本を何冊読んでもなかなかここに感想を書く時間が無い、ってゆーか何てゆーか、・・・。
まあ、早い話がなかなかその気になんないんですよね。
この「ディアスポラ」も読んでからもうしばらく放ったらかしだったんですが、今日書く気になりました。
それは、休暇で旅行を楽しみ、新青森から「はやて」に乗って帰宅する1時間ほどの出来事があったからです。
私は、特急に乗るときには指定席券持っているときには、発車時間ギリギリまで何か別のことをしています。
そして、間際に慌てて駆け込む。
あのスリルと興奮が好きです。
って、嘘です。
まあ、根が貧乏症で何かしてないと気が落ち着かないんですね。
で、まあ、今回も発車間際の「はやて」駆け込み、
三人掛けの窓側の自分の席に着こうとしたら、手前に荷物を膝前に置かれた御婦人がお二人いらっしゃいました。
「東京までいらっしゃるんでしたら、私は通路側でも良いですよ」のようなことを言いましたが、
御婦人は福島までとおっしゃいました。
「後から来て申し訳ありません」頭を低くして通していただきました。
そんな些細なことから、少しずつ話をするようになり、福島の原発の話題になったので、
「私が生まれたのは、双葉郡の川内村ですよ」と云うと、
「あら、私は浪江だったんですよ」とおっしゃっていました。
福島第一原発の事故後、親戚を頼って他県・その後行政の指定した県内を点々とされたそうです。
今は、アパート暮らしだとか。
同じ福島県内と云えども、浜通りと中通りでは気候も微妙に違うし、住み慣れた家に帰りたいとのことでした。
家に戻って畑仕事をしたいけど、30年は戻れないって云う人もいるし、どうなるんだか。
と、これからの先行きの不安な心境を話して下さいました。
小説ディアスポラは、1999年9月30日の東海村臨界事故を元に、中国の圧政に苦しむチベットを舞台として、10年前に書かれたそうです。
小説の様に国が無くならなくって良かったとばかりは言っていられない方々の存在を改めて気づかされました。
避難者の方々の中にも、相当の不満がお有りの様です。
この方々の様な一般の方は被災前東電から年に4千数百円のお金を頂いていたとのことでした。
しかし、一部の人々は東電からの数百・数千万円で家を新築し、東電御殿で暮らしていたそうです。
(事実かどうかは分かりませんが、そのように見えたのかも知れませんね)
「それが、今は同じアパートに暮らしているんだからね。」
あの町とこの町では人口が違うのに補助金が一律なんてことも仰っておいででした。
補助金の配分や、生活支援に付いて沢山の不平不満をお持ちのようでした。
「何で、みんな文句を言わないのかね、もっと言いたい事を云えばいいのに。」
これって、被災者の声が行政に届いてない。
届いていても被災者に反映されていないってことなのかなと思いました。
小説の中の国を失った人々も、じっと日本国政府の救いを待っているんですね。
妙に大人しい日本人、テレビのコメンテイターにガス抜きされて、ホントに言いたいことを云えて無いのかも知れないな。
津波で家を失った方々同様、原発で家に戻れなくなった人々の事をも考えなくてはいけないと思い、キーを叩いてみた今日この頃、皆様如何意すごしでしょうか。