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その時

2011年04月23日 | 身辺雑記
「優先順位が解らない!」って頭を抱えている。

私の行動の優先順位だと気づいたのは、出かける前に風呂へ入っていた時だった。

母からの電話で、父の容態が悪化したと知らされたのは、8日前のことでした。
とうとうその時期を迎えたか、と云うのが正直な感想だった。

その時は、明日は仕事が入っているんで病院へ行かれないとも言えず、「後から連絡する」と云って電話を切った。

兄の都合を聞いて、明日は病院へ母を連れて行って貰うことにした。
「そっちから電話をして時間とか決めくれる」
そう云って、こちらから母に電話をすることを避けていた。

終末医療の話し合いを病院で行ってから、母を病院に連れて行くたびに、少しずつ少しずつ、
心の中でほんの小さく、父とのお別れを繰り返してきた。
我が家では、チューブでの栄養補給とか、機械による延命だけが目的の回復の見込みのない治療はしないことに合意が出来ている。

二日後の休日に父の見舞いに行った。
「やあ!」
「解るか?」
と、声をかけ、手の甲を突っついたら小さく頷いた。
食事も取らなくなったようだ。

もう永くは無いと云う想いがあり、その日のお別れは今までよりも少し大きく心の中に広がった。

そして昨夕、父の危篤の知らせが届いた。
急いで息子に置き手紙をし、兄弟に連絡を取り母の家へ向かった。
夕方の渋滞でいつもより時間が余計に掛かってしまった。

母を車に乗せ、病院に付いたときにはもう息を引き取った後だった。
私の娘が1時間程早く到着しており、父の最期を看取ってくれた。

病院から母の家へ帰り、葬儀の準備に取り掛かった。
葬儀社と連絡を取り、病院から斎場へ遺体を移し、葬儀の打ち合わせを終え帰宅したのは深夜だった。
娘が、父の最期を看取った様子をメールで知らせてくれた。
「忘れてしまわないうちに、私しか知らないことだから」の言葉が添えられていた。

今朝、起きて息子に父の死を告げ、葬儀の日の予定を確認しているときに。
「お前はどうするんだ」と、少しキツイ調子で息子の予定を聞いてしまった。
この場面だったら、葬儀優先だから他の用事をキャンセルするように伝えるべきだったと後から気づいた。

何をやってるんだか!
息子の動揺も考えずに、自分の感情だけで話をするなんて。
情けない父親だな。等と葬儀よりも自分の不甲斐なさが悲しい今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

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