Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

目の前の車が

2006年01月31日 | 身辺雑記
今日は、所用で相模原へ出掛けたが、その途中事故を目撃してしまった。

殆ど直線の道だったが、そこだけわずかに右へカーブしているんだが・・・。
私の前の、軽自動車は何故か直進していくのだ。
「これは、左によって停まるのかな」と、思った瞬間、その儘のスピードで、ガリガリガリっと云う音と共に歩道へ乗り上げた。
「エッ!」っと、思い、ブレーキを踏みながら前車を見ると、そのまま、お店の看板を斜めになぎ倒し、その先の店の角の柱へ激突。
ガシャン、と云う音と同時に、車が飛び跳ねて、今度は道路の斜め右方向へバックで突っ込んだ。で、そこで止まった。

私しゃ、車を左に寄せて停め、事故車を見ると、車のフロントはメチャメチャに壊れて、運転席から何やら白い煙が出てるじゃありませんか。
事故車のドアを開け、中を見たら、年配のおばさんが鼻血を出して、エアバッグに挟まれていた。
運転手のおばさんを、車から降ろしましたが、幸い、大きな怪我はなさそうだったので、近所の人に警察を呼んで貰い、その場を立ち去りました。

近所の人の話では、車が飛び込んだ家は、今回が初めてではないようでした。
直線の道が、そこだけ、ほんのわずか、ちょっとだけカーブしてたんです。
そのカーブの外側へ、ノーブレーキで突っ込んだんです。
幸い、歩行者がいなかったし、対向車も来なかったから、良かったんですが、そんなに何回も車が飛び込む様なところには、対策が必要だと思いますよ。
人が死んでからじゃ遅いんだよね、何とかした方が良いと思うな、座間市は。

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契約更新

2006年01月28日 | 身辺雑記
クライアントの契約更新で、出掛けてきました。
昼食を取りながらの雑談が、いつの間にか、コーチングになっていたんです。

コーチングは、いつもは電話でするんですが、対面して話していると、遂々、時間をオーバーしてしまいます。
3ヶ月間の有料コーチングの成果を認めていただいて、コーチ料を少し値上げして頂きました。
出来立ての、我が社にとっては、実に有難いことですし、嬉しいことでした。

帰宅途中で、以前、働いていたお店に顔を出してみました。
懐かしい方々が、気軽に話し掛けてくれるのが、凄く嬉しかったですね。
何人かの方達に、まあ、冗談なんですが「店内放送を遣って行って」って、言われました。
私の放送が、記憶に残る放送だった、って、ことですかね。
なんか、嬉しさを通り越して、何とも言えぬ温かみを感じることが出来ましたよ。

まあ、これからは、店内放送のコーチングでも遣りましょうか(笑)
それはさておき、コーチングを遣るからには、クライアントの心に残るようなコーチングが出来ればと思ってますよ。

コーチングに興味の有る方は、ご連絡下さい。

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食の安全

2006年01月26日 | 私しゃ、こう思う!
今日、何気なく読んでいた、「WiLL2月号」の記事が気になり調べてみた。
それは、輸入食品の安全性についての記事だった。
厚生労働省のHP輸入食品監視業務ホームページと云うのがある。そこの(8)輸入届出における食品衛生法違反事例を見ると、抜き取り検査で見つかった違反品目、違反理由、輸出国、輸入業者が解るようになっている。

三百人足らずの検査員が、アトランダムに行っている検査実施率は輸入件数の6%未満だとか。94%以上が無検査で輸入されているのが実態だとのこと。
因みに、「WiLL2月号」の記事によると、2005年の1~7月合計違反数は447件、その中の178件が中国産品の違反件数だとか。
実際にHPを見てみて気になったのは、8月に検査を受けた中国から輸入の「うなぎ蒲焼き」だった。
これには、マラカイトグリーンという、合成抗菌剤が検出されたが、これは、発ガン性・催奇形性があり、法律上検出されてはならないものでした。
検疫所で見つかったのは2件で、その後、国内におけるマラカイトグリーン検出事例は14件でした。
輸入していたのは、複数の企業ですが、その中には大手商社や某GMSもありました。
この件は、幸い検疫所で2件発見されたから良かったのですが、この発見が無ければ、この危険なマラカイトグリーン入りの「うなぎ蒲焼き」を多くの人が食べるところでした。
そして、更に驚いたのは、この危険なマラカイトグリーンの入った原因が、未だに「調査中」になっていたことです。
過ぎ去ってしまったことは、「調査中」で終わりにしようと云う事だったら許せませんね。

BSE問題でもそうですが、輸入食材を使って商売をしている方々は、輸入食品の安全性をキチンと確認してから、自らの責任で、店頭や食卓に並ぶようにしてもらいたいものですな。

