工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

時局便乗シリーズ!? 昭和15年に札幌五輪、東京五輪があったら・・・

2021年12月22日 | 飛行機・飛行機の模型
 年の瀬になって今夏開催の東京五輪、パラリンピックの収支のことなどが話題になっています。オリンピックイヤーということで今年のうちに紹介したかった模型がありまして、もし、昭和15(1940)年に五輪が日本で開催されていたら、こんな飛行機が飛んでいたかも、という話です。
 鉄道では昭和15年の五輪に合わせて塗装を変更するといったことも行われました。東京市電(のちの都電)では、水色とクリーム色に塗り分けられた車輌が登場しています。また、省線電車でもぶどう色1号の単色塗りを改め、えび茶色1色、えび茶色とクリーム色のツートンカラーの試験塗装案が示されたようです。
 では、鉄道に比べてはるかに利用客も少なく、路線網も発達していなかった民間航空はどうだったのでしょうか。残念ながら私のリサーチが足りないのか、航空機の塗装に特別なものを施して五輪(さらには同年に東京で開催される予定だった万国博も含め)を盛り上げようとしたといった話は聞いておりません。東京の一つ前のベルリン大会では、ルフトハンザ航空のJu-52に五輪マークや五輪を告知するマーキングが施されていました。プラモデルでもエデュアルドの1/144のキットにそのためのマーキングが入っておりました。

 日本の民間航空輸送会社だった大日本航空では、DC-3(日本でライセンス生産した零式輸送機)を多く運用していました。太平洋戦争勃発までの短い時期ではありますが、日本とアジア各国を結んでいたものと思います。上のルフトハンザのようなマーキングをしていたら・・・というのがこちらです。

ミニクラフトの1/144キットを使い、文字、五輪マーク、ダグラス社のマークは自家製のデカールで、大日航のマークは97式飛行艇の別売りデカールなどから使っています。

「シップネーム」は「初梅」とありますが、大日航のDC-3については花や木の名前を原則として漢字一文字で表記していました(松、梅、桃、柳など)。今回はあくまでも架空の機体として製作しており、登録記号も実際にはないものです。そのためシップネームについても思いつくものがなく「初梅」としました。実物の「梅」については導入早々に事故で失われていますので、改めてつけた名前、という設定でご勘弁ください。
塗装ですが、艶ありの黒を吹きつけ後、Mr.カラーのスーパーファインシルバーを吹き付けました。ナチュラルメタルのような輝きのある銀色になりました。胴体下面にはこの時期の民間機の象徴として赤帯を入れています。


 お次は日本では使われることのなかったユンカースJu-52です。日本では国産の大型機の開発も進められていましたし、DC-2の頃からダグラスの機体の実績があり、Ju-52が入る余地がなかったようです。もし、Ju-52を試験的に購入していたら、といった設定で製作したのがこちらです。

エデュアルドの1/144キットです。なかなか癖があると申しましょうか、私の腕が伴わないせいで皆様にお見せできるほどのものでもございません。

こちらは東京、札幌両大会のPRをしています。戦前においては、冬季、夏季の五輪は同じ国で開催という原則がありました。年号の表示については海外の乗客が見ても分かるように西暦にした、という設定です。
塗装ですが銀色はMr.カラー104番の「ガンクローム」を吹き付け、黒い部分は125番の「カウリング色」にしました。これは日本機のカウリング部分に見られた青みがかった黒のことで、模型では分かりづらいですが、この色にすることで日本機らしさを強調しています。

 実際の東京五輪は日本が開催を返上したことでフィンランドのヘルシンキが代わって開催の予定でしたが、開催前年に第二次世界大戦が起きて五輪そのものが中止となりました。フィンランドは五輪のために購入した建築資材等がソ連との戦争の際に役立ったと伝えられています。もし、世界情勢がもう少しおとなしくて、昭和15年に東京大会が開催されていたらどうだったのか、と想像することもあります。軍部、政府内で親独派が幅を利かせておらず、英米とは時に対立するもののうまく折り合いをつけていて、当面の敵は国境を接するソ連だけ、という状況だったら国際情勢もまた変わったものになっていたかもしれません。ドイツは中国大陸では国民党に武器を売るなど、したたかな面もあり、日本とは距離を置く関係だったらどうだったでしょうか。

 今回は架空の設定ではないDC-3もあります。


 キットはミニクラフト1/144です。
イースタン航空のアメリカらしい派手な塗装ですが、この塗装の機体がスミソニアン博物館にあり、アメリカ人にとってはなじみの深い機体となっているようです。



 




