⭐️⭐️浅野まことのここだけの話⭐️⭐️

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東京都民は東京都の課題が見えているか?(その3)

2016年07月26日 | 食品

<都知事選>直言 首都どうする(2) 地方への政策発信 2016年7月22日 東京新聞

もともとは財政破綻した夕張市に派遣された都職員だった。鈴木直道・夕張市長は「都職員は単なる地方公務員ではなく首都公務員としての役割がある」と話す(写真は市提供)

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◆元都職員・鈴木直道夕張市長

 首都である都の職員は国のことも考えなければならない。単なる地方公務員ではなく、首都公務員だ。都から財政破綻した北海道夕張市に派遣されたとき、首都公務員であることを誇りに思い、仕事をやってきた。その結果、今、市長として働いている。

 夕張市の借金の返済は、計画通り進めてきた。市長や職員の給与削減、料金の値上げなどで毎年平均約二十六億円を返している。これは市民に痛みを強いる。副作用の一つとして人口は減り続け九千人を割った。高齢化率は50%近い。それでも借金を完済するのは二〇二六年度までかかる。

 厳しい状況のなか、現在も都から職員二人の派遣を受け管理職についてもらっている。都の職員数は十六万人。夕張市は百人。都では十六万分の二の力が、夕張市では百分の二になる。都は東日本大震災で被災した東北三県にも技術職員らを派遣している。彼らも、まちづくりの中心的役割を担っている。他の自治体にとっても都の存在感は大きい。

 ただ、成長を続けてきた東京もこれから人口減が始まる。都の推計では、東京五輪・パラリンピックのある二〇年が人口のピークで約四十年後には二百六十万人以上が減る。京都府が丸ごと消滅するような事態だ。こんな急激な人口減少は東京が初めて経験することだから、そうなる前に対応しなければいけない。

 東京には地方の参考になる国をけん引する対策モデルをつくってほしい。民間の力、知恵の集まる東京が動けば国も動いて全国に波及する。石原慎太郎元知事が提唱したディーゼル車規制のようにだ。

 全国の自治体が連携して、課題を解決するという視点も必要だ。都内では熱中症で亡くなる人が多いが、北海道を集団避暑地として活用できないか。都民のためになることが過疎に悩む地方にも恩恵をもたらす。既に連携している北海道の町村会と特別区長会の活動を後押しすることも求めたい。

 首都のリーダーを選ぶ選挙は日本全体に影響を与える。だから、都知事選には地方も注目している。都民は心して選んでほしい。 (聞き手・松村裕子)

<すずき・なおみち> 1981年生まれ。埼玉県三郷市出身。高校卒業後、都庁に入る。働きながら法大の夜間部で地方自治を学ぶ。30歳のとき夕張市長に初当選。現在2期目。


東京都民は東京都の課題が見えているか(その2)

2016年07月26日 | 政治

<都知事選>直言 首都どうする(4) 羽田増便

自宅は飛行ルートの真下にある。秋田操さんは「過去、環境や福祉政策で先進的な取り組みを進めてきた都には国を動かす力がある」と期待する

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◆都心低空飛行に反対 東京連絡会・秋田操さん

 羽田空港の周辺地域は一九六〇年代から七〇年代にかけて深刻な航空機騒音に悩まされていた。七九年に引っ越した品川区の自宅付近は十分に一回ぐらいの間隔で飛行機が低空を飛び、外では会話を聞き取りにくくなることがあった。一キロほど南の団地に住んでいた友人は、窓を開けると電話の着信音やテレビの音がまったく聞こえないほどだったという。

 東京湾を埋め立てて滑走路を移転する「沖合展開事業」が二〇〇〇年に完了し、飛行ルートが海上になってようやく解消した。だから国土交通省が公表した計画を知った時、沖合展開前に戻ってしまうのかと驚いた。二〇年五輪・パラリンピックに間に合うように国際線の発着回数を増やし、着陸時に都心上空を南下するルートを検討する。国際線の年間発着能力は三・九万回増え、九・九万回になる。

 だから反対運動を始めた。私の自宅も飛行ルートのほぼ直下で、着陸機が高度三百メートル程度を飛ぶことが予想されている。住宅密集地なので氷塊などの落下物や大気汚染も心配だ。五月には大韓航空機が羽田空港の滑走路で離陸直前にエンジン火災を起こしたが、もし飛行中だったらどうなっていたか。計画は撤回するべきだ。

