日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

1月12日

2025-01-16 15:04:54 | 日記
イザヤ43:1~7  使徒言行録8:14~17  ルカ3:15~17、21~22
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二日市教会主日礼拝説教 2025年1月12日(日)
フジコとリスト
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
  本日は、「赤ずきん」の話の予定でしたが、変更して作曲家のリストを取り上げます。というのも、NHKのテレビが「そしてまた、フジコ・ヘミングとともに」という彼女の追悼番組をやっていて、彼女の興味深い発言を紹介したからです。フジコさんは、一昨年の11月東京の自宅で二階から転げ落ちて大怪我をし、入院しました。NHKはその入院先で病床にある彼女にインタビューをしたのでした。
ところで彼女は、入院の直前までは、その春に予定されていたコンサートの準備に打ち込んでいました。演奏会の柱はリストの「ラ・カンパネラ」で、彼女への取材もリストとその作品に焦点が合わせていました。
けれども、入院中のフジコさんは痛々しい姿で、普通の会話が困難な様子でした。そこで取材する女性記者は、大きな紙にマジックインクで質問したいことを書いてフジコさんに見せていました。この女性記者はフジコさんとは気心が知れた仲のようで、けっこう遠慮のない質問をしていました。そして話題がリストになったとき、こんな質問をしました。「フジコさん。リストのお家に行ったことがあるんですって?」。リストはドイツ人ですが、ハンガリーで生まれました。だから生家もハンガリーです。フジコさんがうなずくと、その家でどんな思いがしましたかと聞いたのでした。

そこでフジコさんはこう答えました。「彼がすごく信仰にあついことが好きだった」。さらにこうも言いました。「のちに彼はお坊さんになったでしょ? 牧師になりました」。この答を聞いて驚いた人は少なくなかったかもしれません。
実はリストは、1865年、54歳の時に、イタリアのローマで修道院入りをしたのでした。修道院はカトリックですから、「牧師になりました」は変かもしれませんが、彼女は普段思っていることをそのまま言った感じでした。要するに、リストがいかに信仰深い人物だったかを強調しようとしたのでした。
さて、修道院入り前までは、華やかな社交界で人々の注目を浴びつつ暮らしていたリストですが、修道院入りして生活がガラリと変わりました。すなわち、朝6時半に起床。そのまま部屋でコーヒーをすする。8時半にミサに参加。その後は一人で聖書朗読。再び聖餐式に出席、正午に食堂で皆と食事をする。午後は庭を歩き、聖書を読み、瞑想し時間を過ごす。8時に夕食、食堂で修道院長と信仰に関する質疑応答をする。部屋に戻って10時に消灯。
このような生活を毎日守ったのち、数年後にはそれを終わりにして、再び元の生活に戻っています。そのことはどう考えたらよいのか。そのためには、彼が入った修道院のことを知る必要があるのです。
というのも、彼が入った修道会はフランチェスコ会といって、他の修道会とは違った特色があったからです。なぜならフランチェスコ会には、第三部会というセクションがあって、そこは一般市民に解放されていたからです。つまり、信仰心は篤くても、家、財産、社会的地位を捨ててまで献身は出来ない人が、一定期間修道生活をするなら、その人にも修道士という称号が与えられるのが第三部会の制度だったのでした。
この制度は大変人気があって、入会希望者が後を絶ちませんでした。リストはその第三部会に入会してフジコさんが言った「お坊さん」になったのでした。なお、この第三部会に入会する人は中産階級の経済的にもしっかりしている人たちだったので、寄付や慈善活動への協力も積極的に行いました。たとえばリストも、演奏活動で得た収益の大半をそのような目的で使っていたのでした。

ところで、あまり知られていないことですが、彼は青年時代に神学校に入学する決心をしました。つまり聖職者になろうとしたのでした。けれどもそれは父親の猛反対で実現しませんでした。この時の固い決意が、数十年後の第三部会への入会で、姿かたちこそ違えどもかなえられたのだとフジコさんが考えたのであれば、ハンガリーの生家で何を思ったかという質問に、「のちに彼はお坊さんになったでしょ? 彼がすごく信仰にあついことが好きでした」と答えたことの意味もよく見えてくるのであります。
なお、多くの日本人がリストに抱くイメージは‟女たらし”かもしれません。どの本にもそれだけはしっかり書かれているからです。その中にあってフジコさんが、リストは信仰に厚い人だったと言ったことは、大いに参考すべきだと思うのであります。
ところで、カヴァノーという伝記作家はこう書いています。「たしかに、彼はスキャンダラスな人間だった。しかし、彼は決して嫌われ者ではなかった」。ざっくばらんに言うと、リストはお金を沢山稼いだ音楽家でしたが、お金に執着しない人間でした。そのような人間性を普段見せている彼を、人々はよく知っていたからでした。そして、それに加えて彼は、第三部会に入ったほどの人だった。フジコさんは心の目でリストをみていたのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週 1月19日 顕現後第2主日
説教題:大災害の子どもたち
説教者:白髭義 牧師


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