2022年12月1日(木)
#382 T.REX「ザ・スライダー」(テイチク TECX-18820)
英国のロック・バンド、T・レックスのオリジナル・アルバム。72年リリース。トニー・ヴィスコンティによるプロデュース。
67年にマーク・ボランとスティーブ・トゥックにより結成された時は「ティラノザウルス・レックス」と名乗っていた彼らも、70年にトゥックが脱退し、ミッキー・フィが加入したことで大きく変化した。
それまでの「サイケなフォーク・ロック・デュオ」から、「ストレートなサウンドのロックンロール・バンド」へと脱皮したのだ。リズム・セクションも2名増員、4名編成になった。
グループ名もT・レックスとごくシンプルになり、覚えやすくなった。
「ライド・ア・ホワイト・スワン」の大ヒット以来、「ゲット・イット・オン」「ホット・ラブ」などシングル・ヒットを連発し、人気はわが日本にも飛び火して来た。72年11月には最初の日本公演を行うに至る。
そんな破竹の進撃を続けていた頃にリリースされたのが、この「ザ・スライダー」だ。全英4位、全米17位、そしてなんと日本でも6位を獲得している。
同年のスマッシュ・ヒット「テレグラム・サム」「メタル・グルー」をフィーチャーした全13曲。そのほとんどが、3分台のシングル向きの短い曲である。
そして、多くはロックンロール、あるいはブギ調で、時には彼らのルーツを感じさせるアコギを使ったフォーク・ロックもあるが、サウンドのバラエティはあまりない。ひたすら刻まれるシンプルなビートをバックに、シャウトする、そんな感じだ。
でも、それこそがT・レックスだとも言える。
ティーンエージャー向けに特化した、ひたすらポップなロック。
70年代、他の多くのロック・バンドが、より複雑で高尚なサウンドに向かう中、このシンプルネスは衝撃的でさえあった。
大人のリスナーに媚びを売らず、ひたすら若者たちのために若者たちの愛の世界を歌う男、それがマーク・ボランなのだ。
T・レックスの存在をはっきりと意識した72年春、当時中学生だった筆者は渋谷の楽器店「コタニ」で、一枚のポスターと遭遇する。
それはギブソン・レスポールを抱えたボランと、彼に寄り添うフィンの写真だった。
カーリー・ヘアでギターを携えたボランは、この上なくカッコよかった。
まるで、カルトの教祖のようだった。
ロックというサウンドだけでなく、強烈なビジュアルでも信者を魅惑する、最強のグルー。
「あぁ、オレもこいつみたいにエレクトリック・ギターを持ちたい。弾きたい。ロックを歌いたい」
という衝動が、にわかに沸き起こって来た。
それから筆者がギターを入手し、それを掻き鳴らして歌い始めるまでに、数か月もかからなかったことは言うまでもない。
筆者がギターと、そしてロックと、一生涯関わっていくという「悪魔の契約」をしたのは、ボランの存在あってのことなのだ。
でも筆者は、そのことを微塵も後悔していない。
むしろ、ボランに、T・レックスに感謝している。
「ザ・スライダー」は筆者のみならず、多くの若者をロックという魔道に導いたに違いない。
「ロック!!」「イェイ!!」という、激しい掛け声とともに。
<独断評価>★★★★☆
英国のロック・バンド、T・レックスのオリジナル・アルバム。72年リリース。トニー・ヴィスコンティによるプロデュース。
67年にマーク・ボランとスティーブ・トゥックにより結成された時は「ティラノザウルス・レックス」と名乗っていた彼らも、70年にトゥックが脱退し、ミッキー・フィが加入したことで大きく変化した。
それまでの「サイケなフォーク・ロック・デュオ」から、「ストレートなサウンドのロックンロール・バンド」へと脱皮したのだ。リズム・セクションも2名増員、4名編成になった。
グループ名もT・レックスとごくシンプルになり、覚えやすくなった。
「ライド・ア・ホワイト・スワン」の大ヒット以来、「ゲット・イット・オン」「ホット・ラブ」などシングル・ヒットを連発し、人気はわが日本にも飛び火して来た。72年11月には最初の日本公演を行うに至る。
そんな破竹の進撃を続けていた頃にリリースされたのが、この「ザ・スライダー」だ。全英4位、全米17位、そしてなんと日本でも6位を獲得している。
同年のスマッシュ・ヒット「テレグラム・サム」「メタル・グルー」をフィーチャーした全13曲。そのほとんどが、3分台のシングル向きの短い曲である。
そして、多くはロックンロール、あるいはブギ調で、時には彼らのルーツを感じさせるアコギを使ったフォーク・ロックもあるが、サウンドのバラエティはあまりない。ひたすら刻まれるシンプルなビートをバックに、シャウトする、そんな感じだ。
でも、それこそがT・レックスだとも言える。
ティーンエージャー向けに特化した、ひたすらポップなロック。
70年代、他の多くのロック・バンドが、より複雑で高尚なサウンドに向かう中、このシンプルネスは衝撃的でさえあった。
大人のリスナーに媚びを売らず、ひたすら若者たちのために若者たちの愛の世界を歌う男、それがマーク・ボランなのだ。
T・レックスの存在をはっきりと意識した72年春、当時中学生だった筆者は渋谷の楽器店「コタニ」で、一枚のポスターと遭遇する。
それはギブソン・レスポールを抱えたボランと、彼に寄り添うフィンの写真だった。
カーリー・ヘアでギターを携えたボランは、この上なくカッコよかった。
まるで、カルトの教祖のようだった。
ロックというサウンドだけでなく、強烈なビジュアルでも信者を魅惑する、最強のグルー。
「あぁ、オレもこいつみたいにエレクトリック・ギターを持ちたい。弾きたい。ロックを歌いたい」
という衝動が、にわかに沸き起こって来た。
それから筆者がギターを入手し、それを掻き鳴らして歌い始めるまでに、数か月もかからなかったことは言うまでもない。
筆者がギターと、そしてロックと、一生涯関わっていくという「悪魔の契約」をしたのは、ボランの存在あってのことなのだ。
でも筆者は、そのことを微塵も後悔していない。
むしろ、ボランに、T・レックスに感謝している。
「ザ・スライダー」は筆者のみならず、多くの若者をロックという魔道に導いたに違いない。
「ロック!!」「イェイ!!」という、激しい掛け声とともに。
<独断評価>★★★★☆