日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

12月8日

2024-12-13 15:03:45 | 日記
ラキ3:1~4、 フィリピ1:3~11  マタイ1:18~25、2:13~18
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月8日(日)
クリスマス物語①どこに泊まったのか
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 キリスト教の幼稚園や保育園で今の時期に行われるクリスマス劇で、子どもたちはこんな内容の演技をします。ベツレヘムに着いたヨセフさんとマリアさんは、泊めてもらおうと思って宿屋をたずねます。けれども、どの宿屋も「満員です」と言って断るのでした。するとある人が気の毒に思って、馬小屋でよければ使っていいですよ と言ってくれました。そこで二人は馬小屋に泊まることにして、その夜赤ちゃんイエスさまが生まれたのでした。ところで、この話、私たち大人には引っかかるものがあります。なぜなら、そこは馬小屋ですから、冷たい風が吹き込んできます。たしかに赤ちゃんはワラを敷いた飼い葉桶に寝かされるのですが、幼子イエスは、なぜそんな劣悪な環境下で生まれなければならなかったのか。本当にそれは悪臭に満ちた家畜小屋での誕生だったのか、考えてみたいと思うのであります。

 そこでまず注目してみたいのは、聖書の言う宿屋という言葉です。今の2章7節にありましたが、この「宿屋」こそ が問われなければならないと思うからです。ところで、この2章が言っていたのは、ヨセフ夫婦は泊まる場所がなかったということです。しかしこの「泊まれる場所がない」は、二通りの意味にとれるのです。そのひとつは、ベツレヘムの宿屋はどこも満員だったということです。そしてもう一つは、ベツレヘムには宿屋はなかったということなのです。
 そこで、「ベツレヘムには宿屋はなかった」から考えます。なお宿屋といっても大昔の話です。もちろん大昔でも宿屋は存在しましたが、東海道のような主要幹線沿いにしか宿屋はありませんでした。その道は政治・軍事そして商品流通の面で重要でしたから、街道沿いの都市や町には宿泊施設も整備されていました。
しかし、それ以外の町には、必要性がないので宿屋もありませんでした。その意味でベツレヘムも例外ではなく、従ってベツレヘムに宿屋はなかったのでした。しかしながら、7節には「宿屋には彼らの泊まる場所はなかった」と書かれているのです。聖書がそう言うから、ベツレヘムの宿屋を疑う人は一人もいませんでした。
しかし、この「宿屋」は翻訳ミスなのです。聖書の言葉はギリシア語ですが、「宿屋」と翻訳されたギリシア語は、ほんとうは「客間」と翻訳されなければならなかったのでした。それに、宿屋と訳した人がベツレヘムに宿屋は存在しなかったことを知っていたら、そのような翻訳ミスも避けられたのだと思われるのです。いずれにしても、これは宿屋ではなく客間なのでした。そして、それが分かれば、宿屋の問題も一挙に解決するのであります。

たしかに、ヨセフみたいなよそ者が「宿屋はない」と言われたらショックかも知れません。けれども、ヨセフたちは間違いなくベツレヘムに泊まったのでした。

ところで余談になりますが、あるキリスト教の幼稚園でクリスマス劇のリハーサルが行われました。舞台では、ヨセフとマリアがベツレヘムの町で、泊まれる宿屋をさがして歩くのですが、どの宿屋でも「満員です」と断られるのでした。するとその様子を観客席から見ていた一人の園児が「そんなに大変だったら、僕の家に行ってごらん、僕のお母さんならきっと泊めてくれるよ」と言ったのでした。
話を元に戻します。ヨセフとマリアは必ずベツレヘムに泊まれたはずだということが示唆されているのが2章4節です。こう書かれているからです。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上っていった」。ここで重要なことは、ヨセフがダビデ家、つまりダビデ族の一員だったことです。そして、ベツレヘムはダビデの町でした。ダビデの町とはダビデ族発祥の地という意味なので、そこに行けば、ヨセフと同じダビデ族の人間がたくさん住んでいるのでした。

さて、そうことですから、ヨセフがベツレヘムの町に入ってゆけば、同じダビデ家の人間として大歓迎を受けるのは日の目を見るよりもあきらかなことでした。そしてどの家からも、「わが家に泊まって行きなさい」と声がかかることもあきらかでした。ところが、それにもかかわらず聖書は「宿屋に彼らの泊まる場所がなかった」と言うのでした。もちろんそれは「客間には彼らの泊まる場所がなかった」と書き直す必要があるのですが、彼らは自分の家の客間に二人を泊めたかったのですが、その時期に限っては、どの家の客間もすでに先客が泊まっていたのでした。
これはどういうことかというと、2節に書かれているように、国家は国民に住民登録をするために自分の町に帰るよう命令を出していたからでした。つまり戸籍の上での町に帰る必要があったので、ヨセフもそれに従って帰ってきたのですが、同じ理由で帰省する人も少なくなく、そういう人たちのためにどこの家の客間が埋まっていたということなのでした。
けれども、そのためヨセフがピンチになったかというと、そうではありませんでした。なぜなら、親族たちは、客間は無理でも彼ら家族が住んでいる部屋でよければ遠慮なく泊まりなさいと言ってくれたからです。だから、そういう家の一軒に泊まったのがヨセフとマリアなのでした。だから彼女はその家で出産をした。
以上はクリスマス物語の、まだ最初の部分です。けれども、ここまでの話で言えることは、マリアは、冷たい風が吹き抜ける馬小屋でぶるぶるふるえながら出産したのでは決してないということなのであります。(日本福音ルーテル二日市教会)

次週 12月15日 待降節第3主日
説教題:クリスマス物語 その③
説教者:白髭義 牧師
 ※12月22日(日)18時半~
 愛と平和のクリスマスコンサート
女声合唱団:クールクール  ぜひお出かけください。
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