2024年5月27日(月)
#417 ロニー・マック「Memphis」(Fraternity)
#417 ロニー・マック「Memphis」(Fraternity)
ロニー・マック、1963年9月リリースのシングル・ヒット曲。チャック・ベリーの作品。ハリー・カールスンによるプロデュース。
米国のロックシンガー/ギタリスト、ロニー・マックことロニー・マッキントッシュは、1941年インディアナ州ウェストハリスンの生まれ。
ラジオでカントリー、R&B、ゴスペルなどを聴いて育ち、7歳でギターを弾きはじめる。ブルーグラスを弾く一方、叔父からブルース・ギターも教わる。白人、黒人双方の音楽から影響を受けたことで、マック独自のギター・スタイルが生まれていく。
1950年代半ば、教師とケンカをして中学を中退、年齢を偽ってプロミュージシャンの道に入る。オハイオ州シンシナティ周辺のバーで弾き、ローカルレーベルでレコーディングする10代を送る。
1960年代初頭、シンシナティのフラタニティレーベルでセッション・ギタリストとなる。これが、彼の一大転機となる。
63年に同レーベルでファースト・シングルをリリース、なんとR&Bチャートで4位、全米で5位の特大ヒットとなった。それが、本日取り上げた一曲、「Memphis」である。
いうまでもなくこの曲は、チャック・ベリー自作のシングル・ヒット曲である。1959年6月にリリースされ、米国内ではヒットしなかったが英国でヒットし、全英6位にチャートインした。オリジナル・タイトルは「Memphis, Tennessee」。
これを4年後に歌抜きの短いインスト・ナンバーとして演奏、タイトルも縮めてリリースしたのが、ロニー・マック版ということになる。
テンポはオリジナルより早めで、基本的にはチャック・ベリーのスタイルを忠実に踏襲しつつも、マックならではのスピーディなフィンガリングで聴かせる、軽妙なインスト・ナンバー。ドライブのBGMとしても適した、ツービート・チューンだ。
この曲に続いて、自作のインスト曲である「Wham!」をセカンド・シングルとしてリリースしたところ、全米24位の連続ヒット。さっそく歌入りの曲も含むファースト・アルバム「The Wham Of That Memphis Man」が翌10月にリリースされる。
この一枚が、良くも悪くもその後のロニー・マックの音楽人生を決定づけたといっていいだろう。
ブルース、ソウル、ゴスペル要素を大胆に取り入れたその内容で、批評家筋からは高い評価を受けたのだが、当時は白人が黒人色の強い音楽を追求することは、かなりニッチなことだったので、マックの音楽がメジャーな存在となることはなかった。アルバムのセールスは、全米103位にとどまる。
おまけに、64年あたりから英国ロックの攻勢、いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンが本格化して、彼のような存在は極めて影の薄いものとなってしまう。結局、マックは全国規模でなくローカルでの活動にとどまり、次のアルバム・リリースまでに6年の歳月を要することになるのである。
つまり、彼の登場はいかにも「早すぎた」のである。
60年代末にもなると、米国のミュージック・シーンも大きく変化し、マックの生み出すサウンドへの理解、支持も深まっていく。そのギター・プレイに惹かれるアーティストが増えていく。70年には「The Wham Of That Memphis Man」の再発盤「For Collectors Only」もリリースされ、彼らに愛聴される。
70年代からのアメリカン・ロックの開花により、先駆者マックは「ギタリスツ・ギタリスト」とでもいうべき存在になったのである。
たとえば、デュアン・オールマン、ディッキー・ベイツ、ウォーレン・ヘイズらオールマンズをはじめとしたサザン・ロック勢、スティーヴィ・レイ・ヴォーン、マイク・ブルームフィールド、ジミ・ヘンドリックス、英国の三大ギタリスト、キース・リチャーズ、さらにはスラッシュのような少し下の世代に至るまで、マックをリスペクトするギタリストは枚挙にいとまがない。
70年代以降のマックは、マイペースでアルバムを2000年ごろまで制作・リリース、その一方でライブ活動は2010年ごろまで精力的に続けた。
そして2016年、74歳でこの世を去っている。
日本ではレコードもほとんど売れることなく、名前を知る者さえごく少数ではあるが、ロニー・マックがロック・ギターの大元を作った、極めて重要なギタリストのひとりであることは間違いない。
その初期のフレッシュな彼のプレイを、改めてチェックしてみよう。