織田軍団が、北国平定のために、若狭に攻め込んだのは、元亀元年(1570)4月25日である。天筒山城(敦賀)落城。
伊右衛門達はこの戦に参加していた。
伊右衛門は、やせ馬、ぼろ具足。祖父江、五藤のふたりは、カブトもかぶらず、胴丸をつけ、柄の塗りのはげた二間半槍をかついでいる。
翌26日には、越前の朝倉氏の越前西部及び若狭における根拠地、金ケ崎城落城。金ケ崎城は援軍が来ないために、やむなく開城したのだ。
織田方へ使者をやり、
「城は、あける。しかし条件として主将以下城塀が越前へ去ることを許してくれ」
と、向上させた。
総大将の信長が即座に「よかろう」と、承知し柴田勝家が城をうけとった。
それが、26日の夜である。
翌朝、朝倉勢三千は城を出、越前に向かって行軍を始めた。
退却軍のシンガリの大将は、朝倉でもきっての豪傑といわれた三段崎勘右衛門という男である。
退却軍との間でもめ事が起こるかも知れない。そのときには、いち早く攻撃に参加出来るようにという、祖父江の進言で、伊右衛門は退却軍の通る山道の傍に身を潜めていた。
(三段崎勘右衛門ほどの大将を討ち取れば我が名も家中にあがるのだが)
が、相手は停戦下に退却中の男だ。挑み架かるわけにはいかない。
ところが、祖父江の予言通り、意外な事態になった。
織田方の足軽隊の中から、退却軍を「からかってやれ」とでも思ったのか、一発の銃声があがったのが。
ところが、退却軍は、鉄砲に火縄をつけて万が一にそなえ、緊張しきっている真っ最中なのだ。
誰が撃つともなく、銃撃戦が始まり、やがてすさまじい戦闘になった。
その戦闘のさなか、坂の上を見上げると、敵将三段崎勘右衛門が弓矢で伊右衛門を狙って居るではないか。
弓の名手といわれる、三段崎勘右衛門の矢には、ノミほどの大きさの矢じりが付いており先端がふたまたにわかれて、ちょうど刃が三日月のようになっている。
「猿の首おとし」と、いわれる大矢じりである。
伊右衛門は、恐怖というか、得体の知れない感情が突き上げてきて、目の前が真っ暗になった。
真っ暗なまま、槍をとりなおし、カブトを伏せ、地獄へ突き進むつもりで駆けだした。
(千代、まもってくれ)
胸中、それのみを念じつつ。
不思議なことがある。
その時刻、岐阜城下の留守宅で千代が仏壇を清めていると、念持仏の楊柳観音が、ふわりと倒れかかってきて、あやうく千代はてのひらで受け止めた。下段の鉦にあたればあるいは首が落ちたかもしれない。
三段崎勘右衛門が矢を射はなったのは、わずか、五、六間の間隔である。
伊右衛門はえたいの知れぬ悲鳴を上げてころがっていた。
矢じりはカブトのマビサシ(つば)にがちりとあたり、片刃が折れ、残る片刃がざくりと伊右衛門の左眼の下の肉を裂き、さらに口中に食い込んで奥歯に植え付いてとまった。
顔に矢がはえたようになって、口がふさがらなくなった。
伊右衛門、顔の矢を突き立てながら、それとも気付かず走って三段崎勘右衛門に接近した。
二の矢をつがえようとしたとき、伊右衛門の槍がせまった。
勘右衛門は弓を捨て、槍をかわし、組み討ちになった。
伊右衛門は力はある、勘右衛門に組み付いたまま、崖を転がり落ちた。
格闘の末、鎧通しで勘右衛門をしとめた。
格闘のときに矢の柄が折れ、三寸ほどが残った。
伊右衛門は五藤吉兵衛に「抜け、抜かねば死ぬわい」と怒鳴った。
が、口中の骨に突き刺さっているらしく、容易に抜けない。
伊右衛門も激痛で失神しそうである。
「おれの顔を足で踏まえて抜け」
「かしこまった」
武者わらじで踏みつけ、力任せに抜いた。
ぱっと血が飛んだ。
血の中で伊右衛門は笑い、やがて気を失った。
信長の横で敵の朝倉家の人物群をよく知っている宮部肥前守が首実検の「奏者」をしており、首を覗き込んでは信長にその首の評価を伝えていたが、三段崎勘右衛門の首が来るにおよんで、声をはなった。
「この者、越前朝倉第一の精兵にして、しかも朝倉の一門でござりまする」
床几に腰を下ろした信長が、山内伊右衛門一豊を、しげしげと見た。
人間の顔ではない。
晴れ上がってほおにはえぐったような大穴があいている。あぶら薬はぬってあるのだが、御前を遠慮して布をとってきたのであろう。顔中に血がこびりついている。
「山内伊右衛門一豊というか、働き、かなげであった。陣屋へ戻って養生せよ」
首実検のときに大将から言葉をかけられるというのはよほどのことである。
よろこんで退出したが、信長の陣屋の外へ出たとき、傷の痛みと疲労と空腹が一時にやってきて、歩けなくなり、祖父江、五藤のふたりが両脇をかかえかろうじて陣屋へ戻った。
つづく
ここでは、千代もコーチングも出てこないが、物語の進行上、このまま進みます。