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野口嘉則コーチを応援してます

2006年01月25日 | コーチング
幸せ成功力を日増しに高めるEQノート
野口嘉則
日本実業出版社
1月26日発売

ブログで圧倒的な人気の野口嘉則さんが、ついに著書を出すらしい!「幸せ成功力を日増しに高めるEQノート」(日本実業出版社)という本だ。 EQ能力と目標達成力を同時に高める「5つのステップ」を教えてくれる。
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そんな野口嘉則コーチが、この度初の著書 「幸せ成功力を日増しに高めるEQノート」を発売されることになりましたので、私も応援させていただきます。

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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 7

2006年01月24日 | 読書
この時代、郎党を探すのは、普通自分の出身の地や、血縁に限られていた。渡り者と違って、隋身の気構えが違う。縁のある土地と言えば、自分の出身の村、知行地、等である。伊右衛門が新しく貰った知行地は尾張国内にあるが、まだ縁がうすい。
「美濃の不破などに、ぶらりとお遊びがてらにいらっしゃいませぬか」
「おお、そうであったな」千代の実家だ、それを忘れていた。
「それでは今日、使いを出しておきましょう。叔父の市之丞は一豊様が大好きですから、もうおろおろして喜ぶに違い有りません」
実のところ市之丞は、伊右衛門に対してそれほどでもない。しかし、そういうように言えば人と人とのつながりが上手くゆく、という知恵を千代は生まれつき備えているのである。
「それに、吉兵衛と新右衛門は、ふたりともお連れあそばすのでございましょう?」
「ああ、連れて行く」
「あの者どもは、ぜひ殿より先に、新規お召し抱えの者に会いたいとそればかり楽しみにしているようでございますわ」
「ほう」伊右衛門は考えた。
成る程、考えてみれば伊右衛門がまず会うよりも、彼らに会わせ、彼らが推挙する。という形を取れば、これからの「山内家臣団」の人間関係が上手く行く。
「そうすれば千代、おれは行かずとも、この屋敷でじっとしておればよさそうだな」
「お大名になりあそばしたときは、きっとそうなさいませ」千代は、ほがらかに笑うのだ。
「しかし、今のご身分なら、木下藤吉郎様のように軽々しいとのそしりを受けるほどに気安く出向いて人にお会いあそばした方が、召し抱えるときでも、わざわざ出向いてまで自分を見込んでくれているのか、と物喜びするものでございます」
「そうか」と、出掛けた。

馬上、なにやら、千代の言いなりになっているような、との気がしたが、直ぐに男の自尊心がそれを打ち消した。
(なに、どれもこれも、我が考えたことを千代が、くまどっているだけのことだ)伊右衛門は、その後、数日、尾張黒田村、美濃不破郷などに行き、しかるべき百姓家から、二男、三男を物色し、歩卒十人を選んだ。みな、屈強の若者である。
二百国では、七人が経済的な限度である。多すぎるかなと不安になった。
今の知行は新知だから、まだ年貢が入ってこないのである。当分は、従前の貯えでやらねばならなかった。

「千代、やってゆけるだろうか」
「なんとかなりましょう」
「あっははは、お前は暢気でいい。人間は毎日米を食うのだよ。衣類もいる。武具も買ってやらなければならない」
「ほんと」
「おいおい、今更気付いたのかえ」
「いいえ、一豊様が、ぞんがい細かいことにおつむをお使いなさる、と感心したのでございます」
「女房殿が暢気だと、つい使いたくなるものだ」
「申し訳ございませぬ」
「わしは、父が討ち死にしてから流亡の生活を送って、年少で辛酸を舐めている。それからいえば、お前は同じように戦場で父を失ったものの、いい伯父を持って苦労知らずに育った。その苦労の違いだ。人間苦労すべきではない。苦労しすぎると、ついつい先々のことばかり心配になるものだ」
「千代はのんき育ちでございますから、先々のことは陽気に考えております。この戦でまたお手柄をおたてくだされば、十人ぐらい楽に養えますもの」
「手柄とは、武運が必要だ」
「一豊様は、生まれつき、ご武運に恵まれていらっっしゃいます。千代はそう信仰しております」
「ほう、そう信じているのか」
「いますとも」
伊右衛門は、千代とこう云う会話をかわしていると、その場だけでも楽天家になってしまう」
「成る程、おれは武運があるかなあ」
「ございますとも」
「それならありがたい。ところが千代、如何に次の合戦で働こうと、今日、明日の米がなければ彼らは養えないよ」
「一豊様、私どもが、粗服を着、雑穀を食べ、それでも足りなければ、私の小袖を売ります」
「暢気だなあ、そんなことでいつまでやってゆけると思うのか」
伊右衛門は、良家に育った千代を余程、暢気者だと思っているようだった。
千代は決して暢気なたちではない。彼女の暢気さは、母の法秀尼から教えられた演技である。
「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きは出来ませぬ。夫に叱言を言うときでも、陰気な口から言えば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみを失います。同じ叱言でも陽気な心で言えば、夫の心がかえって鼓舞されるものです。陽気になる秘訣は、明日はきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです」
正直なところ、千代も、これだけの大人数の家来を抱えて、やって行けるとは思わない。が、明日はなんとかなろうではないか。

