Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

赤坂宿

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
関川神社境内に芭蕉の句碑「夏の月御油より出でて赤坂や」がありました。

広重五十三次 赤坂(旅舎招婦ノ図)
赤坂は「御油や赤坂吉田がなくばなんのよしみで江戸通い」「御油や赤坂吉田がなけりゃ親に勘当うけやせぬ」等と当時言われていたようで、遊女の多い歓楽街として栄えた宿場だったそうです。

少し走ると左手にやたらに古い建物が有り、「大橋屋」の看板とでっかい古ぼけた提灯が掛かっていた。
ここが、知る人ぞ知る、知らない人は知らない(当たり前だ)東海道にただ一軒の現存する旅籠、そうです、現在でも宿泊出来るんです。
「大橋屋」は大旅籠で間口9間、奥行23間ほどありました。旧屋号を鯉屋と言いました。町指定の文化財になってはいますが建物の内部が改装されて居る為、国指定の文化財にはならなかったようです。
しかしながら現在も江戸時代(正徳六年(1716)頃)の建物で営業を続けているとは、感慨一入です。

旅へ出る前に「大橋屋」さんが営業しているのを知っていたら絶対ここで一泊したかったですね。
お女郎さんの部屋に泊まって、あんなことしてこんなことして、妄想が頭の中を駆け巡り、鼻の下がビロ~ンと伸びちゃったりしますが、現実には二階の街道が見える和室が三部屋だけの営業だそうです。

愛知県宝飯郡音羽町赤坂紅里127
電話  0533-87-2450
宿泊料金・1泊2食 1万円~

この情報を知ったのは、この道の少し先に三人のおじさんがたむろしてたんですよ、何気なく観ると音羽町資料館。
おじさん達の「寄っていきなさい」のやや強引なお誘いに、それではと中を覗きお話しを伺いました。
このおじさん達、何を隠そう、何も隠していません(また、はじまった!)
ボランティアでここを訪れる人達に、町の歴史を伝えて下さって居るそうです。

赤坂宿愛好会の資料をいただき、丁寧に説明して下さいました。

説明していただいた鈴木守雄氏は、旅籠伊豆倉屋金四郎の子孫で、旅籠は取り壊してしまったが自宅は元の場所にあり、当時の資料を現在も自宅にお持ちだとか。

その資料の中に「宿置き飯売り奉公人請状のこと」と云うのがあります。
娘の身売りの契約書です。
内容は、百姓が年貢を払えなくなったので、娘を奉公に出します。
年季は14年1ヶ月、給金は二両です。
娘の身の上に何が起きても一切苦情を申し立てません。
娘を他へ身売りするのもそちらに任せます。
年季が明けたら返して下さい。
文久三年(1863)

と、まあ、こうして売られて来た娘達がこの赤坂宿で書類では「飯売り奉公人」ですが実態は「飯盛り女」「遊女」だったようです。
因みにこの証文の文久三年から6年後に時代は明治となります。

参勤交代で赤坂宿に泊まる大名達も華やかな「お女郎さん」の居る旅籠へ泊まりたかったのですが、大名は本陣以外に宿泊する事を許されていなかったのです。
まして「お女郎さん」の居る旅籠へ入る事など許される筈が有りません。
しかし、それ、世の中には表もあれば裏もある。
そこで、赤坂宿に御駕籠に乗ったままでも入れる、そうです、現代のモーテルの様な旅籠が出来たそうです。
御駕籠に乗ったままでも入れるんですから、玄関も大きかったそうです。
お話しをしてくれた鈴木氏も「子供の頃にそこで遊んだんだよ、玄関も槍持ちがそのまま入れる程、高くて」と懐かしそうでした。
その当時この赤坂は、数千人も宿泊できたと云いましから、もの凄い繁盛だったんですね。

その後、別のボランティアの方が杉森八幡社を案内してくれました。
ここには平成十三年に復元されたと云う、立派な回り舞台が有りました。
舞台の端に立っている人、数人掛かりで棒のような物を使って回すそうです。
案内の方も踊り子だそうですが、出来てから2回しか踊る機会が無かったと少し残念そうです。折角の回り舞台ですから是非有効に使っていただきたいですね。

地元の方々とのお話は、本に載っていないような事が聞けて、旅の楽しさが増し私の心を豊にしてくれました。

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イチビキ

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
街道脇に大きな樽を発見。
味噌・醤油メーカーのイチビキの工場だった。

江戸時代の御油は飯森女が袖を引く広重の絵に有るような繁華な宿場だったが、東海道線敷設に反対したおかげで人の流れが変わり、今は昔の佇まいを残しながらひっそりと息をしているように感じられた。

この先に御油の松並木がありました。
見事な大木やまだ細い松などに番号札が付いていて300本以上有るようです。
暑い日の、旅人には松並木の木陰は大助かりです。
昔の旅人達を夏の陽射し冬の寒風からこの松並木が防いでくれたんでしょうね。

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吉田城

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
永正二年(1505)牧野古白が駿河国守今川氏の命を受け、築城したもので、江戸時代にも藩主酒井忠次・池田輝政の居城であった。現在の城は、昭和二十九年豊橋博覧会時、三層白亜に復元されたもの。(豊橋市商業観光課資料より)

