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私の看護観

2006年01月27日 | 雑記
看護学生の頃、「医系学生ゼミナール」というものを開催しました。
東大の医学部や慶応大の医学部、そして看護学生や、薬剤師など、
学生の時代から、チーム医療を考えていて、各職種をお互い理解しあうという目的でした。

当然、目的を達成することは可能でした。
話し合い、語り合い、役割を認識することができたのですから。

その頃に、私は看護本来の役割を漠然と感じていました。

眠れないと訴える患者さんに、薬を渡すのではなく、
  眠れる環境を作るとか、心配事や不安に心を傾けることです。
手術の後は、傷も痛いけれども、寝ているために
  腰が痛いことを知ることです。
ベッドから動けないときに、上手にベッドの上で歯磨きをさせることが
  できることです。
健康を取り戻す過程で生じる、様々な不具合に、根拠を持って取り組むことです。

いつか無人島に行ったとしても、
遭難したとしても、
【看護技術が役に立つ】【知識が役に立つ】
そうでありたいのです。

訪問看護時代は、まさに私の理想のフィールドでした。
何の設備のない家庭で、働くことができたからです。

婦長であれば、どんどん患者さんと遠ざかります。
以前そうだった時に、包帯ひとつ満足に巻けずに、
恥ずかしい思いをしました。やってないからです・・・・・・。
注射だって、同様です。
急変時の対応も、そうです。
現場で悩みながら、患者さんや医師に接するスタッフがどんなに羨ましかったか。

婦長になりたいという意思は全くありません。
(婦長という存在を否定しているわけではありません。)
異動も、任務だと受け取って了承しています。
これも試練です。責任も果たそうと努力します。

看護には終りがありません。
対象がいつも違うから、同じ方法が通用するとは限らないからです。
毎日が勉強です。

私にとっては、婦長という役は、何の価値もないのです。
向いていないのです。
少なくとも私にとっては。
私は不真面目ではありませんから、やることはやります。
周囲の方々も、そんなに困らないでしょう。
わからないことは努力しましたし・・・・・・・・・。

周囲の評価や期待と、私のしたいことは違います。

さて、皆さんは、やりたいことだけできていますか?
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 他の方の様子がわかります。

今日は初心に戻って考えました。
糖尿病の初期指導をしながら、「やはり患者さんと接してこそよね」と。

小児科もいいです。
自分の子供の病気のときに、大変役立ちます。

外科のスタッフも、「癌の末期で、あしがない(車がない)から、病院にこれない」
これからどうしよう・・・・小さい子供もいるのに・・・と、悩んでいました。

私も悩みたいです。患者さんの声に、心に寄り添いながら。
そのために、勉強したのですから・・・・・・・・・・・。