つづく

千代のコーチングで、郎等探しに尾張黒田村、美濃不破郷へ出掛けるのも、自分で考えたことだと、思わせるほどに伊右衛門の考えを上手く引き出す話しかけをしています。
コーチングは、クライアントの中にある考えを表に出させる、働きかけを行います。そして、人は、自分で考えた事は自分で実行しようとするものなのです。

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公衆の場だぞ

2006年01月23日 | トレーニング日記
ちょっと、遅れて入場したら、既にバイクは満員。ウォーキングマシンも全て使用中だった。
いつものこの時間なら、と思って空いているのを期待して来たのにがっかりです。
まあ、しかたがないので、軽く体をほぐしてから、ダンベルに行きました。
20分ばかりやり、じんわりと汗が出て来た頃、バイクが空いたのでそちらへ移動。
今日は、久し振りの方や新人の方達が入っているようです。

エクササイズの時間になり、私もそれに参加しました。
何故か、新人の方達は参加せず、マシンを使ったり、ベンチで楽しそうにおしゃべりをしておりました。
殆どの参加者はインストラクターの指示に従って、ストレッチです。
ところが、新人の二人は楽しげな会話が盛り上がったのか、話し声がだんだん大きくなってきました。
遂には、インストラクターの声が聞こえなくなる程の大きな声で話し出しました。
その、若者二人に向かって、
「おい、こら、いい加減にせんかい。わりゃ、ここを何処じゃ思ってけつかんねん。しまいにゃその口に雑巾ねじ込んだろか」
と、言おうと思ったのですが、周りの空気を考えてグッと我慢をしましたね。
彼らも、運動をしながらですから、しょっちゅう話してる訳でもないんです。

ところが、暫くすると、ベンチに戻り、また、大きな声でぺちゃくちゃと、おしゃべりが始まりました。
たまりかねて、遂に私は彼らの前へ進み出ました。
「わりゃ、男のくせに、よう口が回るな、その口縫いつけたろか」
なんて、恐ろしいことは、気の小さな私には言えません。
彼らのベンチの前へしゃがんで、目線を彼らより低くしてから話し掛けました。
「ちょっと、いいかな」
と、小声で言うと彼らは、身を乗り出してきました。
「あのね、インストラクターの声が聞きにくいんだよ、もう少し、小さい声で話してくれないかな」
彼らは、ハッとした表情になり、
「はい、そうですね、気づきませんでした。どうもすいません」
「いやいや、解ってくれればいいんだよ、じゃ、よろしくね」
なんだ、仲々素直な青年じゃないですか。
ただ、公衆の場での、マナーを知らなかったんですな。
家庭での躾として、公の場でのマナーは教えておいて貰いたいものだと思いますよ。

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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 6

2006年01月22日 | 読書
NHKの大河ドラマの方では、伊賀忍者の望月六平汰が登場してきましたが、こちらの方では伊賀の「くのいち」女忍者の小りんが登場してきます。

京都に滞在中の織田軍兵舎の中で、一豊も傷養生をしていた。
ある雨の夜、若い女が「両親が死んで、叔父を訪ねて京都へ来たが居所が分からず難儀をしている」と、言って、雨に濡れていたのを、郎党達が「可哀相なので宿舎にに泊めてやろう」と、いうことになった。
その夜、伊右衛門は、(千代に悪い)と、思いながらも、小りんを抱いてしまい。
翌日も、(千代との誓いを裏切った)と、思いながらも、またしても、小りんを抱いてしまう。
その夜半、法螺貝が鳴った。陣触れの合図だ。
飛び起きて、具足を付け、ふと辺りを見ると小りんが居ない。
伊右衛門は、軍中に触れが出ていることを思い出した。
「浅井、朝倉の諜者が京に多数入り込んでいる。それに用心せよ」と、いうものだった。

