千代は、美濃不破地方では、お館さま、といわれた不破家で養われた、いわばお姫様育ちである。
ところが、うまれつき家計の切り盛りの才能が備わっているのであろう。
随分家計を切りつめているのに、彼女にはちっともしみったれた雰囲気が出てこない。
いつもゆったりとしていて、なんの屈託もなく暮らしているようだ。
そのくせ、千代は、山内家の家計を預かる主婦のくせに、まな板も持っていないのである。
千代は、米を量る升を代用していた。
材は竹板で、フチは竹である。
これを裏返してまな板に使う。
伊右衛門が一度台所を覗いて、
「まな板ぐらい、作らせたらどうだ」と、まゆをひそめたが、
「この方が、ずっと使いやすうございます、私が工夫したつもりでございますのに」と、その上で大根を切って見せた。
トントンと快いひびきが生じた。
「ね、小鼓のようでございましょう」
つい、千代の話し方のリズムに引き込まれて感心してしまった。
「なるほど、台所の小鼓か」
「ついでに、幸若舞でも舞ってさしあげましょうか」
この升兼用のまな板は、江戸末期に近い文化二年(1805)山内家から高知城下の藤並神社に寄贈されたが、昭和二十年の戦災で消失。現在はその模造品がおさまっているとか。
元亀元年(1570)六月十九日丑の刻(午前2時)城の方から、にわかに法螺の音が聞こえてきた。
千代は、飛び起き、直ぐに石を打ち燭台に灯を点じた。
「一豊様、一豊様」ゆりおこした。
伊右衛門は馬鹿のようになって、ねむりほうけている。
「お城で陣ぶれの貝があのように鳴っておりますぞ」
ワッと伊右衛門は起きた。
「なんじゃ、千代かえ?」
寝ぼけている。合戦で組み敷かれているような夢でも見たのであろう。
(困った人だ)と、千代は思った。
「一豊様、あの貝が聞こえませぬか」
「・・・・・・・・・・」
事態が解ってきたらしい。
直ぐに床の間の具足櫃へ駆け寄り、蓋をはねのけた。
「千代、湯漬け」
「はい、仕度が出来ております」
実を言うと、千代は、今夜あたり貝が鳴るのではないかと予感がしていた。
昨日の夕刻、屋敷の屋根を建て増しするために大工と打ち合わせのため、路上へ出ていた。
その時、藤吉郎が通った。
「やあやあ、伊右衛門の内儀殿」と、気さくに声を掛けてきた。
「ご精が出るな。ご加増になったゆえお屋敷を建て増しなさるのか」
「は、はい」千代は、どぎまぎしている。
藤吉郎は、千代のそうした若女房らしいういういしさが、たまらなく気に入っているらしい。
「結構、結構。伊右衛門は美濃、尾張に行っていたようじゃが、よい郎党がみつかりましたか」
「はいとても」千代は嬉しかった。
嬉しさをいっぱいに表現できる表情に恵まれている。
「それはよかった。そんな郎党ならば、藤吉郎も見たいものじゃ」
馬から飛び降りて、屋敷へ案内せい、と言うのである。
郎党を見てあげようというのだ。
郎党にとっても、織田家の大将からこういう処遇を受けるのは、破格な仕合わせである。
折悪しく、伊右衛門は不在だったが、庭先に吉兵衛、新右衛門以下をひざまずかせ、それぞれ藤吉郎の言葉を頂戴した。
藤吉郎は、直ぐ鞍の上に戻り、夕焼けを見ながら、
「明日は晴れればよいのにの」
ことさらにつぶやいて、行ってしまった。
その呟きに、何か意味があるように千代は思った。ひょっとすると、と思い、出陣の準備だけはしておいたのである。
「千代、出掛ける」と、門わきへ声を掛けた。
門わきで、千代が無言で頭をさげた。
門前を、おびただしい松明が駆け過ぎて行く。陣触れの貝を聞いて城へ向かう人馬である。
(我も遅れをとるまじ)と、伊右衛門はそのとどろな蹄の音、具足の金具のひびきの中に巻き込まれて。
もう、千代のことは念頭にない。
(男は振り返るな、と千代は言った)
伊右衛門は、もはや、この瞬間より将来の中に思いを置いている。
(功名・・・・・)
伊右衛門の生活感情は単純である。いや、単純なようにあの利口な千代は仕向けてくれているのかもしれない。
男とは、と伊右衛門は思うのだ。いかに高言を吐き、才芸に優れていても、それがなんであろう。男が、男であることを表現するものは、功名しかない。
若い伊右衛門の哲学になっている。
つづく
千代は、まな板が無いことに不満を言わず、升の裏側を使えば音までが楽しく聞こえると、マイナス思考せずプラス思考で日常を送っているようだ。このプラス思考がコーチにとっては大事な要素である。
藤吉郎の言葉のはしから、出陣を予想して準備をする。この様な観察力も良いコーチの条件のひとつです。
良いコーチを選ぶなら、千代の様な人を選びたいものです。
