Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

2011年11月28日 | 身辺雑記


健太郎は、18才にあと一ヶ月と云うところで老衰した。
衰弱して寝たり起きたりは一年ほど前からで、その前少し前から室内で飼うようになっていました。
幾度かの危篤を乗り越えたのは、飼い主(息子)の世話と看病のおかげです。
夏の暑さや冬の寒さにも屋外の小屋で良く耐えて元気な奴だった。
時々、機嫌が悪いのかなんだか、いきなりガブっとやられたりもしたが、飼い主はしっかり最後まで面倒をみていました。

今朝、火葬場で息子とふたり、健ちゃんとお別れをしました。
息子は小ぶりな骨壷の中が新居となった健ちゃんを家に連れ帰り、暫く気持ちの整理が出来るまで、自分で何かに納得が出来るまで手元に置きたいそうです。

自分は健ちゃんが喜んでくれるような送り方が出来ただろうかと涙を流していた。

そりゃまあ、そう思うのは健ちゃんが生きているときに自分の事を優先して、充分に可愛がってやらなかったことへの後悔の気持ちなんだろうが、そんなことを言える筈も無く、
「充分看病したじゃないか。怪我の手当だって立派に出来たし、なにしろこの歳まで生きられたのはお前がしっかり面倒をみたからだよ。病院(動物)の先生も良くこの歳まで生きたって感心してたし、褒めてくれたたじゃないか」などと慰めるしかないんだな。

私は、親父や健ちゃんにやがて訪れる死を予想出来たし、見送る心構えも出来ていたので、涙は出ない。泣くほどの深い悲しみも無く、当然の事、自然の摂理として受け止められるんだけど、そうじゃない人も居らっしゃるようですね。
死生観の違い、思い遣りの表し方の違いなんでしょう。

私が、死を迎えるときには、チューブで繋がないでくれ。人工呼吸器は付けないでくれ。
ただ、生きるだけの為に生きたくないんだ。なんて事を息子に話せた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

米軍演習、沖縄住民の抗議受けてグアムへ

2011年11月27日 | 身辺雑記
irib world service ラジオイランの日本語ニュースによると、日本政府は、2012年以降、アメリカ軍の全ての演習をグアムに移転すべく協議を行っているそうです。
ほんまかいな?!

<沖縄住民の抗議を受け、アメリカ軍による空軍演習の開催地が、沖縄からグアムに変更されました。
ファールス通信が伝えたところによりますと、アメリカと日本は、アメリカ軍の戦闘機FA18による軍事演習の開催地を、沖縄からグアムに移転することで合意しました。
アメリカ軍のジェット戦闘機は現在も、この軍事演習を実施するために山口県の空軍基地に配備されています。
この合意によりますと、およそ20機の戦闘機がグアムのアンダーソン空軍基地に送られるということです。
日本は、アメリカ軍戦闘機のグアムへの移動にかかる費用の4分の3を負担することになっています。
この軍事演習は、当初、沖縄で行われることになっていましたが、沖縄住民の抗議によって、開催地がグアムへと移転しました。
沖縄住民の抗議を受け、日本政府は、2012年以降、アメリカ軍の全ての演習をグアムに移転すべく協議を行っています。>

仮にこのニュースが真実だとしても、米軍戦闘機のグアムへの移動にかかる費用の4分の3を日本が負担するだけの条件で、この交渉がまとまったとは思えないんですけどどうでしょうか。
私の勘ぐりですが、オバマ大統領は選挙を控え、歳出のカットでは、米国の軍事費削減のため日本に米軍の肩代わりを要求してくるんじゃないでしょうか。
米国は自国の雇用拡大のためにTPP参加を日本に強く求めていますもんね。

米国が交渉で引く裏には、何かありそうな気がしてならない今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。



行くぞ~!!

2011年11月26日 | 身辺雑記
全国から電力会社・経産省を包囲しよう!再稼働反対 12・11デモ

★12月11日(日) 
・午後1時:日比谷公園中幸門(日比谷図書館裏)に集合、集会開始
      ※千代田線・日比谷線「霞ヶ関駅」C1出口より200m
       丸の内線「霞ヶ関駅」B2出口より300m
       都営三田線「内幸町駅」A7出口より150m
  <原発現地からの発言などを予定>
・午後2時:デモ出発
      ※プラカード、鳴り物などの持ち寄り歓迎

東京電力をはじめ、日比谷、有楽町、東京駅、大手町に散在する各電力会社(再稼働が早いとされる四国電力、関西電力などを含む)前を通り、最後に経産省を包囲デモ、経産省正門前にゴールするコースを検討中。