信長は、浅井、朝倉攻めをせず、そのまま岐阜へ帰った。
伊右衛門も、数ヶ月ぶりに千代の待つ屋敷へ帰った。
その夜、千代は夜食の時に、伊右衛門の頬の傷跡の大きさに改めて驚いてみせた。
「大きうございますこと、城下の噂で聞いておりましたが、ほんのかすり傷と承っておりましたのに」
「この傷には、ひと夜語り明かしても尽きぬ物語があるぞ」
なまなかな傷ではない。一躍二百石に加増された傷である。
「ノミのような矢じりが、頬をつらぬき、口を突き通って、こちら側の奥歯を砕き、歯の根にささって、吉兵衛めがおれの顔を踏んでやっと引き抜いたほどの傷じゃ」
(よくまあお命が)
と、千代は胸が熱くなったが、顔には出さず小首をかしげてじっと微笑した。
「なんじゃ」
伊右衛門は、千代の顔を覗き込んだ。
「いいえ、あの、そのお傷で、男ぶりが一段と上がられたと思いましただけ」
伊右衛門も悪い気はしない。
「それほどか」
「なんなら、鏡を」
と、伊右衛門の顔を映して見せた。
確かに武者ぶりが上がっている。元の顔だちはどちらかといえば、能役者にふさわしいほどにやさしかったが、この向こう傷のおかげで、十騎並んでも目立つほどのいい武者面になっている。
「きっと、ご開運のお傷でございましょう」と、千代はおだてた。
「でも、もうお傷はなさいませぬように、千代は毎日、井奈波の宮にお詣りしておりました」
「そのおかげで、この傷程度で命を取り留めたのかも知れない」
「兎に角、旦那様、ご加増おめでとうございます」
「いやいや、千里を行く者はこれしきの小成に喜んではならぬ」
「よいお言葉」
千代は、惚れ惚れと伊右衛門を見た。
その気持ち、忘れるな、と言いたいところだろうが、言葉に出しては言わない。
母の法秀尼の教えには、男へは訓戒めいた事を言っては、かえってツムジを曲げて逆効果になるという。
千代は、聡い。ほのかに、おだてている。
おだてられれば、七の能力の者もおのれに自信を得て十ほどの力を出すこともあるものだ。

翌朝、伊右衛門は屋敷で終日、戦塵の疲れを癒そうとして、朝も陽が昇ってから起きた。
耳だらいに湯をくませ、縁側で髭を剃り、鼻毛を削いでいると、千代がやってきて、髪を梳き、新しい元結いにかえてくれた。
その後、ニキビをつぶし始めた伊右衛門に、部屋の隅で袴に火のしを当てながら、千代が、微笑を向けて、
「一豊様、今日はご用がおありなのではございませぬか?」
「いや、ないんだ」
「忘れていらっしゃる」と、くすくすわらっている。
千代の胸中、伊右衛門の暢気さが歯がゆくてならない。

二百石に加増された以上、戦に臨む場合、それだけの人数が必要である。
こういう定員を軍役という。二百石ならば、基準として、騎馬武者二騎、歩卒六、七人は必要であった。
因みに、戦国武士というのは、徳川武士とはひどく違う。徳川武士のようなじめついた忠義の観念は極めて薄い。
要するに、主人に対して、功名を請け負っているのである。言い換えると、二百石の山内伊右衛門一豊は、一つの企業である。信長という親会社に対し、功名を請け負ってると言って良い。
同じ二百石でも、徳川武士の場合なら家格の体裁として侍、中間、小者を召し抱えれば良かったのだが、戦国武士の場合は、出来るだけ有能な士を探し、口説き、自分の食を切りつめても彼らを優遇しないと、大きな働きが出来なかった。

(のんびりしていらっしゃる)と、千代は思うのである。
今日から人探しに夢中になるのが当然ではないか。
「吉兵衛と新右衛門が、大喜びでございましたよ。馬に騎れる武士になれた、と申しまして」
(そうだった)
「千代、家来を探さねばならぬ、わしはお前のように気楽ではない。今日は忙しいのだ。そうそう、亡父の旧領だった黒田村(尾張国羽栗郡)へでも今から出掛けて行って人を探して来ようかと思う」
「まあ、お忙しうございますこと」
千代は、火のしをあてつつ、うつむいて忍び笑っている。

「黒田村は、今日で、明日はどこへいらっしゃいます?」
千代は、いつもそれとなく先を打ち、伊右衛門の考えにヒントをあたえるのである。
伊右衛門は、黒田村だけを考えて、明日は何処のするとかを思わなかった。

つづく

千代は、伊右衛門の顔の傷を見て驚いたろうに、「男ぶりが上がった」と、褒めている。そして、もう傷は負ってくれるなと、神に祈りながら待っていた気持ちを伝えた。
妻に戦場での働きを褒められ、自分を大事に思っていると言われれば、大抵の男は参ってしまうだろうな。
のんびりしている一豊を見ても、叱咤したりせずに、なにげなく優しく話し掛けるあたりが、千代のコーチングの上手さですね。
黒田村という、目標の次に、明日はどこへ?と言う辺りがコーチングのツボでしょうか。
考えてもいなかった答えを、伊右衛門はどうだすのでしょうか。

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雪でした

2006年01月21日 | 身辺雑記
朝起きて、息子に、「今日、雪だね」って、言われるまで気付きませんでした。
雨戸を開けたら白一色の世界でした。
どおりで、寒いはずだ。3cm程の積雪です。
雪国の方達には、「なんだそれぐらい」って言われそうですが、こっちだとこれでも大雪です(笑)