 
 


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冬にこんな音楽を聴いています

2021年12月18日 | ときどき音楽
 今日は音楽の話題です。この季節に私が聴いているのはこんな曲、ということで、私の好みなので少々偏りはありますが、興味のある方はお読みいただければと思います。
1 WINTER SONGS 安藤正容
 T-SQUAREのリーダーとして活躍した安藤さんのソロアルバムです。タイトル通り冬をイメージした曲が多く、WINTER GAMES、CHRISTMAS TIMES IS HERE、JOY TO THE WORLD、AVE MARIA、赤いスイートピーのような有名曲をカバーしています。他にもスクエアの曲のカバーが入っていて、SEEKING THE PEARLはオリジナルと違った良さがあります。カバーだけでなく、オリジナルの曲も入っており「銀色の街」は冬の空気が感じられる特にお気に入りのナンバーです。


2 WATER COLOURS 安藤まさひろ、みくりや裕二
 スクエアの安藤さんとみくりやさんは長い間「盟友」であり、初期のスクエアでも一緒にプレイしていました。現在は「あんみつ」という名前のデュオですが、当時は名前がついておらず、二人の名義のアルバムとしてリリースされています。HAPPY CHRISTMASのようなメジャー曲もありますし、LAST RAINDROPS、PLAY FOR YOUといった安藤さん作曲のバラードもギターデュオで聴けます。



3 WINTER GREETINGS 鳥山雄司
 作曲家、ギタリストとして活躍する鳥山さんのクリスマスソング集。「王道」の曲もありますが、一部にクラシックの曲も入っており、アルバムに深みを与えています。

ジャケットはお洒落なつくりです。

 冬向きの曲を集めてミニアルバムもリリースしていました。


4 OUR REFLECTIONS TIZIAN JOSTトリオ
 ヨーロッパのピアノトリオが奏でるジャズやスタンダードの曲の演奏を集めたもの。ジャズ寄りにアレンジされた「べサメ・ムーチョ」や「Recado Bossa Nova」がお気に入りです。さまざまなジャズの曲、ミュージシャンを発掘するのが得意な大阪の澤野工房がリリースしています。


5 パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム  サイモン&ガーファンクル
私が「青春ノイローゼ」時代に聴いていたアルバム。これを聴きながら冬のローカル線を旅する自分、若かったなあ・・・。個人的感傷はともかく、表題曲や「クラウディ」、「夢の中の世界」、「雨に負けぬ花」、「エミリー、エミリー」、「地下鉄の壁の詩」など美しい詩とメロディを堪能できます。ラストは「7時のニュース/きよしこの夜」ということで説明の必要のないクリスマスソングのバックにニュースを読み上げるアナウンサーの声がカバーされています。リリースされた当時はベトナム戦争の激しかった頃で、いくつかの曲には反戦の思いが込められているといいます。サイモンとガーファンクルについては「ボクサー(アルバム「明日に架ける橋」に収録)」は冬に聴きたくなりますし、「You can tell the world」、「ベネディクダス」、「山の上で告げよ」(アルバム「水曜日の朝、午前3時」に収録)のようにクリスマス向きの曲もあります。


6 心のままに  シセル・シルシェブー
 ノルウェーの歌姫がリレハンメル五輪(1994)の頃にリリースしたアルバム。本人曰く「ノルウェーのエンヤ(アイルランドの歌姫)」といった趣のアルバム。リレハンメル五輪のテーマ曲「Fire In Your Heart」を聴きたくて買ったのですが、グレグリオ聖歌やノルウェーの伝統的な曲や、ノルウェー語の「オリンピック聖歌」も収録されています。「Fire In Your Heart」はゆったりしたテンポの中に温かい気持ちで遠くからやってきた選手を迎える冬の大会を歌っていて、スキーに出かけるときにも聴いています。透明感があって力強い歌声に魅力があります。


7 ラブ&リベルテ ジプシー・キングス
 ジプシーのアルバムはどれも好きですし、来日公演にも出かけました。秋・冬に聴くといい感じですが、このアルバムには「Navidad(クリスマス)」という曲が入っていて「貧しい子供たちのために玩具を買いに行こう」という歌詞が出てきますので入れた次第です。