プラカードに何を書こうか思案中。


午前中はディ-ラーへ、愛車ローラ号の定期点検も10年目を迎えました。
午後から地域のボランティアで小学生の遊び相手をしてきました。
小学生を眺めてると、一年生から六年生まで、六年間にずいぶん成長するもんなんだなと改めて思いますね。
六年生の女子は身長も高いし大人っぽい雰囲気もある。男子は六年でもガキですな。
一二年生はかわいいね。
そんな子供達相手に、大縄跳びの縄まわし役をやってきました。
交代しながらの2時間でしたが、結構きつかったです。







通販生活 2011年秋冬号 巻頭特集「原発国民投票」

2011年11月23日 | 身辺雑記



このCM(コマーシャル)のナレーターは大滝秀治さん。
「原発、いつやめるのか、それともいつ、再開するのか。それを決めるのは、電力会社でも役所でも政治家でもなくて、私たち国民一人一人。通販生活秋冬号の巻頭特集は、『原発国民投票』全国書店で発売中。」
これだけのCMです。
このCMをテレ朝は放送を断ったそうです。

私は、国民投票したい派です。

意見広告はテレビでは放送しないんだそうです。
それでは、何故東京電力の「原発安全キャンペーン」が意見広告でないと判断したのだろうか。
プルト君は何を言ってたんでしょうね。

国民の意見、自分の意見を政治に反映出来ない国になってしまったのでしょうか。
それとも大テレアサは、国民が莫迦だと思っているのかな。
国民が真実を求めたり、語ったりすることよりも、自社の広告収入の方が大事なのかな。
何だか知らないけど、「報ステ」も意気地がなくなってますんで、これからは報道を捨てた「報捨て」と呼んでさしあげましょう。

「天野祐吉のあんころじい」

JCASTニュースを掲載しました。
通販生活の「原発住民投票特集号」CM テレビ朝日が流さず
<通販雑誌「通販生活」(カタログハウス発行)のテレビCMが放送を断られたとして、波紋が広がっている。同誌は環境問題について意見表明をすることも多く、最新号の巻頭特集は「原発住民投票」。同誌側は「あくまで雑誌を宣伝するためのもの」と話すが、現時点では、原則として一部の政党CM以外の意見広告はテレビでは流れない。このCMも、テレビ局側は意見広告だと受け止めたようだ。
「巻頭特集は『原発国民投票』」と読み上げる
カタログハウスが定期的にCMを流している唯一の番組がテレビ朝日系の「報道ステーション」だ。だが、カタログハウスの広報担当者によると、最新号のCMについては放送できないという連絡が広告代理店を通じてあったという。
CMは、黒地に
「原発、いつ、やめるのか。それとも、いつ、再開するのか。それを決めるのは、電力会社でも、役所でも、政治家でもなくて、私たち 国民一人一人。通販生活秋冬号の巻頭特集は『原発国民投票』」
とテロップが流れ、男性がその内容を読み上げるというもの。最後に、「一日も早く、原発国民投票を」と書かれた表紙が表示され、男性が「全国書店で発売中」と読み上げてCMは終わる。本来ならば、放送を断られて「お蔵入り」になるはずのCMだが、カタログハウスのユーチューブ公式チャンネルで公開されている。現時点で、3万8000回以上再生されている。
書店では11月15日に発売された「秋冬号」の特集では、原発の賛否についての国民投票を求める論調が展開されている。具体的には、インタビューで国民投票に否定的な発言をした民主党の前原誠司政調会長の発言を、国会議員は官僚や選挙区の影響を受けやすいこと引き合いに
「そんな議員さんたちと比べて国民は理性的、客観的な判断力で劣るとは言えないと思うのですが」
などと批判。それ以外にも、「『原発なしでは電力需要はまかなえない』のウソ」と題して、「脱原発」に向けた識者4人の主張を5ページにわたって掲載している。
カタログハウス「CMは、あくまで秋冬号の宣伝のため」
今回の問題をめぐっては、コラムニストの天野祐吉さんも、11月21日に更新したブログの中で、
「ま、テレビは政治的な意見広告を扱わないことになっているので、これを政治的な意見広告と判断したんでしょうが、さて、どうなのか」
と疑問を呈しており、11月23日の朝日新聞に掲載予定のコラム「CM天気図」でも「意見(異見)」を表明するという。
なお、枝野幸男経産相は、原発の是非について国民投票を行うことについて、9月20日の会見で
「あるテーマが、2つの意見のイエス・ノーで割り切れるテーマであるのかどうか」
「そうした意見を、国民投票のような形で今判断するということは不可能だと思う」
と述べている。国民投票の実施を求めること自体も政治的主張のひとつだとみることもできそうだ。
もっとも、カタログハウスの広報担当者は
「CMは国民投票を呼びかけているのではなく、あくまで秋冬号の宣伝をするもの」
と話しており、純粋な商品広告に過ぎず、意見広告ではないとの立場だ。
テレビ朝日広報部では、
「当該CMについては放送をしておりません。個別の判断理由はお答えしておりません」
と、ノーコメントだった。>