息子が、財政的ピンチなので、弁当を持って行きたい。って、ことだったので、弁当を作り、駅まで車で送りました。
我が愛車、ローラ号は、冬タイヤに履き替えているので、近所の坂道でもスリップはしませんが、それでも、こちらの雪は水分が多く滑りやすいので、坂道でのスピードには充分気を付けないと危険です。

帰宅後、寒かったので、朝っぱらからですが、お風呂に入りました。
風呂場の窓を開けて、降りしきる雪を眺めながらの朝風呂は、実にどうも気持ちのいいもんですな。
ここで、一杯やりたいところでしたが、ぐっと堪えてお勉強などをやりました。

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大寒、初恵比寿祭

2006年01月20日 | 身辺雑記
大寒と云うことで、流石に寒いですな。
今日が初恵比寿だそうです。
今年は、会社を作って頑張って稼がなくちゃいけないんで、こんな時には神様にお縋りするに限ります。
そんな訳で、「商売繁盛」の神様って云ったら、恵比寿さまですから、お詣りに行きましょう。

東京は、道が良く解らないんで、いつもは電車ですが、今日は寒いのとそんなに急いでないんで、車で出掛けることにしたんです。

首都高も、思ったほど渋滞がなくかなりスムーズに走れました。

中央の高い建物が、六本木ヒルズです。

ナビに従って首都高を降りたら、日本橋でした。
寶田恵比寿神社
凄くちっちゃい社の中に叔父さん達が居ましたので、「始めて来たので、どうしたら良いか解らないんですけど」って、言いったら、ご親切にいろいろと教えてくれました。
薦められた、えびす様と小判・商売繁盛の札が付いた笹飾りと御札を買って、お詣りして来ました。

お腹が空いていたので、路地裏のお店でソバを食べました。

日本橋のビルの裏に、こんな路地があるなんて知りませんでしたが、仲々良い雰囲気の昭和を感じさせる路地でした。

ナビを見たら、近くにスーパーがあったので覗いてみました。
ポロロッカ日本橋本町店
100坪位の普通のお店です。この辺の家賃がいくらだか知りませんが、けっこうするんじゃないのかな。商品の価格は少し高めの設定でした。
都心のスーパーって、所謂グルメスーパー、高品質スーパーが主流ですよね。
都心でスーパーを遣るには、やはり小型店なんでしょうかねえ。
車の流れで上手く停められず、寄れませんでしたが、近くにハナマサ日本橋店が有りました。業務スーパーですがハナマサは都心でも頑張ってますよね。

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THE 有頂天ホテル

2006年01月19日 | 映画
THE 有頂天ホテル
三谷幸喜の脚本・監督作品。大晦日の高級ホテルで繰り広げられるドラマを、同時進行で描いてみせる2時間15分。
役所広司、松たか子、佐藤浩市、香取慎吾、伊東四朗、西田敏行、原田美枝子、篠原涼子、生瀬勝久、石井正則、など日本映画を代表する豪華キャストが、迷路のようなホテルの中で働く従業員や訳ありの宿泊客を演じる。登場人物の人生を絡ませ、伏線を縦横無尽に張りめぐらす脚本の緻密な構成力に、
「なるほど、そういうことなんですか」と思わず言いそうになりました。
ちょっとした出来事や登場人物が、伏線となって後半を盛り上げているので、映画を楽しんで頂くためには、ストーリーは言わない方が良いでしょうね。

ホテル関係者が観たら、異議を唱えたくなるような場面も有りますでしょうが、盛り沢山な登場人物個々のドラマが、スピーディーに展開され、随所に笑いがあり、娯楽作品としては申し分有りません。 ★★★★(5★満点で星4です)

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追記

この作品、女優さん達が頑張ってましたね。
原田美枝子と戸田恵子が副支配人を気遣うところとか、コールガールの篠原涼子、フライトアテンダントの麻生久美子、ギターを担いで放さない堀内敬子、客室係の松たか子がお客様の宝石を身につけたときはドキドキしました。最後にYOUの歌が良かったです。

司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 5

2006年01月17日 | 読書
伊右衛門はその夜、死んだようになって寝た。
傷から出る高熱と、口腔の重傷のためものが喉を通らず、ただ心臓だけが動いているといった状態である。

二人の郎党は、不眠で看病した。
翌二十八日の夜、祖父江新右衛門は、木下藤吉郎の陣屋のそばで意外な情報を聞いた。
織田の全軍、にわかにこの敦賀の陣を引き払い、略取した城を捨て、京へ退却するというのである。
「しかも御大将(信長)は少数のお旗本とともにもう引き上げられたというわ」
「勝って逃げるのか」と、五藤吉兵衛があきれた。
「近江の浅井が、にわかに退路を断ち、われらの背後から襲いかかるという。ところで、わしが驚いたのはこれではない」
この会話を、山内伊右衛門は、高熱のなかで、うっすらと聞いている。
「わが手の大将木下藤吉郎殿のことじゃ。この人、自ら死を買って出られた」
「死を?」
「シンガリ軍の大将を志願されたという」
「ほう」
と声をあげたのは、伊右衛門である。

