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日々の生活を思いつくままに綴っていきたいと思います。

日記帳の“あとがき”

2014年01月30日 | 日記

 先日のこと何時もの愛の定期便が娘からかかってきました

その時に「年頭の一字、去年は何を書いたのか忘れているね、と

〇〇(婿)と話していてん」との内容でした。

本当に忘れているわと私は最近5年間の日記張を出して読み返してみました

ふ~ん 成る程と思いながら年頭の一字を見た後に、私の日記帳には

最後の6ページには“あとがき”が書けるようになっています。

“あとがき”は基本的には一年の締めくくりの大晦日に書くのですが

私は特に印象強く感じたこと等は、その都度“あとがき”のところに

書き留めています。

今回はその5年間の“あとがき”も振り返って読んで見ることにしました。

  

東日本大震災のあった2011年の“あとがき”には、2ページにわたって

日本国民が一丸となって頑張っている様子が書いてありました

それに がんばろう 日本 の言葉が印刷されたのを貼っていました。

 

婿のお母さんが急逝された年の“あとがき”には、娘夫婦の心境、

私の心境が切々と書いてありました

その辛い時期を乗り越えた頃に、婿から貰った手紙があまりにも嬉しいのでと

私に婿の手紙(原文のまま)を見て欲しいと娘がメールしてきました

感動した私はこの手紙のことも“あとがき”に書いていました。

「ずっとオカンと仲良くしてくれて有難う。

〇〇(娘のこと)と結婚してからは人付き合いの苦手な

オカンが初めてする顔が多くてオカンも

こんな顔するんやって思うことがあった。

オカンはほんまに〇〇のこと好きやったんやと思う

オカンに何時も優しくしてくれた感謝の気持ち

これを見て時々オカンのこと想い出してあげて」と手紙と共に

誕生石の入った指輪をプレゼントして貰ったと

婿のお母さんが娘を好いてくれたように娘もお義母さんを本当に慕っていました

そして私自身も婿のお母さんとは両家の親という以上のいいお付き合いが

出来ていたので、婿のお母さんの急逝は私の人生観をすっかり変えてしまいました。

それまでの私は手芸が何より好き で何時も手を動かしていたのに、

私は手芸をする気力を失せてしまいました

歌を忘れたカナリア状態です。

そんな中、辛かったことは時間が解決してくれたと思っています。

 

日々明るさを取り戻した頃の我が家に待望の初孫Kくんが誕生しました

一昨年の日記帳には、幸せいっぱいの気持ちを“あとがき”に書き込んでいます

手芸する気力を失せていた私ですが、宮参りの日だけに着るべビードレスを

毛糸で編んで欲しいと娘から要望がありました。 

元々、手芸好きの私は可愛い初孫のベビードレス楽しんで編むことが出来ました

 ←宮参りの日のKくん 

婿のお母さん亡き後に生れたKくん、大きくなりました

Kくんに会ってほしかったと、お義母さんのことは娘とよく話しにでます。

Kくんのことは婿のお母さんの分まで私は愛情を注いでいくつもりです。

ふとしたことで過去の日記張の“あとがき”を読み返し今も変わらぬ

心優しい婿の思いやりのある手紙に再度、涙した私です

たぶん娘も今回の私のブログを見て涙することでしょう。

婿のお母さんの急逝で人生観が変わり手作りなどすることは激減した私ですが

婿のお母さんとの数年間を楽しく過ごせた事は忘れません。

つい1ヶ月前の去年の“あとがき”にはイブ婚した息子夫婦のことを書きました

新しい家族(お嫁ちゃん)が増えて嬉しい限りです

“あとがき”はまるで本の“あらすじ”みたいで、その年のポイントみたいかな

大晦日に日記帳の“あとがき”を書く時には来年も元気で

書くことが出来ますようにと願いを込めています

年頭の漢字一字の話から日記帳の“あとがき”の話になりましたが、

こうして読み返して見るのも意義があると思いました

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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