枝野君、あなたには国民の将来を判断して欲しくない。散々国民に嘘の情報を与え混乱させた。国民がパニックになるのを自分が防いだかのような錯覚としか思えない戯言を口走っているあなた。事故から七ヶ月も経った今漸く新聞、いや古聞が原発事故直後の真実を書きはじめた。
枝野君、あなたはあの時の発言を何故訂正し国民に詫びないのかね。
反省も真実も謙虚さも無い枝野君。あんたの嘘は聞き飽きた。口先ばかりの枝野君には早く退場願いたいと思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

豹変した中国人がアメリカをボロボロにした

2011年11月22日 | 読書
豹変した中国人がアメリカをボロボロにした
河添恵子
産経新聞出版


中国による蚕食が世界各地で行われていると云うレポートですが、ここに書かれていることが真実かどうか私に確認する術はない。
しかし、これが真実だとしたなら、日本はあまりにも無防備に過ぎるのではないかと思う。
チャイナマネー(台湾資本ではない)による日本の土地購入。主要都市への総領事館他の外交施設建設は治外法権になり、山林原野は日本の水資源地を奪うものです。日本の安全保障上大問題でしょう。外国人による土地購入・土地利用の制限を大至急法整備する必要があります。
東日本大震災の際に日本を応援してくれて、最大の義援金・励ましをくれたのは台湾の人々でした。
その台湾を歴史上一度も統治したことのない中国(共産党)が、台湾は中国の一部だなどと未だに言っている。
ジンギスカンの末裔の土地やチベット仏教国を我領土と言張り、ブータンへも蚕食し国土を奪っている国。
共産主義国なのに、お金儲け大好き、貧富の差拡大。共産党幹部は国外に別邸を建て、子女は海外留学し帰国しない。
そんな国へ、日本の国土を売っても良いものなんでしょうか。などと考えてしまう今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。


マフラー

2011年11月21日 | 身辺雑記
土曜日に久しぶりに、くら寿司に入ってみました。
そしたら、こんなのが廻ってました。


案内のおねえちゃんが、お皿の取り方を説明してくれて納得!!!
カプセルの手前側に小さな口があって、そこからお皿をつまんで持ち上げると、透明なフタがパカッって開くんです。
なんだか、ホタテが開いたときみたいで面白い。

パネル画面で注文した品は、二階建てレーンの上段をフルスピードでやって来て目の前にぴたっと止まる!!

衛生的だし、個別対応だし、回転寿司は、凄いことになってますね。

それにつけても考えてしまうのは、スーパーの惣菜バイキング。
あの衛生管理はなんとかならないんですかね。

日曜日は、JCAKのコンピタンシー勉強会のファシリテイターをやりました。
夜は、えびボラ(海老名ボランティアコーチの会合で来年の打ち合わせをしました。

で、今日は土曜日に忘れてきたマフラー(大事な記念のものなのだ)を取りにくら寿司へ行き、少しつまんで来ました。(^^)


ヴォージョレ ヌーヴォー

2011年11月17日 | 身辺雑記


フィリップ ド メリー

ピザとサンマハバロネトマト味で夕食です。

この「フィリップ ド メリー」はイオンの500円(350ml)ではなくって、880円(750ml)でした。
容器はペットボトルです。
「ライトボディ」って書いてありました。飲みやすかったですよ。

別のをもう一本買って来たので、それは明日にでも飲もうかな。

笹塚

2011年11月14日 | 身辺雑記
笹塚って文字からは、ローカル色満載を感じます。
江戸を出て内藤新宿を後に甲州街道を行くと、一里塚があり、辺りは笹薮だったってことらしいですね。
今じゃ想像もつかないですが。

久しぶりに頂いた超有名企業のお仕事が終わって、甲州街道を駅方面へ歩くと、ライフがありました。
こっち側のドアは入口専用でした。
店内は庶民的なライフスタイル。
レジを抜けると出口は駅側です。


お腹が空いたのでフラフラとガード下を物色して歩いて行くと、クイーンズ伊勢丹がありました。
お店は地下一階です。
欧羅巴風の絵が壁や天井に描かれ、壺や絵皿が装飾された懐かしい感じのお店です。


二階の大戸屋で夕食。
今日の研修にご参加頂いた方々に喜んで頂いた嬉しさと、お仕事を廻して下さった方々への感謝と、焼き魚定食をじっくりと噛みしめました。

江ノ島

2011年11月13日 | 身辺雑記


昨日は江ノ島で「歩き方」の研修があり参加してきました。
歩くのには、「上半身で歩く」らしい?