木下藤吉郎といえば、小才がきくことで取り立てられた、と家中で悪口を言う者が多いが、シンガリ軍を志願したとは、なんとも大ばくちをやったものだ。
十中八九、生きて戻れぬではないか。
(なるほど、そういうところもある男か)
伊右衛門も見直す思いがした。
見直したのは、伊右衛門だけではない。織田方の諸将は皆見直した。
秀吉の武将としての名が、大きく現れてくるのは、この退客戦からである。
「木下殿、拙者の手の者を残します」
と、諸将は、自分の家来の中から勇猛の士をえらんで、十騎、二十騎と選り抜いて木下隊につけた。よほど、秀吉の壮挙が同僚の諸将を感動させたのだろう。
秀吉は直ぐに金ケ崎城に入って、文字通り、雲霞のような追撃軍を一手にささえようというのである。
(やはり、千代が見抜いただけの人物であるらしい。この人を大将に頂く限り、間違い有るまい)
「おい、おれも木下殿について行く」
これには、二人の郎党も驚いた。怪我人は荷駄と共に後送されることになったいるのだ。
「戸板を外してこい、金ケ崎に入場するんだ」
槍をひったくると、漕ぐように土間を歩き出した。
「このお身体で御出陣なされては、せっかくお拾いあそばしたお命を落としておしまいになります」
「うぬら、解らぬか、木下殿は命を捨ててかかっている。その隊におれは加わる。命を捨てる覚悟で命を拾わねば、運など拾えるものではない」
「御運は先々、いつでも拾えるものでござるは」
「そのときも拾う。今は山内伊右衛門一豊という者の男を見せる時じゃ。こういう好機は、一生に何度もない」
「しかし、お、お命が」
「無くなるかも知れぬ。無くなれば無くなったで、それは伊右衛門が生得、武運が無かったまでのこと。この体で城に入って、命がもつかどうか、これは伊右衛門の一生の賭じゃと思え」
すさまじい功名心である。
二人はそのあたりの雨戸を一枚はずしてきて、具足姿の伊右衛門をのせた。

金ヶ崎城の大手門内で、他隊から参加してくる決死の連中に言葉をかけて礼を言っていた藤吉郎も、この戸板の伊右衛門には驚いた。
最初はとめたが、伊右衛門はきかない。
藤吉郎も、ついにうなずいた。この重傷者が参加することで、城兵に必死の気迫がわくことを期待したのだ。
身動きも出来ぬ重傷者の身で敵の包囲する城内に進んで入り、二人の郎党をして防戦にはたらかしめたのである。
当時、いわゆる戦国武士の慣習では、こう云う「男」の見せ方というのは類がなかった。
大将木下藤吉郎の吹聴もきいた。
自分の手飼いの家来というものをあまり持たぬ藤吉郎は、信長から付けられている与力や諸将の貸与してくれた武士達を一手に統御することに、大いに腐心した。
それには、信長の与力衆の一人である伊右衛門のこの「壮挙」は、城中の団結に大いに力があった。
「伊右衛門は、シンガリ軍の軍神ぞ」
とまで藤吉郎は言った。
(もう本隊は、残らず戦場を離脱したであろう)
とおもうころを見計らって、全軍、固まりになって城門から飛び出した。
決死の脱出がはじまるのである。

惨憺たる退却戦ののち、木下藤吉郎隊七百人が京に戻ったのは、五月のはじめである。
妙覚寺の本陣で藤吉郎の帰着を迎えた信長は、
「藤吉郎、このたびの働き、生涯忘れぬぞ」と言った。
同時に信長は、数ある将士の中からたった一人、山内伊右衛門一豊の名を口にした。
「伊右衛門も無事だったか」
無事でした、と藤吉郎が答えると、信長はてずから藤吉郎に薬を渡し、
「伊右衛門に養生させよ」と言った。
信長の平素からみれば、異例といっていい程の部下へのいたわりである。
伊右衛門、この合戦で一躍二百石に加増され、そのまま木下藤吉郎につけられた。

つづく

話の展開上、暫く千代は出て来ませんが、物語はつづけます。

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午後からトレーニング

2006年01月16日 | 身辺雑記
昨日の勉強疲れで、午前中はゴロゴロしてました。

午後から、トレーニングルームへ出掛けて、バイクとストレッチで一時間半ほど運動しました。

その後、熱帯魚さんがダイエーが良くなった。と言ってたんで、近くのダイエー海老名店を覗きに行きましたよ。

暫く行かないうちに、随分変わってましたね。
一番変わったのが、3階です。
以前、あった電気屋さんや、紳士服など全てなくなりました。
ファンタジーキッズリゾート」なる施設が出来てまして、まあ、子供の有料の遊び場なんですが、これが楽しそうなんですな。私もあと、50歳ぐらい若かったら、入れたんでしょうが、残念です。

