2024年4月19日(金)
#379 ベイビーフェイス・リロイ「Rollin’ And Tumblin’(Part 1&2)(Parkway)
#379 ベイビーフェイス・リロイ「Rollin’ And Tumblin’(Part 1&2)(Parkway)
ベイビーフェイス・リロイ、1950年リリースのシングル曲。マディ・ウォーターズの作品。
黒人ブルースマン、ベイビーフェイス・リロイことリロイ・フォスターは1923年ミシシッピ州アルゴマの生まれ。ギターやドラムスを演奏するようになり、10代後半、1940年代半ばにシカゴに移住する。
シカゴでピアニストのサニーランド・スリム(1906年生まれ)やハーピストのサニーボーイ・ウィリアムスン一世(1914年生まれ)といった年長のミュージシャンたちと知り合い、共に演奏するようになる。
46年に、当時はまだ駆け出しのギタリストであったマディ・ウォーターズ(1913年生まれ)を知人に紹介される。フォスターはギタリストのジミー・ロジャーズ(1924年生まれ)と共にマディのバンドに参加して、ギターとドラムスを担当する。
彼らトリオは「ヘッドハンターズ」と自ら名乗って、クラブからクラブへ渡り歩き、道場破りのような演奏勝負を繰り広げていたという。
後にこれにハープのリトル・ウォルター(1930年生まれ)が加わり、マディのバンドの基礎が出来上がるのである。
フォスターの最初のレコーディングは45年、サイドマンとしてであった。自己名義の初レコーディングは48年、アリストクラットレーベルからリリースしたシングル「Locked Out Boogie」。これにはマディがギター、ビッグ・クロフォードがベースで参加している。
翌49年にはシングル「My Head Can’t Rest Anymore」をJOBレーベルよりリリース。この曲からウォルターのハープが加わる。
50年、マディたちはパークウェイレーベルで後世に残るレコーディング・セッションを行う。このセッションからは4枚のシングルが生まれた。うち2枚がフォスター・トリオ、2枚がウォルター・トリオの名義でのリリースとなった。
フォスターの2枚とは「Boll Weevil(オオゾウムシの英語名)」、そして本日取り上げた「Rollin’ And Tumblin’(Part 1&2)」である。パーソネルはドラムスがフォスター、ギターがマディ、ハープがウォルター。ボーカルはフォスターがメインだが、3人がとっている。
「Rollin’ And Tumblin’」はマディ・ウォーターズの代表曲としてあまりに有名なナンバーだが、彼は同年に自らのボーカルでこの曲をアリストクラットレーベルでレコーディング、シングルリリースしている。後にチェスのコンピレーション・アルバムに収録された。
もともとこの曲は、ハンボーン・ウィリー・ニューバーンにより29年に初めてレコーディングされている。原題は「Roll And Tumble Blues」。ニューバーンの作品とクレジットされているが、実際には作者不明のトラディショナルといったところである。
これを改題してカバーしたのが、ロバート・ジョンスン。それが1936年録音の「If I Had Possession Over Judgement Day」である。また、彼の「Travelling Riverside Blues』にも、本曲の強い影響が見られる。
フォスター、マディらのカバーバージョンは、オリジナルから実に20年以上を経ての復活ということになる。
この音源を聴いてまず感じるのは、カオスな熱狂だ。3人がそれぞれのパワーをぶつけ合って作り出す、異様なまでの興奮状態。
マディはすでに30代後半だったが、フォスターはまだ20代後半。ウォルターに至っては、20歳になったばかりの頃。エネルギーがあり余っているという感じだ。
それは、マディが歌ったバージョンと聴き比べてみるとよく分かる。ウォルターのハープをフィーチャーしたフォスター版に対して、マディのスライドギターをフィーチャーしたバージョンは、音楽的には洗練されているものの、パワー不足の感は否めない。
後に英国のバンド、クリームがこの曲をファースト・アルバムやフィルモア・ライブ盤で取り上げているが、参考にしているのはマディ版よりもむしろフォスター版という気がするね。
リロイ・フォスターはそのニックネーム「ベイビーフェイス」通り童顔だったが、その歌声はわりと低めで渋めだ。サニーボーイ一斉直伝という巻き舌唱法で、鄙びた味わいが濃い。いわゆるダウンホームってヤツだ。
実生活では、大酒飲みで知られていた。ロバジョン、リトル・ウォルターあたりとも共通するものがあり、破滅派ブルースマンの代表格ともいえる。
このパークウェイ盤リリース後も、52年までにJOB、リーガルなどのレーベルで数枚シングルをリリースしたものの、58年に35歳の若さで心臓発作によりこの世を去っている。おそらく、深酒が祟ったのだろう。
アルバム一枚分のみと、一生涯で残した作品はあまりに少ないものの、一曲一曲が強烈な持ち味を持つ個性派。マディやウォルター愛好者のみならず、ブルースを愛好する人なら誰しも、彼のことを忘れちゃいけない。ぜひ、その数少ないレコードに耳を傾けてほしい。