逆立ちするのか?
って思ったら、そうじゃなくって、上半身の筋肉を上手に使って歩くと疲れないらしい。

まあ、そんなことで室内で歩き方をびっしり稽古して外へ出ました。
島の東側から登り西側の岩屋まで行きぐるっと走破してきました。

それにしても、江ノ島ものすごく観光客が多いんですね。
驚いちゃいました。

そして、今日はいつもと違う筋肉が痛かったりしてます。
教わった運動で、肩こりが治ると良いんですけど、・・・。


日本の論点 上杉隆

2011年11月12日 | 身辺雑記
日本の論点に上杉隆氏が書いていたので引用します。

大メディアの報道を鵜呑みにしている皆様は、莫迦が付くくらい素直なんですね。
しかし、大本営発表で悲惨な目にあった過去を忘れてはならないでしょう。
多角的な視野と、少し考える力を養いましょうよ。
そのために、以下の記事は参考になると思います。


「報道は世論を誘導しているか」
マスコミが世論を誘導している事実に、国民は気がつき始めた

「役所の広報に成り下がった」日本のメディア
 多くの日本人はマスコミに洗脳されているといったらきっと驚くに違いない。いや、そんなことがあるはずがない、と怒る人が大半かもしれない。
 だが、それは空想でも、妄想でもなんでもない。世界中のジャーナリストがそう認めている現実のことなのである。
 この半世紀の間というもの、日本の報道機関は、「記者クラブ」という世界でも類をみない便利なメディアシステムを使って、自らに都合のよい「世論」を広めてきた。しかも、それは、ほとんど当人たちの無自覚のうちにおこなわれるものだから、極めて始末の悪いことになっているのである。
 記者クラブとは新聞やテレビなど一部のメディアが独占的に官僚機構などからの情報を得ることで、同業他社を排除し、既得権益を貪ってきたカルテルともいうべきシステムである。本来監視の対象である公的機関と癒着し、一体化することで、単調で、無批判な情報を世間に流布させる役割を担ってしまっている。
 日本の報道の問題の根源はすべてここに潜んでいるといっても過言ではない。
 そもそも、記者クラブはその特性上、官僚機構に逆らいにくい構図になっている。
 たとえば、かりに役人たちの意図するものと違う情報を出したとしたらどうなるのか。簡単にいえば、その記者は「出入り禁止」、すなわち、情報ルートを断たれるという宿命が待っている。横並び意識の高い記者クラブでは、メディアが権力と戦うことはほとんどない。唯々諾々とその「命令」に従い、結果、記者クラブ制度は維持されることになる。
 逆にいえば、権力監視というジャーナリズムに課された最低限の役割を放棄して、権力と共生したほうが、ずっと仕事をしやすいのである。それが日本特有の記者クラブシステムの肝だ。
 このシステムを世界はどう見ているか。かつて米紙で働いていた時代に聞いた海外特派員の言葉を借りれば、「日本のメディアは、役所の広報に成り下がっている」ということになる。
 これは特殊な意見ではない。FCCJ(日本外国特派員協会)の総意といっても差し支えないであろう。
 つまり、海外の報道機関は、日本のメディアを同業者とみなしていないのだ。記者クラブ制度という世界で唯一のアンフェアな制度を維持している日本のメディアをいっさい信じていない。それゆえに、官僚機構と同じものだと見ている。