 かなり偏った選曲ではありますが、この季節向きの曲を採り上げてみました。スクエアのアルバム「TRUTH」や「Yes,No」なども個人的には秋・冬向きでして、「TRUTH」の最後を飾る「TWILIGHT IN UPPER WEST」などは雪山に傾く西日を見ながら聴きたくなります。また、カシオペアの「Cooking Up」、「Twilight Solitude」(アルバム「Down up beat」に収録)や「HOSHI-ZORA」(アルバム「HALLE」に収録)もこの季節が似合うように思います。
 他にもおすすめの曲があるとは思いますが、それはまたの機会に。今日ご紹介したアルバムにはなかなか入手が難しいものもあるかと思いますが、興味がある方はぜひ聴いてみてください。ネット通販やCDショップで、クリスマスまでに間に合う、かも。






 




 

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祝!30年ぶりのタイトル獲得、そして・・・。

2021年12月13日 | 自動車、モータースポーツ
 日曜日に開催されたF1最終戦アブダビGPで、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが優勝、自身初のドライバーズタイトルを獲得しました。ホンダのパワーユニット(エンジン)を積むマシンのドライバーとしては1991(平成3)年のアイルトン・セナ以来30年ぶりということで、フェルスタッペン選手、レッドブル、ホンダの皆様、このたびは本当におめでとうございます。
 レースの週末はさまざまなことが起き、予選から見ごたえたっぷりでした。決勝でも3つか4つのレースで起きるようなことが一つのレースに凝縮され、最後まで本当に目が離せないものとなりました。序盤のメルセデスの好スタートに始まり、終盤のクラッシュが原因のセーフティカー導入からセーフティカー退去、最終ラップまでの一連の流れについてはさまざまなドラマが起き、結果としてメルセデス、ルイス・ハミルトン側には不利に働いたというのはありましたが、最終戦の最終ラップで現王者と挑戦者が一騎打ち、というのは「事実は小説より奇なり」という言葉どおりで、その中で「魂のサイド・バイ・サイド」と形容できるようなバトルでトップを奪って先頭でチェッカーを受けたフェルスタッペンが、王座に相応しいということになったのでしょう。
 今シーズンはレッドブル・ホンダが優位に進めるも、メルセデスも反撃、時にはフェルスタッペンとハミルトンの二人がコース上で文字通りぶつかってしまうこともありました。フェルスタッペンには不利な裁定も時にはあって、これは「いずれ何度も王座を獲れるの能力がある人には簡単にタイトルはやってこないよ」という産みの苦しみのようにも思えました。
 敗れたハミルトンは実に8度目の王座がかかったレースで、決勝も2番手から一気にトップを奪い、しばらくはフェルスタッペンをリードしたあたりはさすがという感じでした。特に今シーズンはもともとの才能に経験が加味され、一人のレースファンとしてこういう勝ち方をされたら何も言えないな、という場面もいくつかありました。ハミルトンも最初のタイトルを獲った2008年シーズンでは、最終ラップでタイトルをもぎとりましたね。昨日のレース後はしばらくマシンから降りられず、それでも新しい王者を称えていたのが印象的でした。今年のシーズンはレース数が増えただけではなく本当に濃密で、これもメルセデスとの稀に見る激しいバトルがあったからでしょう。
 新王者フェルスタッペンは実に17歳(!)でF1にデビューしました。それだけ期待がかかった存在だったわけですが(現在は「飛び級」が認められず、F1出走のためのスーパーライセンス獲得には厳格な基準があるので、未成年のデビューは難しくなっています)、デビューからレッドブルと共に過ごし、ホンダがパワーユニットを供給するようになってからは「ホンダのエース」として表彰台、勝利と活躍を重ねてきました。特に今シーズンは顔つきもだいぶ変わり、勝利への気持ちも誰よりも強くなっており、グランプリドライバーとしての貫禄のようなものを感じさせるときがありました。シューマッハやハッキネン、ライコネンもそうでしたが、若くしてデビューして経験を積んだドライバーというのは年齢的なものとは別に表情が変わるといいますか、さまざまなものが表情に刻まれていく感があります。フェルスタッペンのお父さん、ヨスもF1ドライバーで、かつてはベネトンでシューマッハのチームメイトだったことがありました。表彰台に上がったことはありましたが優勝はなく、どちらかというと中団チームで活躍していました。いつも息子のレースに帯同していますが、昨日はどんな思いで見ていたのでしょうか?
 昨日のレースの話に戻りますが、途中タイヤ交換をして2位に下がったハミルトンを押さえ続けたフェルスタッペンのチームメイト、セルヒオ・ペレスの走りもチームメイトを助けるために全力を尽くし、見せ場を作りました。最後はチェッカーを受けられなかったものの、思わずテレビに向かって「チェコ(ペレスの愛称)、漢だねえ」とつぶやいてしまいました。また、ラストランとなったホンダですが、もう一つのホンダのパワーユニットを積むチーム、アルファタウリは角田4位、ガスリー5位と大健闘でした。特に角田の4位は予選から決勝まで安定したレース運びで達成したもので、こういうレースができるドライバーは機会さえあれば上位に難なく入れる能力があるわけで、来年以降も期待させる走りでしたし、最終戦という「期末試験」でチームメイトにも勝って合格点を出せたのではと思います。
 そしてそのホンダですが、今年限りでF1から撤退ということで、最後にようやくタイトルを獲得できたということになりました。コンストラクターズ(チーム)タイトルも獲りたかったところでしょうが、こちらは今年もメルセデスの前に敗れています。最後のレースを前に「ありがとうフェラーリ、ありがとうロータス・・・」とかつてのライバル、パートナーたち8チームへの謝辞を述べ「じゃ、最後、行ってきます」と締めくくったメッセージを出していました。この8チームの中にはトヨタも含まれており、トヨタも「ラストレース、ご安全に、行ってらっしゃい!」とエールを送ったそうで、かつてのトヨタのF1活動そのものはいろいろ思うところがあった私も、これにはぐっと来るものがありました。謝辞を贈ったチームに今は無いブラバムの名前があったのも意外でした。F1ではライバルとして、またF2ではホンダエンジンを積み、1960年代に4輪に本格的に進出したホンダの「先生」だったのがブラバムでした。ロータスは1987年の中嶋悟のF1デビューに合わせて組んだ相手でもありましたが、その昔、第一期参戦時にロータスと組む話があったもののロータス側から反故にされたいきさつがありました。ルノーの名前もあり、これは第二期で最後は王座を明け渡したものの、互いに自分たちの最適な戦い方、設計を信じて戦ったライバルへの感謝とも受け取れました。唐突に終わった第三期はもちろんのこと、第二期の最後にはこうしたメッセージは無かったと思いますし、第一期の参戦の頃からの今はなきチームへの謝辞も入っていましたので、これはF1から撤退して本当に戻ってこないんじゃないか、という感慨を持ったのですが、私の考えすぎでしょうか?ホンダやホンダのDNAを持つ何らかの形で「復帰」ということがいつの日か来ることを祈っております。
 ここまでいろいろと触れてまいりましたが、ホンダのことばかり書いてお前はティフォシ(フェラーリファン)じゃなかったのかと言われそうです。今年のフェラーリに関しては未勝利でしたし、まだトップに立つのは難しそうです。でも日曜のレースでカルロス・サインツJrが3位に入っていますし、このところ表彰台を狙えるレースが多くなっています。来年は車輌規定も大きく変わるので、どのチームが抜け出すか分かりませんが、そろそろ表彰式でイタリア国歌を聞きたいものです。
 また、昨日は大ベテランのキミ・ライコネンのラストレースでもありました。ライコネンのことは別に書きたいと思っています。今までお疲れさまでした。

