Potential of aromatherapy

aromatherapy and golf and movie

紅葉はどこまで

2005年10月21日 | 雑記
今日は久しぶりのお休みでした。
日曜日はお祭りでしたしネ。

もうすぐ引越しです。自分のお部屋ができますし、アロマルームもできます。
天気もいいですし、お片づけ
すると一通のがでてきました。
(こうして片付けは進まないのでした

銀杏の葉が黄色に色づく頃、癌の末期の患者さんを毎日訪問していた頃がありました。
そこの団地の中に、大きな銀杏の木がいくつもありました。

Sさんは、もうしゃべることができず、筆談です。
私は主に、硬くなって自力でだすことが困難だったその方の便のケアをしていました。
モルヒネを使うと、どうしても便秘になります。
食事は奥様が工夫して作っていました。
飲み込むことが難しく、食べるものはよ~く吟味することが必要でした。

訪問すると、必ず
[待っていましたよ。ずっと。]
と、広告を5~8センチ四方に切ってある裏に書いてくれました。
[日中のテレビは、料理番組が多くて、食べたいけど食べられないから・・・]
などと笑っていたり、
ひとつひとつに
[有難う]と書いてくれました。

徐々に床ずれができたり、苦しかったり、全身の様子が変わってきました。
あまり動かなくなったことを意味します。
それでも、紙の数は毎日毎日増えていきました。
まるで銀杏の葉が、地面に落ちて重なるように、その紙も増えていったのです。

広告の裏でしたから、色が様々ですし、紅葉していた紙です。

私たちの言葉は残りませんが、Sさんの言葉は残っているのです。
亡くなってから、訪問したときに、奥様がたくさん見せてくれました。
たわいもない日常会話から、これからのこと、どうやって生きていくのか・・・・。

字も徐々に乱れていました。
そして 心に残る1枚。
 [らいせいも 君と]

  拝啓。・・・・・・・お蔭様で、主人が手厚い看護を受けながら静かに天国へ旅立つことができましたこと、
私も、多分主人も、心より幸せだったと感謝の気持ちでいっっぱいです。
二人きりの生活がながかっただけに、なかなか淋しさから逃れられずにおりますが、
自立に向け、少しずつ動き出しております。
本当は出向いてお礼を申し上げるべき処ですが、お会いしたら
また 大泣きしてしまいそうで、手紙にいたしました。 
・・・・・


奥様の手紙でした。お二人は戸籍上の夫婦ではありませんでしたが、
とても素晴らしいカップルでした。
Sさん70歳、奥様は50代だったと記憶しています。

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