「検察は絶対正義」といってきたのは報道機関
 こうした評価は、日本の国民にはいっさい知らされていない。それも当然だ。記者クラブメディアが自らの恥部を報じることなど決してないからだ。
 事実と向き合うことよりも、歪んだ面子と既得権益を優先する。それが日本の報道機関の特徴であり、海外から受けている真の評価なのである。
 中国籍で初のノーベル賞受賞者(平和賞)となった劉暁波氏のことを、中国メディアが伝えない、と日本の報道機関は批判している。
 だが、それはまさしく日本の報道機関にこそ当てはまることだ。中国と同じように見られていることを日本人はまったく知らないだろう。
 皇室、記者クラブ、ヤクザ、機密費など――。
 都合の悪いニュースをことごとく封印し、この世に存在しないものだとして黙殺してきたのが日本の報道機関なのである。
 それが半世紀以上もの長い間続いてきたので、日本人はそうした「洗脳」にすっかり慣れてしまったというわけである。
 だが、そうした「洗脳」も少しずつではあるが解け始めているようだ。
 二〇一〇年(平成二二年)九月、大阪地検特捜部の検事らがあいついで逮捕された事件は、「検察は絶対正義である」という戦後日本人が持っていた歪んだ認識を改めさせる好機となったようだ。
 そもそも、起訴後の有罪率が九九パーセントを超える捜査機関が、この多様化された現代社会において存在していることが不自然だ。
 仮にそれが事実であるならば、そもそも裁判所は不要であるということになる。検察といえどもしょせん、公務員であり、人間の集まりである。たんなる役人の集合体に無謬主義は通用しないのである。
 そして、この「検察は絶対正義だ」という誤った認識を広めたのは、他でもない日本の報道機関である。
 やまりん事件、ライブドア事件、陸山会事件など、日本人は一度でも検察の捜査対象になった「容疑者」を「犯罪者」扱いすることに慣れてしまっている。
 だが、鈴木宗男氏、堀江貴文氏、小沢一郎氏など「犯罪者」たちの個別の被疑事実をそれぞれ読み返してみれば、それが「世論」のいう「犯罪」とはほど遠いことがわかるだろう。むしろ、この三事案だけでも、完全無罪かと思えるものばかりである。
 どれも検察の捜査対象となった事案だが、そうしたことを広めるのは報道の仕事である。そして、推定無罪の原則を無視してそれが一定の世論を形成している事実は否めない。
 つまり、報道が、方向性をもって世論に訴えかけることができれば、「悪人」をいとも簡単に作り上げることができるのだ。

厚労省局長を「犯罪者」から一転「被害者」に
いっぽうで「正義」もまた作ることができる。日本では検察官、検事はつねに正しく、捜査のプロなのだから絶対に間違いを犯さないという前提によって記事が作られている。
 郵便割引不正事件で、最初、厚生労働省の村木厚子局長が逮捕されたとき、その逮捕を疑問視するテレビ・新聞が皆無であったことが何よりの証拠だ。
 むしろ疑問視するどころか、一面トップという大きな扱いで村木氏を「犯罪者」扱いしてきたのが日本の新聞・テレビである。
 ところが、その村木氏の無実であることが濃厚であることがわかると、一転、そうした批判記事は鳴りを潜め、微妙に論を修正しながら、「無実」の方向に記事の舵を切り出したのだ。
 そして、検事によるフロッピーディスクの改竄などで「冤罪」が確定的になると、今度は村木氏を「犯罪者」から「被害者」に切り替えて、報道内容を完全修正したのである。
 その間、自らの報道を訂正し、謝罪した報道機関は皆無であった。
 そしてまた、メディアのそうした欺瞞に気づいた国民も皆無であったのだ。
 じつは、これは珍しいことではない。日本人は、現在も、過去も、同じようにメディアによって操作され、それを「事実だ」と信じ込まされてきたのである。
 それが、疑うことの不得手な国民性を利用した、報道機関の「洗脳」であるとも知らずに。

誤報を連発し、検察批判で目をそらす
報道機関は、村木氏の事例とまったく同じ構図で、今また小沢一郎氏の批判を続けている。しかも、具体的な根拠を示さずに「政治とカネ」という便利な文言を使って世論を煽っている。
 〇九年三月から小沢氏を追及してきた記者クラブメディアは、検察からのリーク情報によってそうした記事を書き続けてきた。
 ところが二〇一〇年九月、当の検察が小沢氏を不起訴、つまり、一連の「政治とカネ」の問題を「無実」としてしまったことで事情が変わる。
 困ったのは報道機関である。小沢氏を「犯罪者」扱いして世論を誘導してきたのが、そうではないとなってしまったのだ。繰り返しおこなった世論調査の始末は誰がつけるのか。
 だが、日本のマスコミは自己防衛のためならば、どんなことでもやってのける。
 世論調査こそ唯一絶対の正義だという無理な論理を振りかざし、自らの正当性を声高に叫んだのだ。そして、激しい検察批判をすることで、小沢氏への一連の「誤報」から国民の目を逸らさせようとさえしているのである。
 誤報なら訂正すればいいのに、なぜ、マスコミは訂正から逃れようとするのだろうか。私はこの疑問を何度も新聞やテレビの記者たちにぶつけてきた。答えはいつも同じだった。
「新聞の世論調査が、間違えるはずがない」
 記者クラブメディアによるこの種の驕りは戦後一貫して続いてきた。果たして、国民が「洗脳」から解ける日は来るのだろうか。