 舛添要一前知事の在任中、都政はこの問題に積極的ではなかった。「航空行政は国の専管事項」と、対応に腰が引けていた。だが、都は国と対等に渡り合えるだけの力を持っている。新知事が本気で計画に異を唱えれば、国も無視できない。

 日本には九十七もの空港がある。経済効率を優先して無理に羽田の発着本数を増やすのではなく、一極集中を解消する努力をするべきではないのか。東京五輪・パラリンピックの開催を大義名分にするべきでもない。各地の空港に分散させた方が、海外から訪れる外国人に東京以外の日本の良さも知ってもらえる。

 千葉県など羽田空港離着陸機の騒音に現在も苦しんでいる地域からは、負担の軽減につながると歓迎する声があることは知っている。しかし、この問題で住民が分断されてはいけない。新しい知事には、都民の暮らしを守る取り組みを何よりも求めたい。 (聞き手・小松田健一)

<あきた・みさお> 1938年生まれ。京都市出身。元三菱重工社員。品川など7区の市民団体で「羽田増便による都心低空飛行計画に反対する東京連絡会」を結成、共同代表に就く。

 
 
 

東京都民は東京都の課題が見えているか(その1)

2016年07月26日 | 政治

<都知事選>直言 首都どうする(1)パラリンピッ
2016年7月21日 東京新聞

吉田紗栄子さんは1964年東京パラリンピックでボランティアをした。「海外の選手からバリアフリー住宅というものを教えられた」と言う

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◆高齢社会の住まいをつくる会・吉田紗栄子理事長

 一九六四年、東京で五輪の後にパラリンピックが開かれた。大学三年生だった私は日本赤十字のボランティアとして、イタリア選手団の通訳と介助を担当した。当時は、街で車いすで移動する人を目にすることはなかった。代々木の選手村を身体障害者が使えるようにと、自衛隊が三日間の突貫工事でバリアフリー化した。

 その時と比べれば、東京は天と地ほど変わった。バリアフリーの施設が整い、街なかを車いすで移動する人が増えた。それでも、障害者が好きな時、好きな場所に自由に行ける環境にはなっていない。

 日本はこれから高齢者が多くなる社会になる。年を取れば若い時にできたことが、できなくなる。東京は高齢者にも住みやすい街とは言えない。二〇二〇年に再びパラリンピックが開かれ、世界中から集まった障害者に「東京にまた来たい」と思ってもらいたいのに。私たちの障害者への理解はまだまだ遅れている。

 「心のバリアフリー」という言葉は好きではないが、子どものころから障害者が身近にいると、特別視せずに接することができるようになる。パラリンピックでは、小学校高学年より上の子どもたちが選手団と長く交流してほしい。障害があっても「普通」に生きていることを実感できるはずだ。私自身は、海外の選手が日本のように病院や施設ではなくバリアフリーの家で暮らしていると知ったことが身体障害者用の住宅設計を目指すきっかけになった。

 六千人が滞在する選手村は大会後に民間利用される。二〇二〇年ではなく、さらに五十年後の超高齢社会を想定した建物と街にするよう、知恵を絞って世界に手本を示すべきだ。

 私は選手を自宅に招く計画をしている。車いす利用者はどういう経路で家に来るのか、駅のエレベーターは利用しやすいのか、家のトイレには入れるのか。考えてみると、いろいろな障壁に気がつく。

 バリアフリーは生き方の選択肢を広げる。それはどんな人にも関係する。パラリンピックは誰もが安全に暮らせる街への新たなスタート地点。五十二年前がそうであったように。

 (聞き手・小川慎一)

<よしだ・さえこ> 1943年生まれ。文京区出身。1級建築士。バリアフリー設計の先駆者として知られる


富士山登山初体験記(その1) makochan GO!

2016年07月26日 | 日記

 

山小屋の夕食は午後5時くらいからと早かった。ハンバーグ付きカレーが出された。これしかないのであるが、女将さんが缶ビールと肉のない肉じゃがをご馳走してくれた。山での酒は3倍酔うと言われたが、そうでもなかった。
食事が終わると何もすることがないので寝支度。2畳に3人が寝る雑魚寝である。学生時代を思い出すようでこれもまた楽しい。
あまりに疲れていたせいか午後7時過ぎには寝てしまった。9時過ぎに一旦目が醒めて離れにあるトイレに行く。山小屋の外は満天の星であった。天の川がこれだけ存在感たっぷりな星空を見たのは初めてであった。一等星、2等星に負けていなかった。

午前0時30分に山頂に向けて出発予定。