この、ダイエーの近辺は、この数年マンションの建設が相次ぎ、今でもまだ新たなマンションが建てられています。
そして、子供の数が急増しています。やっぱりそれを見込んだんでしょうな。

2階は衣料品ですが、近辺のマンション住人が望むような商品が無いのは何故でしょうか。

1階は大分、綺麗になりましたが、品揃えがあまり変わったようには思えませんね。

お客様は、少し増えたように感じましたし、接客も良かったですよ。

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小田急と地下鉄を乗り継いで

2006年01月15日 | 身辺雑記
半蔵門駅まで来ました。
三番町の辺りは大使館やら、立派なオフィスビルやらで、日曜日は人通りも少なく、閑散としております。
そんな所で、今日は、コーチのお勉強です。
コーチングのロールプレイを何回も行いましたが、人には相性ってのがあるんですね。
簡単そうなテーマでも、仲々思うように進まないときもあれば、難しそうなテーマでもすんなり運ぶこともありました。
印象的だったのが、クライアント役の方から、
「なんだか、楽しくお話しをしているうちに、解決に近付いていたわ」
って、言われたことですね。

お昼休みに、近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑に参って、記帳・献花をして来ました。

ここは、昭和三十四年(1959)国によって建設されました。今から約60年前の大東亜戦争で、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。


たっぷりと、お勉強をして疲れました。

東京メトロを半蔵門線から千代田線への乗り換えで、表参道駅を歩いていたら、nappara氏のブログで見たことのあるお店じゃないですか。
OMO KINOKUNIYA
紀ノ国屋の駅ナカのお店ですが、狭いですな。結構混んでました。いつも安物を求めてさまよっている私には、あまり縁のないお店です。1本1000円のロールケーキを見て、2、3百円のものしか買わない(ホントは特売の値段でしか買わない)私しゃ、「ギャッ」っと吃驚して、お店を飛び出しました。

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司馬遼太郎「功名が辻」にみる千代のコーチング 4

2006年01月14日 | 読書
織田軍団が、北国平定のために、若狭に攻め込んだのは、元亀元年(1570)4月25日である。天筒山城(敦賀)落城。

伊右衛門達はこの戦に参加していた。
伊右衛門は、やせ馬、ぼろ具足。祖父江、五藤のふたりは、カブトもかぶらず、胴丸をつけ、柄の塗りのはげた二間半槍をかついでいる。

翌26日には、越前の朝倉氏の越前西部及び若狭における根拠地、金ケ崎城落城。金ケ崎城は援軍が来ないために、やむなく開城したのだ。
織田方へ使者をやり、
「城は、あける。しかし条件として主将以下城塀が越前へ去ることを許してくれ」
と、向上させた。
総大将の信長が即座に「よかろう」と、承知し柴田勝家が城をうけとった。
それが、26日の夜である。

翌朝、朝倉勢三千は城を出、越前に向かって行軍を始めた。
退却軍のシンガリの大将は、朝倉でもきっての豪傑といわれた三段崎勘右衛門という男である。
退却軍との間でもめ事が起こるかも知れない。そのときには、いち早く攻撃に参加出来るようにという、祖父江の進言で、伊右衛門は退却軍の通る山道の傍に身を潜めていた。
(三段崎勘右衛門ほどの大将を討ち取れば我が名も家中にあがるのだが)
が、相手は停戦下に退却中の男だ。挑み架かるわけにはいかない。
ところが、祖父江の予言通り、意外な事態になった。
織田方の足軽隊の中から、退却軍を「からかってやれ」とでも思ったのか、一発の銃声があがったのが。
ところが、退却軍は、鉄砲に火縄をつけて万が一にそなえ、緊張しきっている真っ最中なのだ。
誰が撃つともなく、銃撃戦が始まり、やがてすさまじい戦闘になった。
その戦闘のさなか、坂の上を見上げると、敵将三段崎勘右衛門が弓矢で伊右衛門を狙って居るではないか。
弓の名手といわれる、三段崎勘右衛門の矢には、ノミほどの大きさの矢じりが付いており先端がふたまたにわかれて、ちょうど刃が三日月のようになっている。
「猿の首おとし」と、いわれる大矢じりである。
伊右衛門は、恐怖というか、得体の知れない感情が突き上げてきて、目の前が真っ暗になった。
真っ暗なまま、槍をとりなおし、カブトを伏せ、地獄へ突き進むつもりで駆けだした。
(千代、まもってくれ)
胸中、それのみを念じつつ。

不思議なことがある。
その時刻、岐阜城下の留守宅で千代が仏壇を清めていると、念持仏の楊柳観音が、ふわりと倒れかかってきて、あやうく千代はてのひらで受け止めた。下段の鉦にあたればあるいは首が落ちたかもしれない。

