行の時をも限らない。此小冊子は
私自らの思索感情を彫りつける分身ともなり、私の俳句修行のささやかな
道場ともなろう。
久女よ。自らの足もとをただ一心に耕せ。茨の道を歩め。貧しくとも
魂に宝玉をちりばめよ。
私はこう私自身に呼びかけて亀の歩みを静かに運ぶのみ。
先輩知己のご声援をひとえに仰ぐ次第である。
昭和7年立春
何だか読んでいて息苦しくなる様な文章ですね~。それはこの中に、久女の気負いや自嘲、また悲痛とも思える覚悟や決意など、心の内が率直に表現されているからだと思います。また茨の道、異端者という言い方には彼女が一時期ふれたキリスト教の影響が見えるようにも思います。
特に〈女としてゼロだ。妖婦だ。異端者だ。〉という強い表現は、実際に彼女自身が浴びた言葉かもしれませんが、この様に活字にし多くの人の目に触れると、その言葉が独り歩きし、久女に貼られたレッテルの様になり、彼女にマイナスになるのでは、と思わずにはいられません。
久女の俳句や文章を見ていつも思うのですが、周りの反応を気にしない、彼女の必要以上の率直さ無防備さが、しばしば周りから誤解される要因になったのではという気がします。しかしそれは、彼女のさがというか、宿命でありどうしようもなかったのかもしれません。
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