Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

十九首塚

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
古い街並みの中をフラフラといい調子でペダルを踏んで行く。

すると「十九首塚」なる看板と矢印が出ていた。
住宅地の中の墓地の隣りに説明文と新しい石碑が建っていた。

案内看板より
平安時代、下総の国(千葉県)を中心に勢力をのばした平将門は、天慶3年に常陸の国(茨城県)の国府を襲撃し天慶の乱が始まった。
朝廷の命を受けた豪族の藤原秀郷らは、平将門を討ち4ヶ月で乱は納まる。
藤原秀郷は、討ち取った平将門以下家臣19名の首級を持って上洛。
掛川市のこの地で、朝廷の勅使と会い検視がおこなわれました。
この時、首級を小川で洗って橋に掛けたのが「掛川市」の語源とか…
秀郷は屍に鞭打つ事は非道とし、19基の塚を造りここに埋葬した。
土地開発等により、現在は一つだけが残されており、春秋二季の彼岸、8月15日の命日に供養祭がおこなわれています。(東海道五十三次俄史跡研究家)

因みにこの辺りの地名は十九首(じゅうくしゅ)といいます。

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