三段崎勘右衛門が矢を射はなったのは、わずか、五、六間の間隔である。
伊右衛門はえたいの知れぬ悲鳴を上げてころがっていた。
矢じりはカブトのマビサシ(つば)にがちりとあたり、片刃が折れ、残る片刃がざくりと伊右衛門の左眼の下の肉を裂き、さらに口中に食い込んで奥歯に植え付いてとまった。
顔に矢がはえたようになって、口がふさがらなくなった。

伊右衛門、顔の矢を突き立てながら、それとも気付かず走って三段崎勘右衛門に接近した。
二の矢をつがえようとしたとき、伊右衛門の槍がせまった。
勘右衛門は弓を捨て、槍をかわし、組み討ちになった。
伊右衛門は力はある、勘右衛門に組み付いたまま、崖を転がり落ちた。
格闘の末、鎧通しで勘右衛門をしとめた。

格闘のときに矢の柄が折れ、三寸ほどが残った。
伊右衛門は五藤吉兵衛に「抜け、抜かねば死ぬわい」と怒鳴った。
が、口中の骨に突き刺さっているらしく、容易に抜けない。
伊右衛門も激痛で失神しそうである。
「おれの顔を足で踏まえて抜け」
「かしこまった」
武者わらじで踏みつけ、力任せに抜いた。
ぱっと血が飛んだ。
血の中で伊右衛門は笑い、やがて気を失った。

信長の横で敵の朝倉家の人物群をよく知っている宮部肥前守が首実検の「奏者」をしており、首を覗き込んでは信長にその首の評価を伝えていたが、三段崎勘右衛門の首が来るにおよんで、声をはなった。
「この者、越前朝倉第一の精兵にして、しかも朝倉の一門でござりまする」
床几に腰を下ろした信長が、山内伊右衛門一豊を、しげしげと見た。
人間の顔ではない。
晴れ上がってほおにはえぐったような大穴があいている。あぶら薬はぬってあるのだが、御前を遠慮して布をとってきたのであろう。顔中に血がこびりついている。
「山内伊右衛門一豊というか、働き、かなげであった。陣屋へ戻って養生せよ」
首実検のときに大将から言葉をかけられるというのはよほどのことである。
よろこんで退出したが、信長の陣屋の外へ出たとき、傷の痛みと疲労と空腹が一時にやってきて、歩けなくなり、祖父江、五藤のふたりが両脇をかかえかろうじて陣屋へ戻った。

つづく


ここでは、千代もコーチングも出てこないが、物語の進行上、このまま進みます。

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お役人とプリン

2006年01月13日 | 身辺雑記
所用で大和市の法務局まで出掛けてきましたが、親切な係の方で、書類に不備があったのに付き合ってくれて、その場で新しい書類の書き方を教えてくれて、訂正箇所も直し、お陰で書類を提出することが出来ました。
実にどうもにありがたいことでした。
私の中のお役人と云うイメージが最近変わりつつあります。


帰路、昔の部下が勤務しているスーパーに立ち寄りました。
店内を徘徊していて、値引き商品に目が留まりましたが・・・。
何故か、私しゃ、こう云うものを見付けてしまうんです。

それは、3蓮のプリンでした。価格282円の品に値引き50円のシールが貼ってあり、賞味期限は二日後です。
まあ、これだけだったら私にとっては、あんまりお得感が無いなで終わっちゃうんですが、問題はそれだけじゃ無いんですよ。

50円値引きシールの商品がふたつ有るんですが、その下の商品はなんと、お徳用の3個+1個の4蓮パック商品なんですな。
当然価格も同じ、282円です。しかも、賞味期限は1週間も先です。
どうですか、この様なことで、282円、50円引きシールの3蓮プリンが売れると思いますか。

全く、しょうがね~な~、と思いつつ店内の俳諧を続けていたんですが、そこへ、店員が通りかかりましたので、声をかけてみました。
「ねえ、ちょっと、ちょっと、これってどうなのよ」と、プリンの売場へ連れて行きました。
「あなたは、ここの係じゃ無いだろうけど、これってどう思う」と、値引きのプリンを指して聞いてみました。
「賞味期限が二日後の、古い3蓮プリンの一個当たりの価格は約77円。それに対して、賞味期限が1週間先の、新しい4連のプリンは一個当たり約70円なんですね」
暫く、考えていましたが、漸く私の話の内容を理解したらしく「これは、もっと値引きしないといけませんね」と、ふたつの値引き商品を手に取りました。

一般のお客様が、このことに気付いたら、このお店をどういうお店だと思うでしょうか。
値引きをしたときに気付かない係員に問題があるのでしょうか。
それとも、店内を流しているだけで、こう云うものを発見してしまう私に問題があるのでしょうか、さて、どうでしょう。

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