  1991年のマクラーレン・ホンダとセナの王座獲得は私も当時テレビで観ましたが、あれから30年も経ったのですね。この30年で第一期F1活動の監督を務めた中村良夫さん、そして第二期の象徴だったセナも既に亡く、あの頃放送席に座っていた今宮純さんも亡くなり、毎年の総集編の脚本や各GPのオープニングのナレーションの脚本を書いていた高桐唯詩さんも今年亡くなっています。いろいろありましたが、やっと、ホンダが頂点に立ちました。あの頃から時は流れて、テレビで、サーキットで、たくさんのレースと、そこに関わる人々、マシンなどを観てきました。中継のエンディングを聴きながら、深夜のリビングで、一人感慨にふけっておりました。
 
 いろいろ書いてきましたが感慨にふけるのはここまで、まずはシーズン終了と素晴らしいバトルをしたドライバー、チームを称えて、乾杯しましょう。


再録ではありますが、フェルスタッペン、2019年にホンダに復帰初勝利をもたらした際の有名なポーズ

左からフェルスタッペン、ハミルトン、ルクレールの各ドライバー。
上記2枚はいずれも2019年・鈴鹿にて



1991年チャンピオンマシン、マクラーレンMP4/6(写真はベルガー車)。ちなみに展示エリアでMP4/6の撮影をしていたところ、国際映像のクルーに「マクラーレンの写真を撮る熱心なファン」を演じてほしいと言われ、後姿を撮られています。
2018年・鈴鹿にて


 
 
 
 






 
 