今は鉄櫓(くろがねやぐら)工事中で中に入れませんでした。

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二川駅

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
ここ二川宿は今まで通って来た東海道の中でも、古い街並みや街道のたたずまいが旅人の心を微妙にくすぐる古さと雰囲気をたたえて居るのだが、残念なことにここでも新築の家は現代風の建築で色遣いもカラフルなので古い街並みとはそぐわないですな。

まあ、この町で暮らす人々の生活をよそ者が口出しするような事では無いのは判って居るんだが・・・。
せめて、街道に面した所だけでも、統一感のある風景になったらと思うのは、旅人だけでしょうか。

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二川宿本陣資料館

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
江戸時代の交通と地域の歴史文化というコンセプトのもと、「東海道」「二川宿」「本陣」という3つのテーマで展示を行う資料館です。二川宿の成り立ち、近世の旅や交通の様子をわかりやすく展示・解説しています。館内には宿場内および周辺を詳しく説明する史跡マップが設置されており、また資料館に隣接している二川宿の遺構は、江戸時代後期の文化4年(1807年)から約60年間本陣を勤めた馬場家の遺構で、邸内には江戸時代の土蔵や主屋、玄関棟、表門が残っています。改修、復元工事により明治以降取り壊されていた書院棟を復元、本陣の最も整備された姿を再現しました。大名の休憩場所であった上段の間をはじめ、本陣の全容を見学できます。(資料館資料より抜粋、東海道五十三次俄史跡研究家)

開館時間 午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
と云う事で、今8時15分です。
残念ですが、開館まで待たずに先へ進むことのしました。

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二川宿本陣

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 二川(猿ヶ馬場)

二川宿は、町並の長さ12町16間(約1.3㎞)、文政三年(1820)の記録では、本陣と脇本陣各1軒、家数合わせて306軒、人数1,289(男666、女623)人でした。
二川には、現在でも江戸時代の町割りがほぼそのままの状態で残り、東海道筋では滋賀県草津市の草津宿本陣田中家(国指定史跡)とここだけに現存する本陣の遺構があるそうです。(東海道五十三次俄史跡研究家) 

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東駒屋

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
「←二川宿本陣資料館」の看板、どうやら東海道ではない道を走っていたようだ。
左折して坂を下って行くと左手に神社があり、道の突き当たりが東海道だった。

二川の宿場を走っていると古い家並みが結構多い。
中でも一段と歴史を感じさせる商家がこの東駒屋。
ここは江戸時代から味噌・たまり醤油を造り、現在でも赤味噌を製造販売しているらしい。

鷲津に宿泊したので、新居と二川の間の白須賀宿をパスしてしまった。
広重五十三次 白須賀(汐見阪図)
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東海道自転車ぶらり旅 その7

2005年09月04日 | 東海道自転車ぶらり旅
食堂の前に手筒花火が飾られていました。
遠州三ヶ日手筒花火はテレビで観たことはあるんですが、実物は想像以上にでかいです。

朝食バイキングで今日のエネルギーを蓄え出発です。

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
東海道自転車ぶらり旅 その6
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遠鉄ストア湖西店

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
風呂で汗を流してくつろいだ後、夕食を買いにホテル隣りの遠鉄ストア湖西店へ出掛けました。

折角浜名湖まで来たんですから、旅人も浜名湖名物を食べたいのです。
お弁当コーナーに有りましたよ「浜名湖鰻丼」いいですね~。
それと今日は発泡酒ではなく「エビスビール」を購入。

ホテルへ帰りテレビを観ながらの食事です。

食事後、テレビを眺めて横になっていたらいつの間にか寝てました。


袋井宿・見附宿・浜松宿・舞阪宿・新居宿 

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
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ホテル

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
今回は宿を予約しときました。
静岡県湖西市鷲津のグランドホテル湖西です。

一泊朝食付きで5,855円
愛車のシルバー号は屋内の階段室へ入れて貰えました。
綺麗な部屋で静かな感じの良いホテルです。

直ぐに風呂場へ行き、汗でしょっぱくなった全身を洗い流し、ゆっくりと湯船に浸るのは、実にどうもいいもんですな~。

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新居の関所

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 荒井(渡舟ノ図)

気が付いたら、関所の前だった。

自転車をひたすら漕いでいると無心になれる、精神的にはすこぶる良い感じだ。
しかし、無心で汗を流し只ひたすら走っていると時として、否、頻繁に失態を引き起こす。目的地のいくつかを素通りして来たのだ。

弁天島では弁天神社の境内にある天女の松といわれる松を見たかったのだ。
新居宿にある種田山頭火の句碑 「水のまんなかの道がまっすぐ」にも寄りそこねた。

ガックリ気分を増幅させてくれてのが関所に入れなかったことだ。
閉門時刻を過ぎてしまったので、門の外でウロウロするばかり、旅人は通行手形は持ってはいないが、関所には入りたかったよ~!

諦めて、今夜の宿へとペダルを漕いだ。

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