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伊右衛門達はこの戦に参加していた。
伊右衛門は、やせ馬、ぼろ具足。祖父江、五藤のふたりは、カブトもかぶらず、胴丸をつけ、柄の塗りのはげた二間半槍をかついでいる。
翌26日には、越前の朝倉氏の越前西部及び若狭における根拠地、金ケ崎城落城。金ケ崎城は援軍が来ないために、やむなく開城したのだ。
織田方へ使者をやり、
「城は、あける。しかし条件として主将以下城塀が越前へ去ることを許してくれ」
と、向上させた。
総大将の信長が即座に「よかろう」と、承知し柴田勝家が城をうけとった。
それが、26日の夜である。
翌朝、朝倉勢三千は城を出、越前に向かって行軍を始めた。
退却軍のシンガリの大将は、朝倉でもきっての豪傑といわれた三段崎勘右衛門という男である。
退却軍との間でもめ事が起こるかも知れない。そのときには、いち早く攻撃に参加出来るようにという、祖父江の進言で、伊右衛門は退却軍の通る山道の傍に身を潜めていた。
(三段崎勘右衛門ほどの大将を討ち取れば我が名も家中にあがるのだが)
が、相手は停戦下に退却中の男だ。挑み架かるわけにはいかない。
ところが、祖父江の予言通り、意外な事態になった。
織田方の足軽隊の中から、退却軍を「からかってやれ」とでも思ったのか、一発の銃声があがったのが。
ところが、退却軍は、鉄砲に火縄をつけて万が一にそなえ、緊張しきっている真っ最中なのだ。
誰が撃つともなく、銃撃戦が始まり、やがてすさまじい戦闘になった。
その戦闘のさなか、坂の上を見上げると、敵将三段崎勘右衛門が弓矢で伊右衛門を狙って居るではないか。
弓の名手といわれる、三段崎勘右衛門の矢には、ノミほどの大きさの矢じりが付いており先端がふたまたにわかれて、ちょうど刃が三日月のようになっている。
「猿の首おとし」と、いわれる大矢じりである。
伊右衛門は、恐怖というか、得体の知れない感情が突き上げてきて、目の前が真っ暗になった。
真っ暗なまま、槍をとりなおし、カブトを伏せ、地獄へ突き進むつもりで駆けだした。
(千代、まもってくれ)
胸中、それのみを念じつつ。
不思議なことがある。
その時刻、岐阜城下の留守宅で千代が仏壇を清めていると、念持仏の楊柳観音が、ふわりと倒れかかってきて、あやうく千代はてのひらで受け止めた。下段の鉦にあたればあるいは首が落ちたかもしれない。
三段崎勘右衛門が矢を射はなったのは、わずか、五、六間の間隔である。
伊右衛門はえたいの知れぬ悲鳴を上げてころがっていた。
矢じりはカブトのマビサシ(つば)にがちりとあたり、片刃が折れ、残る片刃がざくりと伊右衛門の左眼の下の肉を裂き、さらに口中に食い込んで奥歯に植え付いてとまった。
顔に矢がはえたようになって、口がふさがらなくなった。
伊右衛門、顔の矢を突き立てながら、それとも気付かず走って三段崎勘右衛門に接近した。
二の矢をつがえようとしたとき、伊右衛門の槍がせまった。
勘右衛門は弓を捨て、槍をかわし、組み討ちになった。
伊右衛門は力はある、勘右衛門に組み付いたまま、崖を転がり落ちた。
格闘の末、鎧通しで勘右衛門をしとめた。
格闘のときに矢の柄が折れ、三寸ほどが残った。
伊右衛門は五藤吉兵衛に「抜け、抜かねば死ぬわい」と怒鳴った。
が、口中の骨に突き刺さっているらしく、容易に抜けない。
伊右衛門も激痛で失神しそうである。
「おれの顔を足で踏まえて抜け」
「かしこまった」
武者わらじで踏みつけ、力任せに抜いた。
ぱっと血が飛んだ。
血の中で伊右衛門は笑い、やがて気を失った。
信長の横で敵の朝倉家の人物群をよく知っている宮部肥前守が首実検の「奏者」をしており、首を覗き込んでは信長にその首の評価を伝えていたが、三段崎勘右衛門の首が来るにおよんで、声をはなった。
「この者、越前朝倉第一の精兵にして、しかも朝倉の一門でござりまする」
床几に腰を下ろした信長が、山内伊右衛門一豊を、しげしげと見た。
人間の顔ではない。
晴れ上がってほおにはえぐったような大穴があいている。あぶら薬はぬってあるのだが、御前を遠慮して布をとってきたのであろう。顔中に血がこびりついている。
「山内伊右衛門一豊というか、働き、かなげであった。陣屋へ戻って養生せよ」
首実検のときに大将から言葉をかけられるというのはよほどのことである。
よろこんで退出したが、信長の陣屋の外へ出たとき、傷の痛みと疲労と空腹が一時にやってきて、歩けなくなり、祖父江、五藤のふたりが両脇をかかえかろうじて陣屋へ戻った。
つづく
ここでは、千代もコーチングも出てこないが、物語の進行上、このまま進みます。
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