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あの日から80年なので

2021年12月08日 | 飛行機・飛行機の模型
 今日、12月8日は日米開戦の日であり、今年がちょうど80年にあたることは、このブログの読者の皆様には説明の必要はないでしょう。開戦の時に中学生だった私の父は、開戦の報を聞いていろいろな意味で「えらいことになった」という気持になったと言っていました。首都を陥落させても奥地に逃げ込まれて収拾がつかなくなっていた中国大陸での戦争とは違い、米英と正面切って戦うわけです。今ほど情報は無いにしても、東京の中学生にはアメリカやイギリスの国力がどのようなものか全く知らなかったわけではないでしょうから、えらいことになったという気持ちになるのも理解できます。
 開戦のハイライトである真珠湾攻撃は模型誌等でも特集が組まれますし、この季節は模型屋さんの棚もいつも以上に零戦や空母機動部隊のキットに力を入れているようにも思えます。真珠湾攻撃は飛行機も艦船のモデラーにとっても関係しますし、英軍との戦闘になったマレー半島の戦いでは陸モノのモデラーも腕の見せ所でしょう。もちろん、英海軍の戦艦を航空攻撃で沈めたということで、こちらも艦船、航空機のモデラーにはなじみが深いかと思います。
 私も真珠湾攻撃の主役だった零式艦上戦闘機21型については、真珠湾前後の姿で何度か作っています。今回お目にかけるのはハセガワ1/48のキットを組んだもので、15年ほど前の旧作です。


胴体の赤帯と、垂直尾翼の黄橙色の帯は塗装にしています。
 機体のカラーは写真では明灰白色っぽく見えますが、この模型ではMr.カラー128番の陸軍機の灰緑色をベースにした色で塗ったため、実際にはもっと灰緑色が強めです。また、この模型ではウェザリングはほとんど施しておらず、ごく薄く墨入れをした程度です。
 零戦の塗装について、一時は「飴色論争」に振り回されたりもしましたが、自分の中では「灰緑色が少し入った明灰白色」というイメージで調色しています。マーキングは1/72でも1/48でも「赤城」艦載機をチョイスすることが多く、これはかつてのハセガワ1/72の零戦21型のキットの箱絵に描かれた、母艦上空を飛ぶ赤城の艦載機のイメージから離れられないからでしょうか。
 真珠湾攻撃の機体、というとどうも零戦ばかり作っていますが、私のストックには1/72の97艦攻や99艦爆が待機しています。そろそろハンガーから飛行甲板に出してあげないと、と思っております。
 

 

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市電と夜とCKBと

2021年12月04日 | 鉄道・鉄道模型
 横浜市交通局の100周年を記念して、鉄道コレクションでは横浜市交通局関係の製品が各種発売されています。私の元にも横浜市電1150形がやってきました。
 地元ではないため、横浜市電については本来なじみがないのですが、製品化予告に出ていた青と白のツートンカラーが美しかったのと、横浜市電を歌った曲が気になって、1150形の新旧塗装を買った、というわけです。

 すっきりとした青と白の配色が美しいですね。
 後期の塗装です。


 前述のように、横浜市電の思い出を歌った曲があります。クレイジーケンバンド(以下「CKB」と略)の「路面電車」という曲です(アルバム「Soul電波」に収録)。

 お盆の前後の横浜の人々の様子をタイ東北部の民謡のビートに合わせて歌っています。一度聴いたら忘れない、強烈なメロディです。ィ横山剣さんの東洋一のサウンドマシーンぶりがうかがえまして、ちょっとシュールな歌詞もでてきます。

 この曲にはクリーニング(屋)の望月さんと通船に乗ってる山本さんという登場人物が出てきますが、曲中では前者はいすゞベレット1600GTが、後者は「ヨタハチ」ことトヨタS800が愛車でした。1/150のミニカーでは見かけず、トミーテックのカーコレクションでは過去の名車をラインナップに入れていましたが、これらの自動車は含まれませんでした。最近はこのシリーズも止まってしまったようですが、いつの日か復活するときにはベレットや「ヨタハチ」だけでなく、いすゞ117クーペ、ホンダS600/800、シビック(初代)など、国産メーカーの過去の名車を入れてほしいところです。
 模型はとりあえず動力化までこぎつけました。これでひとまずは走れるわけですが、あとは系統板をどこにするか、行先案内はどこにするか、などやることがもう少し残っています。ということで「アメ車と夜と本牧と」ならぬ「市電と夜とCKBと」の一席でした。

 今日のおまけ

CKBにの「混沌料理」という曲にはダブルデッカーのトラムに飛び乗り、とありますが、香港のトラムも現地産のミニチュアが出ています。いつか香港も行ってみたいなあ。

 

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