知らなかったことがまた、たくさん出てきました。
昭和20年8月15日、駐蒙軍司令官根本博中将は、玉音放送による「終戦の詔勅」により直ちに武装解除しなければならなくなった。
六日前の8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄し攻め込んできたソ連軍と戦闘状態に入っていた。
根本司令官は、玉音放送の後、蒙疆地域へ向けたラジオ放送で、
「全軍は、別命あるまで、依然その任務を遂行すべし」
「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断固撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」
と命令しました。
ポツダム宣言を受諾し本国から武装解除命令が出ているのにも関わらず、根本個人の責任で戦闘を続行すると宣言したのです。
8月20日、張家口には、2万人の在留邦人がおり、外蒙ソ連軍・延安軍(共産軍)相手に武装解除は出来ない。
支那派遣軍総司令部の武装解除命令も拒否した。
こうして、外蒙ソ連軍・延安軍と対峙しながら撤退し、北支那方面軍司令官として、故宮にて降伏文書に調印し、在留邦人2万人と35万将兵を日本へ帰還させた。
根本と蒋介石との面会の際、蒋介石は、
「戦争犯罪人の処罰は連合国の申し合わせだから仕方がない。しかし、いたずらに多数の戦犯を摘発し、日本の恨みは買いたくない」
「戦争である以上、罪は双方ともが犯している。だが、連合国からの強い要請もあるので、戦争以外のことで最も悪質なことをやった者だけにしぼって、戦犯として処理したい」
そのように語ったという。
その蒋介石の国府軍が、共産軍によって、大陸から台湾へと追い詰められていた。
かつての敵であり、恩人の助けになれば、自分の死に場所はそこにしかないと密航を企てる。
金門島の戦いも、台湾が大陸からわずか2kmの距離に領土を持っていることも、今まで知りませんでした。
戦争を知らずに、六十数年を過ごしてきた平和ボケな団塊の世代ですが、先人が築いた友好や信頼、努力で得た経験と教訓といったものを正当に評価し、ご苦労に報いたい等と思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。