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ところが、うまれつき家計の切り盛りの才能が備わっているのであろう。
随分家計を切りつめているのに、彼女にはちっともしみったれた雰囲気が出てこない。
いつもゆったりとしていて、なんの屈託もなく暮らしているようだ。
そのくせ、千代は、山内家の家計を預かる主婦のくせに、まな板も持っていないのである。
千代は、米を量る升を代用していた。
材は竹板で、フチは竹である。
これを裏返してまな板に使う。
伊右衛門が一度台所を覗いて、
「まな板ぐらい、作らせたらどうだ」と、まゆをひそめたが、
「この方が、ずっと使いやすうございます、私が工夫したつもりでございますのに」と、その上で大根を切って見せた。
トントンと快いひびきが生じた。
「ね、小鼓のようでございましょう」
つい、千代の話し方のリズムに引き込まれて感心してしまった。
「なるほど、台所の小鼓か」
「ついでに、幸若舞でも舞ってさしあげましょうか」
この升兼用のまな板は、江戸末期に近い文化二年(1805)山内家から高知城下の藤並神社に寄贈されたが、昭和二十年の戦災で消失。現在はその模造品がおさまっているとか。
元亀元年(1570)六月十九日丑の刻(午前2時)城の方から、にわかに法螺の音が聞こえてきた。
千代は、飛び起き、直ぐに石を打ち燭台に灯を点じた。
「一豊様、一豊様」ゆりおこした。
伊右衛門は馬鹿のようになって、ねむりほうけている。
「お城で陣ぶれの貝があのように鳴っておりますぞ」
ワッと伊右衛門は起きた。
「なんじゃ、千代かえ?」
寝ぼけている。合戦で組み敷かれているような夢でも見たのであろう。
(困った人だ)と、千代は思った。
「一豊様、あの貝が聞こえませぬか」
「・・・・・・・・・・」
事態が解ってきたらしい。
直ぐに床の間の具足櫃へ駆け寄り、蓋をはねのけた。
「千代、湯漬け」
「はい、仕度が出来ております」
実を言うと、千代は、今夜あたり貝が鳴るのではないかと予感がしていた。
昨日の夕刻、屋敷の屋根を建て増しするために大工と打ち合わせのため、路上へ出ていた。
その時、藤吉郎が通った。
「やあやあ、伊右衛門の内儀殿」と、気さくに声を掛けてきた。
「ご精が出るな。ご加増になったゆえお屋敷を建て増しなさるのか」
「は、はい」千代は、どぎまぎしている。
藤吉郎は、千代のそうした若女房らしいういういしさが、たまらなく気に入っているらしい。
「結構、結構。伊右衛門は美濃、尾張に行っていたようじゃが、よい郎党がみつかりましたか」
「はいとても」千代は嬉しかった。
嬉しさをいっぱいに表現できる表情に恵まれている。
「それはよかった。そんな郎党ならば、藤吉郎も見たいものじゃ」
馬から飛び降りて、屋敷へ案内せい、と言うのである。
郎党を見てあげようというのだ。
郎党にとっても、織田家の大将からこういう処遇を受けるのは、破格な仕合わせである。
折悪しく、伊右衛門は不在だったが、庭先に吉兵衛、新右衛門以下をひざまずかせ、それぞれ藤吉郎の言葉を頂戴した。
藤吉郎は、直ぐ鞍の上に戻り、夕焼けを見ながら、
「明日は晴れればよいのにの」
ことさらにつぶやいて、行ってしまった。
その呟きに、何か意味があるように千代は思った。ひょっとすると、と思い、出陣の準備だけはしておいたのである。
「千代、出掛ける」と、門わきへ声を掛けた。
門わきで、千代が無言で頭をさげた。
門前を、おびただしい松明が駆け過ぎて行く。陣触れの貝を聞いて城へ向かう人馬である。
(我も遅れをとるまじ)と、伊右衛門はそのとどろな蹄の音、具足の金具のひびきの中に巻き込まれて。
もう、千代のことは念頭にない。
(男は振り返るな、と千代は言った)
伊右衛門は、もはや、この瞬間より将来の中に思いを置いている。
(功名・・・・・)
伊右衛門の生活感情は単純である。いや、単純なようにあの利口な千代は仕向けてくれているのかもしれない。
男とは、と伊右衛門は思うのだ。いかに高言を吐き、才芸に優れていても、それがなんであろう。男が、男であることを表現するものは、功名しかない。
若い伊右衛門の哲学になっている。
つづく
千代は、まな板が無いことに不満を言わず、升の裏側を使えば音までが楽しく聞こえると、マイナス思考せずプラス思考で日常を送っているようだ。このプラス思考がコーチにとっては大事な要素である。
藤吉郎の言葉のはしから、出陣を予想して準備をする。この様な観察力も良いコーチの条件のひとつです。
良いコーチを選ぶなら、千代の様な人を選びたいものです。
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